第14話
「――さて、と。朝食にしましょうか」
『ワルプルギスの夜』から、数日。
自分の住み家に戻ってきたヴェロニカは、平穏な朝を迎えていた。
鍋をコンロの火からおろし、十分に塩抜きした干し肉を丁寧に筋切りして柔らかく叩く。ヴェロニカはその肉を小皿に盛り付けると、
「ほら、お前の朝食よ。しっかり噛んで、よくお食べ? ……ふふふ、モルス」
にまにまと笑いながら、目の前の『仔犬』――もとい、悪魔侯爵モルスに差し出した。
……すんっ。
と、ひどく不機嫌そうに、仔犬がそっぽを向いている。
真っ黒で、ぽふぽふと毛足の長い仔犬だ。前世の犬種で言うなら、ポメラニアンあたりだろうか。
何を隠そう、これが今の悪魔侯爵モルスの姿なのである。
あの闇市の帰り道、ふらつきながら歩いていたモルスは、いきなり仔犬になってしまった。耳まで伏せてへたり込み、立ち上がる体力すらないらしかった。
さすがに驚いたヴェロニカだったが、抱き上げた仔犬があまりに疲れ果てていたので何となく察した――これはたぶん『省エネモード』みたいな感じだな、と。
十分な量の魔力は流しているから、魔力切れとは思えない。とすると、不足しているのは別の何かだろう。
前世のゲーム知識で言えば、魔力とは別の体力ゲージ的なものなのかとヴェロニカは予測している。
……それから何日か経ったが、麗しの悪魔侯爵閣下は人語を話せぬ仔犬のままだ。
「まったく。いろいろと手のかかる悪魔ですこと」
『きゃんきゃんきゃん!!』
ああ、これはたぶん怒っているな。誇り高き悪魔侯爵になんたる侮辱を! ――とか何とか言っているに違いない。知らんけど。と、ヴェロニカは思った。
(そういえば、前世は犬を飼うのが憧れだったのよね。でも悪役令嬢なら、ドーベルマンか土佐犬みたいな大型犬のほうが、絵面的に、こう……)
などと思いつつ、ちらりと目の前の毛玉を見つめた。
「まあ、可愛いから良しとしましょう」
『ぐるるる、うぅ~』
威嚇が威嚇になっておらず、低い唸り声も庇護欲をくすぐる。唸った直後にきゅるるるる~ん、とお腹が鳴って、情けなさそうに尻尾が下がった。
「お食べなさいと言っているの。それとも食べさせてほしいのかしら? ほら、あ~ん」
『しゃっ』
ヴェロニカの手から食べることはせず、小さな口で肉をくわえてトコトコ歩いて行ってしまった。部屋の隅っこで肉をかじっている。ちっちゃい尻尾がパタパタと、かわゆいが過ぎてニヤけてしまう。
「おまえ、ずっと犬でいいのよ?」
モルスを眺めつつ自分も朝食を摂っていた、そのとき。
家の外に気配がした。幼い気配が、4人分。
ふぅ。と溜息をつくと、ヴェロニカは玄関の扉に向かった。
「ヴェロニカさま。野菜、買ってきました!」
追放初日に出会った4人の子どもたちが、笑顔で野菜を抱えていた。
おとといから、彼らはヴェロニカの住み家の近所に居ついている。「ヴェロニカさまのそばだと、いろいろ安心で……」とか言っていた。
勝手に用心棒扱いされても困るが、買い出しを頼んでみたらしっかり働いてくれたし、余った料理をあげたら飛び上がって喜んでいた。お互いにメリットが多いので、このままでも別に構わない。
「わぁ。ヴェロニカさま、わんちゃん飼ってたの?」
澄まし顔でうなずくと、子どもたちが目を輝かせた。
「かわいい!」
「もふもふだぁ!」
「うるさいけれどね。……ああ、そうだ。お散歩をお願いしてもよろしくて?」
「はーい」
『きゃ、きゃぅ!?』
おいやめろ貴様、と叫んでいる気がしたが、そのまま送り出しておいた。
ぱたん。と閉まる扉の音を聞きながら、ヴェロニカはゆっくり思考を巡らせる。
――さて、これからどうするか。
ワルプルギスの夜以降、マフィアがこちらに接触してくることはない。
尾行除けの魔術は入念に使っておいたが、この街全体がマフィアの縄張りなので見つかるのも時間の問題だろう。
シグルドの言葉が、耳に蘇る。
――『掟にならい、今宵は無事に帰してやる。だが、今日以外は別だ。そのときは俺が訪ねる』
あれはどういう意味だろう?
彼は、こうも言っていた――『俺はお前たちを裁くつもりはない。そう、仮にジョン・ドゥ氏が本物の悪魔だったとしても』と。
(さっぱり分からないわね。私たちが来た目的を、すごく知りたがっていたけれど……)
目的は推し活です。
それ以上でもそれ以下でもありません。
というか推し活は『以上』などない崇高な営みなのです。
(……とか言ってもどうせ、信用しないでしょうけどね)
シグルドの真意など分かりそうもないので、いったん考えるのはやめておこう。
それよりも、今はやりたいことがある――。
ヴェロニカは、自分の手首に嵌る『罪人の腕輪』に目を落とした。つるりと滑らかな表面に、ごくごく小さな継ぎ目がある。
サイドテーブルの中の工具箱から精密ドライバーを取り出すと、それを腕輪の継ぎ目に差し込みながら魔術の呪文を唱えた。
――ぴきり。
腕輪は小さな悲鳴を上げて、いとも簡単に手首から滑り落ちた。
「……ふふ。案外簡単に外せましたわ」
実際には容易な作業ではない。
無理に外せば雷撃の術式が発動する仕様だが、ヴェロニカは発動を上回る速度の雷魔術をごく一点に集中させて回路を焼き切った。同時に結界魔術もかけて、やけどしないよう自分の腕を保護しておいた。これほど繊細に多属性魔術を制御できるのは、追放前の修行の成果だ。
外れた腕輪を摘まみ上げ、ヴェロニカは唇の端を吊り上げた。
「……やはりエルド鉱石製でしたのね。こんなにすばらしい素材を罪人の拘束具に使うだなんて、もったいない」
エルド鉱石は、国内では入手困難な素材だ。いくつもの便利な魔導具の材料になる。
「さて、何に作り替えてあげようかしら」
指先で腕輪を撫でつつ、独りごちる。
「……時限式結界あたりが便利ですわね。でも調理魔導具も捨てがたい……ああ、通信用に『恋の夢鏡』を作っておくのもいいかしら」
などと考えていたそのとき、玄関にノックの音が響いた。
「――あら。ずいぶんと短いお散歩ですこと」
どうせモルスが駄々をこねて、散歩どころではなくなったのだろう。魔道具作りは中断だ――工具とともに、罪人の腕輪はサイドテーブルにしまっておいた。
溜息をつきながら、ヴェロニカが扉を開くと。
ぬっ。と、大きな影が落ちた。
見上げるように背の高い男が、そこに立っている。
――シグルド・ドゥ。
(うわ)
反射的に扉を閉めた。
だが閉じ切るよりも早く、隙間に靴先を捻じ込まれてしまった。
(ちょっ、それ! 押し売りセールスマンがやるやつっ!)
「無粋だな。顔を見るなり締め出すとは」
今度は隙間に手が入り、扉をこじ開けられてしまった。腕力で勝てるはずがない。
「邪魔するぞ。ジェーン・ドゥ」
「…………っ!?」
う、うううウソでしょ!? ななななんでシグルドが、こ、ここ、ここに!?
と慌てふためく気持ちをまったく顔に出ず、ヴェロニカは微かに眉をひそめながらシグルドを見上げた。




