32 隠した感情
新年あけましておめでとうございます。
「お、お兄様!?」
シャロンは「オルフェウス」と呼ぶのも人前だということも忘れて、オルフェウスの頬に躊躇なく触れる。
「どうなさったのですか!?わたくしが強引に進めてしまったから?素養の検査を受けるのはお嫌でしたかっ……」
オロオロしながら、スラリと背の高いオルフェウスの顔に手を伸ばし、とめどなく流れる涙をその白魚のような細い指でぬぐうシャロン。
涙とシャロンの指に嵌まる指輪が、室内の明かりに照らされてキラキラと光る。
オルフェウスは少しの間流れる涙をそのままに、唇をキュッと引き結んでシャロンの手の温もりを受け入れ続けていた。
なんとなく理由が分かったらしいアーベルは生暖かい目をシャロンとオルフェウスに向けながらも、茶々を入れるようなことはせず静かに行方を見守ってくれている。
「っ……。違う、違うんだシャロン。君の、せいじゃないんだよ……。なんだか、嬉しくて。」
「嬉しい、ですか?」
シャロンが長いまつ毛をパチパチと上下させる。
「うん、そうなんだ。私にも、出来ることがあったのだなと思ったら、とても嬉しくなったんだ。」
そう言いながら顔を赤く染めたオルフェウスは、涙を掬っているシャロンの手に頬を擦り付ける。
いつもならこんなことをされたら、シャロンは「お兄様大好き!」とか何とか言ってイチャイチャしようとするのだが、今日はそんな気分にはならなかった。
否、なれなかった。
(お兄様、なんだか小さい子どもみたいだわ……。今までおくびにも出さなかったけれど、心の中では焦っていたり、もどかしかったりしていたのかしら。)
オルフェウスは、いわゆる視覚障がい者だ。
そして、この世界は彼にとって生きやすいとはお世辞にも言えない。
特にオルフェウスは9歳までは健常者として暮らしてきたため、やはり以前と同じようにはいかない体や生活にわだかまりを抱えていたのかもしれない。
『自分は何もできなくなってしまった。』
『シャロンがいないと何も出来ないんだ。』
これらの言葉は、彼の中では実は「シャロンに依存させたいから」という皮を被った「自分への劣等感」だったのだ。
そんな彼が初めて『魔導師になれるよ』と言われた。
「目が見えないオルフェウスでも関係なく、貴方だから出来るものがあるよ」と教えられたのだ。
オルフェウスが長年抱えてきたコンプレックスと折り合いがつけられて、前に進めるよと言われたらそれはとても嬉しいことに決まっているだろう。
だから、シャロンにとっても嬉しいことの、はず、なのだ。
(何故、こんなにモヤモヤしているの?お兄様にはわたくしだけだと思っていたから?)
『お兄様にとってわたくしの存在は、救われるものじゃなかったのね。』
(それとこれとは違うはずよ、嬉しいことのはずでしょう?)
『わたくしがいないと何も出来ないって言っていたのに。』
(お兄様が前向きになれているのだから、そんなことを思ってはダメよ。)
『いらなくなったら、お兄様もわたくしを捨てるの?』
国外追放を言い渡したフィリップのように。
縁を切ったお父様のように。
いじめてきたメーニャや義母、義弟たちのように。
病気で死んでしまった、お母様のように。
(そんなのは嫌!わたくしにはお兄様しかいないの。お兄様しか……)
初めは素直にオルフェウスと同じものになれることが嬉しくて、あの地獄のようなロノヴァン王国やスノーリナベルの家から抜け出せて良かった、と思ったのに。
嬉し涙を流すオルフェウスを、迷子になってようやく家に帰れた幼子のようだと思って。
わたくしがしっかりしなきゃと思ったのに。
(なんで、わたくしは足を引っ張るような醜い感情を抑えられないの?)
シャロンは黒い感情が泉のように湧き上がる自分に、心底失望した。
そして同時にこんなに汚い気持ちは、シャロンが死ぬまで隠さなきゃと思ったのだった。
シャロンはふわりと綺麗に笑って最愛の兄の頬を撫でる。
オルフェウスには視えないのに、鋭い兄は少しでも隙があれば気づいてしまうから。
この醜い気持ちは隠し通さなきゃいけないの。
「お兄様、良かったですわね。わたくし、お兄様と一緒に魔導師になれる日が今から楽しみですわ!」
意識して明るく振る舞ったシャロンに気づいた者はおらず、彼女は自分の薬指に嵌まる指輪がギュッと絞まる錯覚を覚えただけだった。
◆◆◆
「さて。兄妹の戯れはそこまでにしておいてくれ。俺はこの後も来客の予定が詰まっているんだ。」
「ああ、すまないね。大公閣下に見苦しい所を見せてしまった。」
オルフェウスは泣き止み、気恥ずかしそうに泣いて赤くなった自分の目尻を軽く撫でた。
「いいや?誰しも涙を流す時間は必要だ。むしろ良かったよ、嬉しさからくるもので。……もう、悲しみの涙はこりごりだからな。」
アーベルは背中に隠した右手でギュッと、手のひらに爪が食い込むほど強く握りながら、何でも無いように軽く笑った。
「アーベル閣下。今日はお会いできて大変光栄でしたわ。……そういえば、魔導師の素養があると分かってからはどうすれば良いのでしょう?」
シャロンは何くわない顔でアーベルに微笑みかける。
「ギルドに行くといい。魔導師に限らず、職業関連のことはギルドに行くのが一番早い。日常生活関連もな。住居のあっせんなんかもしているから、ギルドの人間と仲良くするに越したことは無い。」
シャロン達の後の仕事を思い出したせいか、アーベルの口調や纏う雰囲気がまた将軍の方になっている。
(この感じだと、もう長居はできないわね。おいとましましょう。)
「では、改めて今日はありがとうございました。御機嫌よう。」
「アーベル公、素養の検査や情報、何から何までどうもありがとう。君に会えて良かったよ。」
2人の挨拶をアーベルは鷹揚に首肯して受け入れる。
「こちらこそ。シャロン嬢、君は随分と振り回されているのだから、幸せになりなさい。君の兄……夫と共に、だ。共にいられる時間を大切にするんだ。離れるのは一瞬だぞ。」
その言葉にはアーベルの人生の「将軍」としての後悔が乗っているようで、シャロンは心に抱えた真っ黒な気持ちと共にズシンと背負う重みに潰れそうになるのだった。
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