第15話
シグルド、キタ――――……。
だがなぜ、何をしに来た?
ヴェロニカは内心、慌てまくっていた。
(ていうか居場所、とっくに割れてたのね……)
時間の問題どころか、きっと即バレだったのだろう。さすがは街を牛耳るマフィアのボスだ。
「今日は暑い。冷たい茶でも出せ。戸棚の茶葉がまだ使える」
「……ええ(なんでそんなことまで把握してるの!?)」
上がり込んできたシグルドは、まるで自分の家のようにどっかりとソファに腰を落ち着けている。
「カップは右側の三段目のものを」
「……くわしいんですのね」
「当然だ。ここはもともと、俺と弟の家だからな」
がっしゃん!!
手に持っていたトレイを、思わず落っことしてしまった。
「………………今、なんとおっしゃいましたか」
「俺の家だ」
「……(うぉぉぉおおお!?)」
無表情だが動きがギクシャクしているヴェロニカを眺め、シグルドは首をかしげた。
「分かっていて住み着いたのだろう? ここは、俺とダルタニアンがヘスト・トロニカに移り住んでしばらく暮らしていた家だ」
「……存じ上げませんでした(し、知りませんがな。知りませんがな、そないなこと!!)」
どうりで、空き家なのに整いすぎていると思った。
結界魔術を張った痕跡が残っていたのも、別荘として維持した名残なのだろう。不法侵入者が無理に押し入ろうとすれば、結界の魔力にあてられて長居できなかったはずだ。ちなみにヴェロニカは、古い術式を完全に解除してから自分好みの仕様に組み替えているのだが。
(なんてことなの……シグ×ダルの聖域に私が住み着いていたなんて。この床のあの壁もキッチンお風呂寝室すべてが世界遺産じゃないの!!)
感動を飛び越えて背徳感が湧いてきた。清らかな聖域に私の二酸化炭素を吐き散らかして申し訳ございません……と土下座したくなる。
「知らなかっただと? ありえんな。目的があって俺たちに接触を図ったとしか思えない。正直に言ったらどうだ、ジェーン・ドゥ。――いや、《《王太子の元婚約者ヴェロニカ・ベルトラン嬢》》、と呼ぶべきか?」
どきり。と心臓が飛び跳ねた。すでに素性も完璧に調べられているらしい。
ヴェロニカが黙していると、シグルドは冷ややかな顔でヴェロニカの経歴をすらすらと述べ始めた。
お前のことはすべて把握している、と言わんばかりだ。
幼少期から追放までの半生が、人間関係なども含めて完璧に調査されていた。
「――だが」
ひとしきり伝え終わると、シグルドは言葉を切った。
「ワルプルギスの夜に連れていた男のことは、どれほど調べても分からずじまいだ。まるで存在しないかのように、なにひとつ」
シグルドはソファから立ち上がると、ヴェロニカの目の前までやってきた。
「あの男、やはり人間ではないな?」
「……いえ」
「では、会わせろ。俺が直接聞いてやる」
あの世間知らずな悪魔と会わせるなんて、とんでもない。何を言いだすか分からないし、ますます怪しまれてしまう。……だが、幸い今のモルスは犬だ。
「残念ですが、もうヘスト・トロニカにはおりません」
「ほう?」
「彼は、街の外の人間ですもの。とっくに帰ってしまいましたわ」
シグルドの目に獰猛な光が宿る。
「俺を甘く見るな。紳士でいるうちに自白するほうが身のためだ」
低い声に恫喝的な響きがこもり、じりじりと壁ぎわに追いつめられていった。
「さもないと手荒な真似をするかもしれない」
どん。と両手で壁を突かれ、逃げ場を塞がれてしまう。ヴェロニカを見下ろす彼の瞳は、冷酷なマフィアのそれだった。
「正直に吐け。あれはお前が契約している悪魔だろう。とするとお前は、悪魔の御し方も知っていることになるな?」
(……シグルドの壁ドン)
推しの壁ドンが、ヴェロニカの脅威になる訳がない。だが一方で、「ご褒美」と呼ぶのも少し違う気がした。
ヴェロニカの率直な気持ちは、「ちょっと惜しい!」だ。
(あぁー。原作のスチルで見たわね、シグルドがアリアに壁ドンするシーン。すごい身長差で迫力があるの。でも惜しいなぁ、私のヘキとは少し違うのよね。だって……)
拳をぎゅっと握りしめ、ヴェロニカは心の中で叫んだ。
(私が見たいのは、シグルドがダルタニアンに壁ドンするところなの!!! ……原作にはないからこそ、この現実でどうかプリーズ!)
マフィア兄弟、シグルドとダルタニアン。
二人の関係性にこそ、ヴェロニカは猛烈に萌えるのだ。弟が兄に甘えたり、兄が弟に脆い一面を見せたりするのをじっくり見たい。二人の間に自分が挟まるなんて、どう考えても不純物である。
ヴェロニカが望むのは、愛ある傍観者の立場。兄弟ふたりの談笑やハグ、壁ドンなんて見られたらもう最高だ。公式では描かれなかったアレコレを、脳内で夢想するのが正しい鑑賞マナーだとヴェロニカは信じている……!!
(公式設定によればシグルド190センチ、ダルタニアン163cm。この巨体で囲い込まれたら、ダルターにゃんは逆らえない! でかい狼に襲われたウサギちゃん……いやでもダルターにゃんは猫だから!)
捗る。実に妄想が捗る。
「あなたの腕の中にはわたくしではなく、ぜひダルタニアン様を配置してくださいまし」
捗り過ぎて、うっかり本音がこぼれてしまった。
(……あ。言っちゃった!)
シグルドが怪訝そうに眉をひそめる。
「なぜ弟の話になる」
「……いえ」
心が表に出るなんて、転生以来初めてのことだ。刺激が強すぎたのだろうか?
苦し紛れでなんとか取り繕おうとするが、
「わたくしとダルタニアン様の身長が同じですので、少々、夢想を……」
「は?」
ますます意味がわからなくなった。
(困ったわ、どうしよう! でも公式設定だと、ヴェロニカもダルタニアンも163センチなのよ。……はっ、つまり私を定規にすれば、兄弟壁ドンを一人称視点でリアルに夢想できると!?)
もはや鼻血を噴きそうだ。いや、噴いた。
熱いものが込み上げてきて鼻周りを押さえたが、指の隙間からぽたりぽたりと零れてしまった。
シグルドが一歩退いて目を瞠る。
「――吐血か」
鼻血だ。
「……ご心配には、及びません。少々、心を乱しただけですわ」
鼻血をきれいに拭い去り、ヴェロニカは凄絶な笑みを浮かべた。
「ごちそうさまです」
「は?」
――と。そのとき。
またもやノックの音が響いた。
(子どもたちが帰って来たのかしら)
と思ったが、気配が違う。それにモルスの鳴き声もしない。
(……というか、この気配はっ)
魔力の波長で、少年と青年の間の年頃なのが分かった。
もう一度ノックが響き、
「兄貴、次の巡回予定が押している。そろそろ行こう」
ダルタニアンの声が響いた。
(おっほォぉおおお――!)
心の中で奇声を上げた。
「兄貴? ……他に誰かいるのか? 開けるぞ」
返事を待たずに扉を開けたダルタニアンは、こちらを見るなり顔をこわばらせた。
「こ、この女! なぜ俺たちの家に!」
そしてヴェロニカの襟元に残る血の汚れを見て、微かに眉をひそめる。
「……尋問していたのか?」
「いや。勝手に噴いた。鼻血らしい」
「は?」
「……ご兄弟そろって、よくおいで下さいました。お茶でもお出しいたしますわ」
ヴェロニカは優雅に一礼してみせた。
だって推しカプが揃ったのだ! どうしてこんなことに……とか考えるのは野暮である。
鼻血で汚れた服を着替えに向かいながら、ヴェロニカは感動に打ち震えていた。




