第11話
ヴェロニカが心の中で慌てふためいていた、ちょうどそのとき。少年らしさを残した声が鋭く響いた。
「客人を避難させるんだ!」
――ダルタニアンだ。
「全員、西の別館へ誘導しろ。負傷者の救護を急げ!」
「「「はっ」」」
ダルタニアンが指示を飛ばし、幹部たちが一斉に動く。
「土魔術に長けた者を集めろ。崩落前に天井と柱を補修するんだ。――マルコは魔力封じの枷をして、北の牢獄に隔離しろ」
なかなか見事な采配だ。
(おぉ……さすがワルプルギスの若頭……)
などと感心しそうになったが、そんな状況ではない。
数人の構成員がマルコを取り囲み、拘束具を嵌めていた。マルコはぐったりと気絶していて、魔力切れを起こしているようだ。
そしてヴェロニカのすぐ目の前には、魔力切れを起こした男がもう一人……。
(ともかく、モルスの魔力を補充しないと)
人間は完全に魔力が尽きても気絶で済むが、悪魔はそのまま死んでしまう。倒れたパートナーを気遣うような素振りで魔力を分け与えながら、ヴェロニカは周囲の様子をうかがった。
客たちはワルプルギスの構成員に誘導されて、次々と別館に移動していく。……今なら、どさくさに紛れて逃げ出せるかもしれない。
「モルス、モルス。起きなさい」
しかし小声で呼びかけても、うんともすんとも言わなかった。
そのとき。
「その客人は、オレが運ぼう」
声を掛けてきたのは、ダルタニアンだった。小柄ながらも鍛えているようで、軽々とモルスを横抱きにしてしまう。
ヴェロニカに付いてくるよう促すダルタニアンの視線は、「逃げるなよ、不審者」とでも言いたげである。
(はぅ。逃げられない……)
*
「それでは。くわしく聞かせて貰おうか?」
やがて到着した別館で、ダルタニアンがヴェロニカに問うた。
ダルタニアンの表情は硬い。彼は気絶したモルスを壁にもたれさせ、その頭に生えた黒い角をじろじろと見つめていた。
「女。――この男は何者だ?」
ダルターにゃん、おこですか? などと混ぜっ返せる空気ではもちろんなく、ヴェロニカは返答に詰まった。
周囲のヒソヒソ声が、耳に入ってくる。
「あの姿、やはり悪魔か……?」
「だが、ありえないだろう。悪魔が顕現するなんて」
悪魔の召喚は、百年に一度あるかないかの忌むべき行為。
無法地帯のヘスト・トロニカでどう裁かれるかは知らないが、ともかくモルスが悪魔だと大っぴらにするのは避けたい。
だからこそ、ヴェロニカは考えた。この場を、どう切り抜けるべきか。
やがて至った結論は――。
(……しらばっくれよう)
そう。
多少理屈があやふやでも、堂々と振舞えば案外押し通せるものだ。そうやって無茶を通す人間を、前世時代にも沢山見てきた。――今こそ、彼らを見習うべきだ。
ヴェロニカは腹をくくった。
(モルスの角は悪魔のコスプレ、コスプレ、コスプレ。私の同伴者は、悪魔フェチのコスプレイヤー……)
自分に言い聞かせるうちに、本当にそんな気分になってきた。
大きく息を吸ってから、悠然と語り出す。
「あら。お目の肥えた皆様にさえ、彼が悪魔に見えるのですか? であれば、《《わたくしの魔術は大成功》》ということになりますわね」
自信満々。
女王の風格漂わせ、ヴェロニカはダルタニアンに嫣然と微笑みかけた。
「この者が悪魔のような外見に見えるのは、幻覚魔術の影響ですわ」
「幻覚魔術だと?」
ダルタニアンは顔をしかめた。
腰に提げた剣を鞘ごと引き抜くと、鞘の先でモルスの角をコツコツと突いてみせる。
「角の感触がある」
「それさえも幻覚でございます。感触誤認効果を付与しておりますの。わたくしが編み出した、新しい術式ですのよ」
すらすらすら。口から出任せが、立て板に水の勢いで滑り出す。
「能力強化の術式に、悪魔の外見となる幻覚魔術を組み込みました。外見変化は潜在意識を呼び覚まし、秘めたる力を引き出すのです。今日の宴で、ご披露できればと思っておりましたの」
苦し紛れに捻くり出した屁理屈だが、この身体で語るとそれっぽく聞こえる。
あらためて、すばらしい悪役令嬢に転生したものである。
「そもそも、悪魔がこのように無様に気絶するはずがないとは思いませんか?」
おほほほ。と軽やかな笑みをこぼしたヴェロニカに、ダルタニアンは胡乱げな視線を返してきた。
それでは、私たちはこのあたりで――と、話題を切って退出してしまおうとすると。
――そのとき。
「ほう。実に興味深い」
聞き覚えのある低い声に、ヴェロニカは内心どきりとした。
(うわ。シグルドまで来ちゃった……)
ふり向けば、そこには奈落侯シグルド・ドゥが立っていた。
ダルタニアンを始めとするワルプルギスの一同が、一糸乱れず礼をする。
「兄貴――」
靴音を響かせて歩み寄ってきたシグルドを、ダルタニアンが申し訳なさそうに見つめる。
ヴェロニカにとっては、推しカプの尊いツーショット――本来であれば垂涎ものの光景だが、今の状況ではちょっとしんどい。
ダルタニアンは唇を噛むようにして、悔しげな声を絞り出した。
「すまない、兄貴。――俺が収めるべき場だった」
だがシグルドは弟の肩にぽん、と軽く手を置いて労いの声を掛けた。
「いや、申し分ない。お前の采配は適切だ」
そのまま弟の脇を通り過ぎ、シグルドはヴェロニカのすぐ前までやってきた。
「令嬢。今の話、詳しく聞かせてもらおうか」
「……」
断る選択肢はない。彼はこの街の「王」なのだから。
「かしこまりましたわ。奈落候閣下」
カーテシーで応じたヴェロニカを一瞥すると、シグルドは客たちに視線を投じた。
「参加者諸兄。先ほどは見苦しいものを見せた。主催者として詫びよう。――だが、宴には多少の余興もつきものだ」
そして会場を見渡して、静かな声でこう続ける。
「今宵のことをわざわざ外で語るほど、野暮な客はこの場におるまい? 紳士の宴で知り得た秘密には、互いに最大の敬意を払う――その流儀を解さぬ者がもし在れば、私は深く失望する」
場は凍ったように静まり返り、客たちは息を呑んでいた。奈落候の『失望』が命に関わるものとなることを、理解できない者はいない。
「ダルタニアン。宴は引き続き、お前に任せる」
ダルタニアンの整った面立ちに一瞬、苦いものを飲み込むような表情が走った。
「…………承知した」
鉛のような沈黙の中、シグルドは再びヴェロニカを見据える。
「それでは、貴女らを案内しよう」
シグルドが部下に視線で合図を送る。幹部のひとりが進み出て、モルスを肩に担ぎ上げた。案内という名の連行だ。
ヴェロニカは素直に従うしかなかった。
この罪人の街を支配する、奈落侯シグルド・ドゥの執務室へ――。




