第17話:奈落の推しカプ
奈落の本拠地に戻ったダルタニアンは、不満げな顔をしながら独り回廊を歩いていた。
「……ちっ。野鳥だのなんだの、訳の分からないことを言いやがって」
今日の昼。
定期視察の最中に、兄は「旧居に立ち寄る」とだけ言うとふらりと抜けてしまった。
いつまでも戻ってこないのでダルタニアンが訪ねてみたら、あの女と密会している最中だった。
兄の話によれば、女は追放貴族のヴェロニカ・ベルトラン――王太子の元婚約者だという。
胡散臭くてたまらない。
自分たちの旧居に偶然居ついたというのも不自然だし、悪魔と思しき同伴者と闇市に参加したのも意図があるとしか思えない。
(……なのに、野鳥観察だと?)
長い回廊の先、兄の執務室の前でダルタニアンは止まった。
ノックの後に入室する。
「待っていたぞ。ダルタニアン」
これから、幹部たちの前で重大な発表をしなければならない。だがその前に、シグルドはダルタニアンを呼んでいた。
「ワルプルギスの夜について聞こう。マルコ暴走後の対応と、その後の運営状況を報告しろ」
執務机の上には、ヘスト・トロニカの各所からの報告書が積まれていた。その一枚にサインをしながら、兄は低い声でそう命じた。
そして、静かにこちらを見つめる。幼いころから知っている『兄』の温かな眼差しではなく、組織の命運を背負う支配者の目だった。
ダルタニアンは一段と表情を引き締め、拳を胸にあてて報告を始めた。
「マルコが騒ぎを起こした後も、催しは滞りなく終わった。壊れた大広間は一時補修をした上で、辺獄の技術者の手で完全に修復済みだ。……だが問題は、マルコだ。意識は取り戻したが、相変わらず魔獣みたいに暴れて意思疎通が図れない。ミゲルやジャンたちと同じように、魔力封じの枷を嵌めて牢獄に閉じ込めている」
「――そうか」
兄の表情は薄く、何を考えているのかダルタニアンには予想できない。幾ばくかの沈黙を挟んだ後、兄はダルタニアンに目を向けた。
「報告ご苦労。マルコについては引き続き監視を続けろ。他の奴らも同様だ」
「……兄貴」
今この場で言うべきか、言わざるべきか。余計なことを言えば、兄の気分を害するかもしれない――だが、指摘せずにはいられなかった。
「本当は兄貴も疑ってるんだろ? うちの幹部がおかしくなったのは、あの女が原因に決まってる」
……ヴェロニカ・ベルトラン。悪魔と思しき同伴者と、あの女が犯人に違いない。
この数か月で、いきなり正気を失って暴れる部下が何人か出ている。マルコと同じく、何の前触れもなく苦しみだして、魔力暴走を起こしたのだ。
「ジャンもミゲルも、ロイドもマルコもおかしくなっちまった。こんな異常、今まで一度もなかったじゃないか! あの女がうちの組織を攻撃しているんだ!」
「それを探るのはお前の仕事ではない」
ぴしゃりと言われて、ダルタニアンは眉尻を下げた。
「暴走の件は俺が対処する。……俺の仕事だ。お前は自分の為すべきことに集中しろ」
シグルドは席を立った。
「ついてこい」
シグルドはダルタニアンを伴い、館の最奥部へと足を踏み入れた。
この場所が用いられるのは、組織の意志が奈落全体へ通達されるときだけだ。大広間には百人を越える構成員が集結しており、上級幹部もずらりと並んでいた。
壇上に立ったシグルドは、ゆっくりと場を見渡した。
「今日、お前たちを集めた理由はひとつだ。――3か月後、俺は王座を退くことにした」
その瞬間。空気が凍った。
誰一人言葉を発さず、息をするのさえ忘れていた。
やがてそこかしこから、ざわめきが漏れ出した。
「…………ボスが?」
「嘘だろ……?」
シグルドは、傍らに控えるダルタニアンを指し示した。
「その日から、こいつが組織の頂点だ」
さらにざわめきが広がる。
ダルタニアンは居心地の悪さを感じつつ、構成員たちの視線を受け止めていた。彼らの表情にはダルタニアンを侮るような色はないし、むしろ人選には納得してさえいる様子だ。
シグルドはかなり前から「後継は弟だ」と明言していたし、自分も相応しくあるよう務めてきた。
「――ボス。ひとつ聞かせてくれ」
重苦しい空気の中、幹部列の中から一人の男が進み出た。その表情はひどく強張っている――ボスに異を唱える以上、殺されても文句は言えない。
「ダルタニアンに跡目を譲るのは、俺らだって承知している。だが……いくらなんでも早すぎやしないか」
握り締めた拳が、ひどく震えている。
「俺らはあんたが必要だ! あんたがボスになってから、この街は変わった。なのに退くだなんて――早すぎる!」
「早い、か」
シグルドが、肩眉を吊り上げた。
「だが俺が今死ねば、お前たちはどうする?」
「……っ」
シグルドの思いがけない問いかけに、一同が固唾を呑んだ。
「そ、そんなこと……」
「ないと言えるか? 俺に言わせれば、すでに遅すぎるくらいだ」
熱のない声でそう告げると、シグルドはダルタニアンを招き寄せた。
「確かにこいつはまだ若い。未熟さもよく知っている。――だが、ダルタニアンは『王』の器を持っている。いずれ誰より強くなり、万人を導く王となる男だ。我が身命を賭して誓う」
ダルタニアンの胸が、どくりと鳴った。シグルドの真意が――痛いくらいに沁みてくる。
「此度のワルプルギスの夜を敢行したのは、ダルタニアンの技量を確認するためでもあった。――マルコの騒ぎはあったが、それもダルタニアンが収めた。だから、次の王はこいつだ。異論は許さない」
ざわめきが、ぴたりと止んだ。
(兄貴……)
「3か月後だ。お前たちも準備しろ」
戸惑いを飲み込むような沈黙の中、やがて幹部の一人が自身の胸に拳を当てた。それを皮切りに、全員が同じ礼をする。
*
「……兄貴。やっぱり俺は、納得できない」
回廊を進む兄の背中に、ダルタニアンは声を投じた。
「だいたい『今死んだら』って、何なんだ。そんなのあり得ないだろう。本当は、誰も納得していなかったはずだ」
シグルドは足を止めない。
「納得など無用だ。お前が優れた王になり、奴らに分からせてやればいい」
「兄貴……!」
振り返りもせず、兄はどんどん離れていく。
――追いつけない。大きすぎる兄の歩幅に、追いつくすべをダルタニアンは知らない。
「本当は、何か隠してるだろう?」
拳を握りしめ、ダルタニアンは吐き出した。
「答えろよ!」
「…………答えることなど何もない」
そのまま、兄は行ってしまった。
「くそっ」
唇を噛みしめて、ダルタニアンは壁を殴りつける。
兄が継承を急いでいるのは、ずっと前から分かっていた。だが今回の宣言は、あまりに急だ。絶対に、兄は何かを焦っている。
(……聞かせろよ。俺は『弟』なんだから)
他の誰に打ち明けられなくても、自分だけは特別なのだと思っていた。どんな秘密でも、二人の間では共有してきた――。
一体、何が兄を変えてしまったのだろう?
そう思った瞬間、ダルタニアンの脳裏にとある女の姿がよぎった。
――ヴェロニカ・ベルトラン。
兄は、あの女に何かを見いだしている。何も聞かなくても、兄の様子を見れば分かる。
……思い出すほど、不快な女だ。
取り澄ました顔をしているくせに、挙動に異様な熱がある。
追放された罪人のくせに、やたら楽しげに茶を振る舞い、野鳥がどうのこうのと熱弁していた。
邪悪な女に違いないのに、思い出すのは変態的な発言ばかりだ。
「くそっ。腹が立つ……!」
こうなったら、自分が直接あの女を問いただしてやる――再び壁を殴りつけ、ダルタニアンは胸に誓った。








