44 戻れない
予約投稿しようとしたのに時間間違えました、ごめんなさい……!
「まぁ、腫れてしまっているのだわ。分かってはいたけれど、ちゃんと冷やせば良かった……」
オルフェウスに諭され、色々な感情から号泣してしまった夜から一夜明けて。
シャロンは洗面台の鏡に映る自分の顔に恥入りながら洗顔していた。
普段はパッチリと開いた美しい猫目が特徴のシャロンの瞳は、腫れて薄くしか目を開けられなくなっているし、二重もなくなっている。
(不謹慎だけれど、こういう不細工な顔をお兄様が見れなくて良かった、なんて。こう考えるのはダメかしらね。)
「……おはよう、シャロン。」
オルフェウスは意外と寝起きが悪い。
スノールナベルの家にいた時も、オルフェウスは起こしにきたシャロンに向かって「あと5分……」を連発していたものだ。
そんな彼は、シャロンが朝食用のパンを並べたところで(シャロンは料理ができないので、こうするしかないのだ)寝巻きのまま一階のリビングに降りてきた。
昨夜の恐ろしかった姿は見る影もなく、今のオルフェウスはただの色気の暴力である。
寝巻きはずり下がって細い左肩が見え、長いまつ毛をシパシパと何度も上下させ、まだ寝足りないのかダランとした雰囲気が漂っている。
(……寝ぼけたお兄様になら、わたくしでも勝てそうね。)
昨夜のことを思い出して少し赤面しながらも、シャロンは笑顔で愛しい兄……ではなく夫に挨拶する。
「おはようございます、オルフェウス様。髪を梳かしまて結って差し上げますから、少しお待ちになって。あ、椅子はそのまま5歩ほど歩いた先にありますわ。」
「……ん…。」
淡い水色のパジャマに焦茶色の革靴というチグハグな格好の上に、可愛らしく欠伸をする退廃的な雰囲気の20歳男性。
改めて要素を抽出してみると、我が夫ながら末恐ろしい。
シャロンは自分が使っている櫛といつもオルフェウスの髪を止めているリボンを手に持って、オルフェウスの背後に回りながら思う。
「オルフェウス様、パンは目の前のお皿にありますわ。……その、どうすれば料理人が持ってきてくれる時のように暖かくなるのか分からなくて、冷たいままなのだけれど。」
「……ん、分かった。……ふわぁ、んん……ん、シャロンおはよう。髪を結ってくれているんだね、ありがとう。」
(あ、お兄様が覚醒したわ。)
先ほどまでのフワフワした雰囲気が急に消えて、穏やかなもののどことなくキリッとしたオルフェウスの顔が現れる。
「ふふ、おはようございます。オルフェウス様の髪はストレートで羨ましいわ。わたくしの髪は癖毛だから、こんな風に綺麗にまとまるの、良いですわねぇ……」
「シャロンの髪は触り心地が良くて、私はそちらの方が羨ましいと思うけれど。それに、君のその髪は母上譲りだし。」
最後の言葉は無意識に出てしまったようだった。
オルフェウスが「あっ」と口に手を当てるのが見えた。
「お母様は三つ編みがお好きだったわね、お兄様。ふふ、じゃあお兄様の今日の髪型は三つ編みに決定ね!」
わざとらしく明るい声を上げてみせる。
「……うん、ありがとう。」
シャロンとオルフェウスの間で、実の母の話はタブーのようなところがあった。
話し合って決めたとかではなく、暗黙の了解。
優しくて、穏やかで、でも剛気なところもあった母。
母とオルフェウスとシャロンの3人で過ごしていた頃が、本当の「幸せな生活」だったのかもしれない。
(お母様が亡くならなければ、お兄様とわたくしは多分「普通」の兄妹でいられたの。こんな、こんな……)
歪じゃ、なかったはずだったのに。
「シェリ、シェリ!こっち来て!」
(お兄様?)
懐かしい愛称が聞こえた気がした。
「おにいちゃん、どうしたの?」
わたくしがいる。
小さい、わたくし。
(ああ、あの時の。記憶なのか、夢なのかしら。)
わたくしの目の前には、美しいアメジストのような藤色の瞳。
ああ。
お兄様の綺麗な目。
わたくし、お兄様のこと大好きだけれど、一番好きなのはキラキラ光る瞳だって言ったことあったかしら。
「うんと、見せたいものがあるんだ!だから、来て?」
お兄様に手を引かれてやってきたのは、スノーリナベルの家の庭だった。
(お兄様が自分から陽の下を歩いてる……)
「わぁ!バラ!咲いたのね!綺麗ね!」
「今日の朝水やりに来たら咲いててね、シェリに一番に見せてあげようって思って。シェリ、楽しみにしてたから。」
幼いわたくし達の目の前には、ピンク色のミニバラが一輪咲いていた。
お兄様が庭師と一緒に育てていたバラ。
わたくしの好きな花がバラだからって育ててくれたの。
「オルフィ、シェリ!朝食ができたから入ってらっしゃい!」
(……おかあさま?)
元気な母の声は、この記憶が最期だった。
「はぁい!おにいちゃん、行こう!パンケーキっておかあさまが言ってたの!」
2人が去った後には、みずみずしい輝きを残す小さな一輪のバラだけが残されていた。
永遠に枯れない、わたくし達「兄妹」の記憶。
次の日からオルフェウスの体調が少しずつ悪くなるなんて、この時は全く思ってもみなかったの。
お母様もお兄様と同じ病気にかかって亡くなるだなんて思ってなくて、お兄様のあの美しい紫の瞳がわたくしを映さなくなるなんて、考えたこともなかったのです。
「おにいちゃん、」
「……シャロン?」
うわごとのような掠れた声から発せられたのは、懐かしい響きだった。
母上が亡くなってから、シャロンは私のことを「お兄様」と呼ぶようになったから。
それにつられるように、私も彼女のことを「シェリ」と愛称で呼ぶことは無くなった。
私の髪を結うのをやめてしまったシャロンが泣いている。
「おにいちゃん、わたくし達、2人ぼっちね。」
「……そうだね、シェリ。私達は永遠に2人ぼっちなんだよ。ずっと、そうだっただろう?」
母上の葬式で父上が愛人と義妹を連れてやってきた日から、私達は「仲の良い兄妹」から「この世界でお互いの孤独を喰らいあう2人の人間」に変わってしまったんだ。
「もう、今更戻れないんだよ、シャロン。」
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