第12話
――王の居室。
シグルドの執務室に通されたヴェロニカが、抱いた感想はそれだった。
重厚な机と応接用のソファが置かれ、調度品もまさに一級品である。だが壁一面に並ぶのは、武具や刀剣、魔導具類。王は王でも、ここは『マフィアの王』の空間なのだ。
ソファに座るよう命じられたヴェロニカは、背中にじっとりと冷や汗をかいていた。モルスは相変わらず気絶しているし、執務机のシグルドは重々しく口を閉ざしている。
(……これからどうなっちゃうのかしら)
まったく予想がつかない。
自分は今日の闇市にただ参加して、推しの二人を見学できればそれで満足だったのに。悪目立ちして執務室に連行されるなんて、今日のプランには含まれていない。
ちなみに原作ゲームでも、悪役令嬢ヴェロニカがシグルドたちと出会う展開はない。
(シグルドは何を言ってくるかしら。まあ、間違いなくモルスが何者なのか詰められるんでしょうけど……。マフィアの内部抗争も目撃しちゃった訳だし、口封じに殺されそうになったりするのも面倒ね)
――などと身構えていたそのとき。
「まずは礼を言う」
(え?)
シグルドの口から出てきたのは、尋問どころかお礼だった。
「組織内の不始末を客人に拭わせるとは、恥ずべきことだ。深く感謝する」
「……恐悦至極に存じますわ、奈落候閣下」
淑女の礼を返しつつ、ヴェロニカは甚く感激していた。
(おぉぉ、生シグルド! 義を重んじる硬派な性格、まさに原作通りだわ)
大柄の肉食獣にしか見えない強面なマフィアボス、シグルド。
そんな彼が、実は礼節と忠義に生きる男であることは、原作知識でよく知っている。
だが、シグルドは「まずは礼」と言っていた。礼の次に詰問されても不思議はない。
「さて、令嬢。貴女の名を聞かせて貰おうか。そちらの紳士もだ」
……しらばっくれたい。
どう転ぶか分からないのだから、あまり情報を与えるのは得策ではない。
だからヴェロニカは、軽く肩をすくめてみせた。
「しかし閣下。今宵はワルプルギスの夜――客人に名を問いただすのは、マナー違反だと伺っておりますわ」
シグルドに怒る気配はない。むしろ、物怖じしないヴェロニカを興味深げに見つめていた。
「わたくしは『身元不明の女』、連れは『身元不明の男』とでもお呼びいただければ、と」
「ほう?」
――ジェーン・《《ドゥ》》とジョン・《《ドゥ》》。
ヴェロニカは、実名を伏せてそう告げた。
『ドゥ』は家名ではなく、身元不明の者への呼称に過ぎない。シグルド・ドゥとダルタニアン・ドゥも同じだ。あえて家名を伏せている。
ヴェロニカはつまり、『あなた方と同様に、身元など明かしませんわ』という意味合いを込めていた。
「――ふっ。おもしろい女だ」
推しから『おもしれぇ女』の称号を賜るのは光栄だが、どう転ぶか分からない今は素直には喜べない。
「だがお前の言う通り、客人を暴くのはワルプルギスの夜の掟に背く。それでは『ジェーン』と呼ぶとしよう。本題に入らせてもらう」
シグルドが呼び鈴を鳴らすと、やがてノックの音が響いた。入室してきたのは、ダルタニアンだ。
「――兄貴、呼んだか?」
「ああ、済まんな。この二人のことで、いくつか聞きたいことがある」
「……こいつらか」
ダルタニアンは兄に深々と礼をしてから、警戒心に満ちた視線をヴェロニカとモルスに向けた。
「ダルタニアン。お前は、そこのジョン・ドゥ氏が魔術を使った瞬間に立ち会っただろう? そのときのことを聞かせろ」
「ジョン・ドゥ?」
ダルタニアンが、ぴくりと眉を吊り上げる。
「ああ。彼の名はジョン・ドゥ、彼女はジェーン・ドゥだそうだ」
「ふざけてやがる! 不審者どもめ!!」
ダルタニアンの美しい顔に怒気が射す。
「兄貴、こいつらは怪しい! マルコが暴れ出したのも、きっとこいつらが原因だ!!」
(えっ。なんでそうなるの?)
内部抗争の責任まで寄せられましても、困るんですが? と、ヴェロニカは心の中でツッコミを入れた。
一方のシグルドは、平静なままだ。
「口を慎め、ダルタニアン。彼らは今宵の客人だ」
「こんな奴ら、客人なものか! 今すぐ捕らえて尋問を――」
「――落ち着け」
低い声だった。
ダルタニアンが、ぴたりと止まる。
そして一瞬だけヴェロニカを睨みつけてから、苦々しい顔で語り始めた。
「――ジョン・ドゥの魔術は凄まじく、いっそ『異常』と呼べるほどだった。一瞬のうちに強烈な氷結魔術を放って、天井も柱も全部凍らせたんだ。あの短時間で呪文詠唱が間に合うはずがないし、複数人で連携しなければ、あれほどの広範囲は無理だ」
「なるほど」
シグルドは頬杖をつき、ふたたびダルタニアンに問いかける。
「それで? お前はジョン・ドゥ氏をどう思う」
「人間のはずがない。見た目通り、きっと悪魔だ」
「……しかしダルタニアン。お前は本物の悪魔を見たことがあるのか?」
ダルタニアンは眉をひそめ、「ない」と答えて首を振った。
しばしの沈黙を挟み、シグルドは軽く手を振る。
「用件は済んだ。持ち場に戻ってくれ」
「――分かった」
ダルタニアンが退室するや、シグルドはヴェロニカへと視線を向けた。
「と、俺の弟は言っていたが?」
「……私の連れは天才なので。しかも、わたくしの魔術を重ねがけして能力を高めておりましたから」
「ほう」
シグルドの眼光は鋭い。
流石に白を切るのは無理かしら――とヴェロニカが冷たい汗を流していると。
「そう身構えるな、ジェーン・ドゥ。俺はお前たちを裁くつもりはない。そう、仮にジョン・ドゥ氏が本物の悪魔だったとしても、だ」
シグルドが、そんなことを言ってきた。
「俺はむしろ、お前に大変興味を持っている。《《悪魔を従える女》》――そんなものに出会ったのは、生まれて初めてだからな」
「……ですから、彼は悪魔ではないと」
「では聞こう。お前はなぜワルプルギスの夜に訪れた? 禁制品の取引か。我が組織との接点を求めてか。それとも、まったく別の目的があるのだろうか?」
まったく別の目的――という部分を、シグルドは強調して囁いてきた。その目は爛々と輝いて、獲物を見つけた肉食獣のような光を宿している。すなわち、『絶対に逃がさない』――と。
「それは……」
ヴェロニカは返事に窮した。
――言えない。
言ったところで、理解されるはずがない。
《《推しカプを愛でに来ました》》……だなんて。
(どうしよう、困ったわ。シグ×ダルが仲よくしてる姿を拝むために潜入したんです……なんて、信じてもらえる気がしない!)
ヴェロニカとしては、客に紛れて遠巻きに見学できれば十分だった。アイドルの推し活と同じだ。
この二人の間に自分が割って入ったり、接点を持ったりする予定は本当になかったのである。推しの二人が言葉を交わし、なんなら軽く小突き合ったりハグし合ったりするのを見られたらそれで満足だったのに。
(どうしてこんなことになってしまったの!?)
人畜無害な観察者のつもりが、いつのまにやら本物の不審者になってしまった……!
「う……」
そのとき、隣の席から呻き声が聞こえた。
モルスの声だ。
ようやく目を覚ましたらしい。
モルスは血の気の失せた顔で、気だるげにこうつぶやいた。
「…………ヴェロニカ」
「あ」
せっかく偽名を名乗っていたのに。いきなり本名で呼ばれてしまった。
「おい。ここは、どこだ――ヴェロ」
「お黙りなさい」
「むぐっ」
モルスの口を押え、ばたつく彼を抑え込もうとしていると。
「――ふっ」
シグルドが不意に笑った。
ははははは。と、堪えきれなくなった様子で腹の底から笑っている。
「容易に本名が割れたな、ジェーン・ドゥ?」
「…………」
気まずすぎて、どう返事をしたらいいのかわからない。
ヴェロニカが口をつぐんでいると。
「そう身構えるな。お前たちのことは非常に気になるが、客人を暴くのは『ワルプルギスの夜』のマナーに反する。俺は組織の長として、百年守られた鉄の掟を覆そうとは思わない。壁の外に帰りたいなら、それも止めない。――本当は、去りたくてたまらないのだろう?」
お前の顔に書いてあるぞ、と言いながらシグルドは目を細めた。
図星だ。
正直言って、これ以上詰められても困る。
ヴェロニカがうなずくと、シグルドは愉快そうに笑ってこう付け加えた。
「客人が好きなときに去るのも、今宵の習わしだ。帰りたければ帰ればいい」
シグルドは呼び鈴を鳴らした。
それから執務机を立ち、ヴェロニカのすぐ目の前までやって来た。彼女の金髪をひと房取ると、その髪にキスを落とす。
目を瞠るヴェロニカに、シグルドは言った。
「掟にならい、今宵は無事に帰してやる。だが、今日以外は別だ。そのときは俺が訪ねる」
(……どういう意味?)
ヴェロニカが心の中で困惑していると、やがて幹部が入室してきた。
「お呼びですか、ボス」
「客人たちのお帰りだ。壁の外まで案内しろ」
「はっ」
……助かった気はまるでしないが、ともかく今は不問で帰してもらえるらしい。
シグルドに視線で見送られ、ヴェロニカはモルスを支えて執務室をあとにした。
――ぱたん。
閉まった扉を見つめながら、シグルドは呟いた。
「間違いなく、俺には最初で最後の好機だ――」
そして、くつりと笑みをこぼした。
「この出会いに感謝しよう。神か……あるいは《《悪魔》》の導きに」




