第13話:一方、聖女は……①
――この世界は、わたしのために存在している!
聖女アリアは、王城前の凱旋広場でパレードの真っ最中だ。まるで王国の宝をお披露目するかのように、アリアを乗せたオープン型の馬車はゆっくりと道を進んでいった。
「聖女アリア様だ!」
「聖女様――!」
民衆の熱狂を、アリアはひしひしと感じていた。
涙ぐんで手を合わせる老人。
きらきらした目で見つめる少年。
逞しい父親に肩車されて、身を乗り出して喜ぶ小さな男の子。
皆みんな、こちらを見ている!
アリアは、回復魔術の呪文を唱えた。
両手いっぱいに光があふれ、天高く昇ったそれは粉雪のように降り注ぐ。我先に浴びようとする老若男女を、アリアは微笑しながら見つめた。
こんな光、ほとんど演出みたいなものだ。浴びても少し疲れが減る程度――けれども人々は、ありがたがって喜んでいる。
馬車を護衛する騎士たちも、崇敬の眼差しでアリアを見ていた。視線に気づいて振り返れば、騎士たちは頬を染める。鍛え抜かれた屈強な騎士たちが、まるで初恋を知った少年のようにうぶな表情を浮かべていた。
「……ふふ」
わたしって、罪な女!
と、心の中でニタリとしながら、アリアは清らかな笑みを浮かべた――この人生、実に順風満帆である。
パレードを終えて宮殿に戻れば、王太子セドリックが満面の笑みで出迎えてくれた。
「アリア」
「セディさま!」
アリアは晴れやかに笑って、セドリックに駆け寄った。
この国で最も高貴な美青年――『鉄の貴公子』の二つ名を持つセドリックが、これほど蕩けた顔を見せるのはアリアと一緒のときだけだ。
セドリックの側近である令息たちも、アリアを囲んで競うように褒めたたえる。
「アリア様。お勤めお疲れ様です」
「アリアさま。すごくきれいでした」
「まさに聖女だな、あんたは。つい見惚れてしまった」
「うれしい。ありがとう、皆」
すかさず、セドリックが彼らとアリアの間に割って入ってきた。
「お前たち。アリアは疲れているから、そのあたりにしておけ」
牽制するような硬い声音だ。もしかしなくても、セドリックは嫉妬しているのだろう。
しなやかな所作でアリアの肩を抱くと、セドリックは再び微笑みかけてきた。
「アリア。少し休もう」
「ええ、セディさま」
彼の差し出した腕に、アリアはそっと手を添える。エスコートされながら、中庭の庭園へと向かっていった。
すれ違う女官たちが、羨望の眼差しでこちらを見ている。ちらりと見つめ返してみたら、彼女たちは慌てたように視線を伏せた。
――とっても良い気分だ。
もうじき大きな災厄に見舞われるこの国を救うのは、聖女アリア。つまりこの自分だ。だから、この程度の特別待遇はあたりまえだとアリアは思っている。
花々の咲き乱れる美しい庭園で、ガゼボに並んで腰を下ろす。セドリックは、おもむろに口を開いた。
「アリア。この前の話、考えてくれたかい?」
アリアは、小さく息を呑んだ。
――この前の話。
卒業パーティの後で、セドリックに求婚されたのだ。
ここは絶対、はずせない。
アリアは緊張に胸を高鳴らせながら、記憶しているセリフを慎重になぞっていった。
「セディさま。わたし、とても嬉しいです」
「……! じゃあ……」
「でも」
そして、まっすぐにセドリックを見つめる。
「でも。今はまだ、セディさまのお気持ちに応えることはできません」
セドリックの整った面立ちが、くしゃりと歪む。
さあ、ここからが本番だ。
セドリックの手をぎゅっと握り、アリアは真剣な表情で訴えた。
「だって、今のわたしには……まだ、早いと思うんです。聖女としても未熟なのに、王太子妃になるなんて。今のわたしでは、きっと……セディさまを幸せにできません」
――ぽろり。と、涙もこぼしておいた。
「まずは一人前の聖女になって、この国の皆のために尽くしたいんです。だから、わたし……」
「……アリア!」
感極まった様子で、セドリックはアリアを抱き寄せた。
「そんなことを考えていたんだね。――本当に、君らしい」
アリアの背中に回された腕は、力がこもって震えていた。
「わかった。待つよ。そんな君のことが、たまらなく好きだから」
そして甘やかに微笑みかけて、セドリックはアリアの額にキスを落とした。
「私はいつでも君の味方だ。どうかそれだけは、忘れないでおくれ」
「セディさま!」
強く抱きしめ合う二人。
セドリックの胸の中、アリアは深く安堵していた。
(ああ~、良かった。セリフ間違えなくて。これでまた原作通りね!)
機嫌を損ねて寵愛を失ったり、うっかり不敬に問われたりしたらと思うと緊張した。だって普通に考えたら、王太子の求婚を断るなんてありえない。
でも、アリアは断らなければならなかったのだ。
(……だって、そういうシナリオだもの。むしろ、ここからがゲームの本番っていうか?)
これまでの学園生活など、ただの序章だ。
この先に待ち受ける未来を、アリアは全部知っている。
――なぜなら、アリアは転生者だから。
物心ついたころから、日本人だった頃の記憶を断片的に持っていた。前世の自分の暮らしぶりをほとんど覚えていないのは、記憶にとどめる価値がないほどゴミだったからに違いない。不平と不満だらけの、くそつまらない人生だった気がする。
だが。
ふしぎと、この乙女ゲーのことだけは鮮烈に覚えていた。攻略対象キャラもスチルも、どのセリフをいつどこで言えば誰を落とせるのかも、全部。
前世の自分が一番お気に入りだったのは、全攻略対象からひたむきな愛を向けられるトゥルーEND――別名『逆ハーEND』だった。聖女兼王太子妃としてセドリックの伴侶になりつつ、他のイケメンたちは生涯の忠誠を誓ってアリアに操を立てる展開だ。
イケメンたちは誰一人、他の女を愛さない。ユーザーたちに絶大な人気を誇った、まさに最高の結末だった。なので当然、この人生でも逆ハーENDを獲りに行きたい。
(シナリオは順調よ。もうそろそろ、悪役令嬢ヴェロニカが悪魔の苗床になる頃ね。そうなれば、罪人の街の崩壊も目前。……ああ、この先が楽しみ!)
――そう。
原作で悪魔と契約していたヴェロニカは、死刑執行の直前に逃亡する。ヘスト・トロニカに流れ着き、そこで破滅を迎えるのだ――。
絶大な魔力を得た代償に精神が崩壊し、悪魔に肉体の主導権を奪われて暴走。瘴気によって住民たちは理性を失くして暴れ出し、さらには制御を失った魔力が街そのものを破壊してしまう。
そしてヘスト・トロニカは崩壊するのだ。
(そうすれば、次の攻略対象が王都にやって来る。――ヘスト・トロニカのマフィアを束ねていたシグルドと、弟のダルタニアン。どっちも人気キャラだった)
ヴェロニカのせいで街は滅び、居場所を失ったシグルドとダルタニアンは王都に落ち延びてくる。彼らは王都で事件を起こし、そこから恋のシナリオが始まる。
(でもシナリオ分岐があるから、片方しか選べないのよね。どちらかしか助けてあげられないなんて、両方好きだから困っちゃう!)
ど・ち・ら・に・し・よ・う・か・な。……と、まるで天の神様にでもなった気分だ。
(まあ、分岐はまだ先だし、顔を見てから決めればいっか)
セドリックの胸の中、アリアはにんまり唇を吊り上げた。このまま王都で過ごしていれば、じきにヘスト・トロニカ壊滅の知らせが届くはず。ヴェロニカの暴走が、待ち遠しくてたまらなかった。
(早く壊れてくれないかなぁ、ヴェロニカ)
――しかしアリアの胸の中には、ざらりとした違和感が残っている。
卒業パーティのとき、ヴェロニカに「悪魔契約の証」を確認できなかったのが少し気掛かりだった。
(そういえば、どうして痣が見えなかったのかしら。なにか小細工をしていたに違いないわ)
思えば学院時代にも、ヴェロニカはたまにおかしな行動を取っていた。
原作では加害が過激化していたはずの時期に、あの女はなぜかアリアに無頓着になったのだ。
ひとりで郊外のダンジョンに潜ったり、魔術の修行にいそしんでいたりしたらしい。まったく意味が分からない。
(どうしてヴェロニカは自分勝手な行動をするの? 他のキャラは皆、わたしがシナリオ通りにふるまえばちゃんと動くのに……)
自分の務めを果たさない、出来損ないの悪役令嬢。……不可解で、ひどく不快だ。
「どうしたんだい、アリア。不安そうな顔をして」
アリアが考え込んでいると、セドリックが覗き込んできた。
「……いいえ。なんでもありません、セディさま」
大きく首を振り、アリアは一抹の不安を掻き消した。
(だいじょうぶよ、アリア。原作と少し違っても、結局この世界はわたしのモノ。だってヴェロニカは、結局あの街に送りこまれたんだもの)
処刑から逃げて流れ着くはずだったヘスト・トロニカに、ヴェロニカは追放刑で送り込まれた。
経過が多少違っても、きちんと既定路線に戻ってくる――今までも、そういうケースはたまにあった。きっと『原作の拘束力』というものだろう。だからヴェロニカの件も、問題ないはずだ。
アリアは、唇をほころばせてセドリックを見つめた。
「セディさま。わたし、幸せです。この国を支える聖女として、そして――セディさまにふさわしい自分になれるように、これからもがんばります」
「アリア。私も、幸せだよ」
満ち足りた笑顔で、セドリックと見つめ合うアリア。
しかし彼女の知らないところで、運命は確実に狂いつつあった。








