第10話
ワルプルギスの夜が始まった。
広間にいる客たちは盛んに情報交換をしており、広間の外では大小さまざまな部屋で商品の売買が行われていた。照明を抑えた薄暗がりの中、魔術書や魔導具を取り囲む客と売人の光景はどこか幻想的だ。
(シグルドとダルタニアンは、こんなところに住んでいたのね……!)
ちなみに原作ゲームでは、この城やワルプルギスの夜はまったく登場しない。
シグルドとダルタニアンがゲームシナリオに絡むのは数か月以上先のことで、過去をふり返って『裏社会のトップだった』と語られるにとどまる。
(聖地巡礼。からの、リアルタイムで推しと同じ空間にいられるこの幸せよ……)
内心の興奮が顔にはまったく出ないのが、悪役令嬢ヴェロニカ・ベルトランの美徳である。
ヴェロニカは、奥の回廊に控える数名の男たちを視界の端に入れた。彼らは全員、ワルプルギスの上級幹部に違いない。シグルドと同系統の軍装めいた服飾が、地位の高さを物語っている。
――と。
次の瞬間、ヴェロニカの目が大きく見開かれた。
(……いた)
モルスの腕に添えた指に、思わず力が入ってしまう。ヴェロニカの目は、釘付けだった。
(あの子は………………ダルタニアン・ドゥ!)
金髪碧眼。年の頃は十四、五歳。
幼さを残した中性的な美貌は、高貴な猫を思わせる。
「おい、ヴェロニカ?」
「(おほっ。ご尊顔!!)……」
さりげない熱視線でダルタニアンを見つめるヴェロニカ。その視線の先を探って、モルスは小さく首をかしげた。
やがて上級幹部たちは自身の持ち場へと移動し、ダルタニアンは広間の方向へと向かっていった。
遠ざかっていく小柄な背中を見守っていたヴェロニカは、モルスの腕をそっと引いた。
「モルス。広間へ戻りましょう」
さりげなく。
至極さりげなく、場内を巡るそぶりで推しの背中を追っていく。
できるだけ同じ道筋で歩きたいし、ダルタニアンが踏んだのと同じ床を踏んでおきたい。
同じ道をたどれば、推しが吸ったのと同じ空気を吸えるはずだ。奈落は滅多に来られる場所ではないから、存分に吸い尽くしておかなければ。
――などというのは顔には出さず、ヴェロニカが静かに深呼吸を繰り返していると。
「……臭い」
と、モルスが無粋なことを言ってきた。
「あら。なんてことを言うの、モルス」
ふり向けば、彼はひどく不快そうな顔をしている。
「この悪臭によく耐えられるな、貴様は」
あんた潔癖症か。と、内心ヴェロニカは呆れた。
「お香の香りでしょう? 乳香や没薬を焚いている部屋があったもの。虫が嫌う匂いだし、魔除け効果もあるんですって」
「おい、虫扱いするな」
声を鋭くしたモルスの唇の前に、ヴェロニカは「しぃ」と指を突き出した。
「大きな声を出さないで。マナー知らずは追い出されるわ」
「……ちっ」
モルスは一度黙ったものの、落ち着きなく周囲の様子をうかがい続けている。
「ヴェロニカ、変装を解かせろ」
人間をやめて悪魔の姿に戻りたいというのか――こんな場所では絶対に御免だ。
「ダメに決まっているでしょう?」
「だが、この姿では勘が鈍る」
何の勘よ……。と、ヴェロニカは肩をすくめた。
「ねえ、モルス。お願いだからいい子にしていて頂戴」
「だが」
「聞き分けが悪いと魔力を絞るわ」
「……っ。おい、今絞っただろう」
広間に戻ると、ダルタニアンの姿はすぐに見つかった。控室につながる隅で、他の幹部から報告を受けているようだった。
(ダルタニアンは組織の最年少だけど、シグルドの後継者だから若頭ポジションなのよね……)
大勢の客に混じりながら、ヴェロニカは離れた場所からダルタニアンを見つめていた。
切れ長の大きな瞳が、不愉快そうに細まっている。話の内容までは分からないが、部下の報告が気に入らなかったのかもしれない。
(ダルターにゃんってば本当にネコ科。ツンとしてても可愛いわ! ……シグルドは、ここにはいないみたいね。シグ×ダル揃った姿を拝めたら最高なんだけど)
などと妄想を吐き散らかしていた、そのとき。
ダルタニアンに頭を下げていた幹部の男が突然、がくりと膝を落とした。
(……?)
「おい、ヴェロニカ。やはり、あの人間――」
モルスが呼びかけてきたのと、同時。
幹部の男に異変が起こった――。
***
「申し訳ありません、ダルタニアン様」
頭を下げてきた部下に、ダルタニアンは鋭い視線を送った。
ここは奈落の大広間。
ワルプルギスの夜に訪れた客の見張りをしながら、ダルタニアンは部下の報告を受けていた。
「せめて期間だけでも縮めるべきだとボスには話しましたが。……『ならん』と」
「……くそ」
不満を隠さず、ダルタニアンは顔をしかめた。
「古参のお前にも、兄貴は耳を貸さないか。……まったく、この非常事態に兄貴はなにを考えているんだ」
拳をきつく握りしめ、ダルタニアンは奥歯を噛みしめた。
「今回のワルプルギスの夜は、延期すべきだった。こんな状態でやって、万が一綻びが出たら組織はどうなる……?」
最近、組織メンバーの中に『異変』を来す者が何人か出た。
ただの異変ではない――そして原因も分からぬままに外部の者を招くなど、危険以外の何物でもないとダルタニアンは危惧していた。
「……兄貴の判断を疑いたい訳じゃない。あの兄貴が間違えることなんて、絶対にないはずだ。――だが」
ワルプルギスの夜は今日から3日間。
休止にはできなかったが、やはり何としても短縮を――
ダルタニアンが思いを強くしていた、そのとき。
「……く、…………ぅ、あ“ぁ」
目の前の部下が、苦悶の声を漏らした。
「おい、マルコ。どうしたんだ」
がくりと膝を折ったマルコは、胸を掻きむしって苦しんでいる。
ダルタニアンは顔をこわばらせた。
(……毒か? いや、違う……まさか)
これは――と確信した瞬間。
マルコが顔を上げた。その目は真っ赤に血走って、魔獣のように牙を剥いている。
「マルコ! お前まで……」
マルコは獣めいた叫びを上げて、ダルタニアンに飛び掛かってきた。
「馬鹿野郎……!」
腰に提げていた剣を鞘ごと引き抜いて、鋭くマルコを打ち伏せる。だが、その程度では止まらなかった。荒い呼吸を繰り返すマルコの周囲には、奇妙な空気の渦が巻き起こり――
「やめろ、マルコ――」
マルコの周囲の空気が爆ぜ、爆風が広間を襲った。
ダルタニアンは結界の魔術を張ったが、衝撃は殺しきれない。付近の客が吹き飛ばされ、自身も壁に打ち付けられる。
「……か、はっ」
突如の騒ぎに悲鳴が上がった。
次の瞬間、広間を支える支柱のひとつに亀裂が走った。まずい――そう思ったときには既に、支柱は轟音と共に崩れ始めていた。
***
(きゃぁあああ――――!?)
ヴェロニカは、思わず心で絶叫していた。
いくらなんでもこれは慌てる。ダルタニアンの部下がいきなり暴れて、爆風の魔術をぶっ放してしまったのだ。
(え、今のあれ内部抗争!? 乙女ゲーの語られぬ過去に、こんなハードな展開が!?)
などと言っている場合ではない。
支柱を失った天井が、今まさに崩落しようとしている。ばらばらと漆喰片が降り注ぎ、天井全体がぎしぎし悲鳴を上げていた。
(これ、やばい!)
逃げるか。結界魔術でしのぐか。悩んでいる暇なんてない。ヴェロニカは結界魔術の呪文を詠唱し始めていた――しかしそのとき。
「どけ!」
(……え?)
なぜかモルスが、ヴェロニカを押しのけて氷塊を撃ち放った。
天井に当たった氷塊がパリパリと広がっていき、崩れかけの天井と支柱を一瞬で覆い尽くす。
――崩落が、止まった。
「……どうして」
モルスが崩落を止めた。
なぜ止めてくれたのか、考えるより早くモルスの身体が傾ぐ。
「モルス!?」
ぜいぜいと荒い息の下、モルスは血の気の失せた顔をしていた。
「…………出力を、誤った」
何の話だ。
問いただす暇もなく、その場にばたりと倒れてしまった。
「おのれ……身の程を……――下等………………この、私を…………侮……」
呪詛を吐くような顔でうわ言を言いながら、そのまま気を失っていた。
「ちょっと……」
床に伏す彼を見つめたヴェロニカは――
(――角、出てるけど!?)
なんで!? と叫びたくなった。
悪魔の角が丸見えだ。
変装が解けかけているらしく、漆黒の髪も毛先が赤く滲んできている。
(まさか今ので魔力切れ? 変身が維持できないまで使い切ったの!? え、死んじゃうよモルス待って待って――)
ヴェロニカはしゃがみ込み、魔力を分け与えようとした。
だが、周囲の視線は自分たちへと寄せられている。
「なんだったんだ、今の魔術」
「あの男、人間じゃないぞ……!?」
「(モォルスゥウウウウウ!!!!?)…………」
毅然とした表情の裏、ヴェロニカは心の中で大いに慌てまくっていた。




