30 大公との面会
コンコン。
「旦那様。オルフェウス様とシャロン様をお連れいたしました。」
「入れ。」
威圧感のある低い声が、重厚なドア越しに聞こえた。
通された部屋は、大きなマホガニーの長方形の机と4脚の椅子が置いてあるだけの簡素な部屋だった。
城の外見からも滲み出ていたが、どうやら代々の城主、つまりジェシャートヴァ大公に任命される者達は、飾り立てるのが好きでは無いらしい。
その机の扉から最も遠い場所に、アーベルは座っていた。
真っ赤な髪を短く刈りそろえ、ルビーよりも煌々と輝く瞳は鋭くこちらを射抜いていた。
鍛え上げているのが良くわかる圧迫感のある体躯に、無骨な手。
その武人らしい見た目と同居する、元王族らしい優雅さ。
久しぶりに見たジェシャートヴァ大公アーベルの姿に、シャロンは知らずのうちに息を詰めた。
シャロンと目が合ったアーベルは僅かに目を伏せる。
それを伏し目でチラリと見ながら、シャロンはその場で美しいカーテシーをした。
「……本日は、わたくし達のためにお時間を取って下さり感謝致しますわ、大公閣下。」
「スノーリナベル嬢、で間違いないな。」
「いいえ。もうその家名は名乗れませんので、ただのシャロンでございますわ。」
「……。そちらは、兄君か。」
鋭い目線を向けられたオルフェウスは、声がする方向に向かって軽く一礼した。
「初めまして、ジェシャートヴァ大公閣下。私はオルフェウス、シャロンの兄でもあるけれど、今は夫だ。」
オルフェウスの名乗りに、酷く重苦しい沈黙が場を支配する。
(息が詰まるのだわ。以前お会いした時より格段に口数が少ない……)
「俺はスノー……いや、シャロン嬢がフィリップ第二王子に国外追放を言い渡された後、スノーリナベル伯爵に実兄オルフェウスと国を出るよう言い渡された、と聞いた。」
それと、ロノヴァン王国の国境を超えたことも。
「だが、いつ夫婦になった?」
(あ、え、そこなの?)
真面目な顔をしているし、アーベルは硬派だからてっきり「兄妹は夫婦になれないがどういうことだ」などと聞かれると思ったが、そっちなのか。
「まだ正式な婚姻届は出していないよ。大公閣下に永住許可を頂けたら、すぐにでも出そうと思っていたんだ。だから、今は残念なことに、私達が勝手にそう名乗っているだけに過ぎない。」
オルフェウスが飄々と返す言葉を聞いて、アーベルは僅かに肩の力を抜いたように見えた。
「そうか。……永住許可のために来たのだったな。」
事実確認だけして淡々と書類を探しているアーベルの心情も気になるが、それよりも。
(お兄様ってわたくしと婚姻届を出す気があったのね!?)
シャロン的には大変な驚きである。
一気に心拍数が上がり、そんな場面ではないのに頬が赤くなる。
そもそも『夫婦と名乗った方が色々やりやすいから』という理由で始まった夫婦関係。
オルフェウスと良い感じになったことはあっても、毎回「いやでもやっぱり勘違いだわ……」と泣く泣く諦めて、シャロンは一人悲しい思いを抱えていたのに、あれはなんだったのか。
(いえ、でもこれもお兄様の方便かもしれないし。期待しない、期待しない……)
『アーベルにそんなことを言ってもメリットが無いのに?オルフェウスは本当にシャロンと結婚してくれるかもしれないよ?』という悪魔の囁きを無視して、シャロンは今やるべき事に意識を向けた。
「これが書類だ。永住許可を出すということは、俺の庇護下に入ることを意味する。つまり、もうロノヴァン王国の人間では無くなるという事だ。それを承知でここまで来たんだろうな?」
書類を見つけ何事か書き足していたアーベルが、ペンを走らせながら尋ねる。
毎日同じようなことを、永住許可を貰いに来る人間に言い続けているのだろう。
手馴れた事務的な声色だった。
「ええ、承知しておりますわ。むしろ閣下は、わたくしを庇護下に置いてよろしいのでしょうか?その、お立場的に。」
「……ふむ。俺は『平民の』シャロンとオルフェウスという人間を受け入れただけだ。そう言えばシャロン嬢の懸念は消えるか?」
(ああ、そういうこと。万が一ロノヴァンといざこざがあっても、夜会で何度か顔を合わせた仲とは言え知らぬ存ぜぬで通せないことはないし、『スノーリナベル伯爵家』のシャロンとして対応しないといけなくなった時は、『平民の』では無いから干渉しないということね。)
つまるところ放置である。
「かしこまりました、ありがとうございます。」
そして恐らく、こんなつまらない書類仕事をアーベル自らがやっているのは、大公自らが言質を取ってこの取引で争いが生まれるのを無くそうとしているからなのだろう。
(大公閣下も大変ねぇ。)
「だがまぁ、」
「はい?」
急に明るく変わった声に、シャロンは伏せていた目を大きく開く。
「目の見えぬ夫を女一人で支えるのは大変だろう。俺の領民として、不自由な生活を送ることは認めない。……日常生活に限り、困ったことがあったら言え。ギルドに話は通しておく。」
僅かに目を細めて笑ったアーベルを見て、「ああそういえば、夜会ではこんな人だったな」とシャロンは思った。
アーベル大公は敵を容赦なく殲滅する将軍だが同時に、柔軟に策を弄する軍師でもある。
武人らしい厳しい顔と柔らかな顔の二面を使い分けることくらい、彼にとっては朝飯前なのだ。
「ほら、書類に署名しなさい。そちらのオルフェウス殿は難しいだろうから、シャロン嬢のサインのみでこの書面は効力を持つ。」
「分かりましたわ。感謝いたします、アーベル閣下。……写しも頂けます?」
「ああ、後で渡そう。で、身分証はこれか。……シャロン嬢、君の犯罪歴は面白いことになっているじゃないか。そうだ、フィリップ第二王子とのあれこれは聞いたぞ、おめでとう。」
「閣下、曲がりなりにも隣国の大公が言ってはいけませんわ。ありがとうございます。」
うふふ、と腹黒い笑顔をお互い見せながら言葉を交わすシャロンとアーベル。
「君は夜会に第二王子の婚約者として来る度、目が死んでいたからな。俺としては少々気がかりだったんだ。君の家の話も『影』に聞いていたし。兄を夫にするなど流石に気が触れたかと思ったが、君達の境遇や今の立場を思えば理解はできる範囲だ。」
納得は難しいが。とオルフェウスに目を向けるアーベル。
「納得はして頂かなくて結構だよ、アーベル公。私達には私達の形があるんだ、邪魔さえしないでくれたら構わない。」
オルフェウスが静かに言う。
「ハハ、邪魔だてなどしない。が、2人とも。ロノヴァンの王宮は近頃慌ただしいぞ。君の後に新しく第二王子の婚約者になった、君の義妹のことで。」
(平民ならいざとなれば遠慮なく消せるからと、他国に『影』を潜ませていることを匂わせまくりますわね、この方。)
「……そうなのですか、あの子がわがまま放題とか?」
「大まかに言えばそうだ。君に1つ情報をやろう。ロノヴァンの王妃が君を探しているぞ、『スノーリナベル』嬢。」
対岸の火事なので干渉せず、楽しく野次馬するだけのアーベルに向かって、シャロンは思わず「あ゛?」と淑女らしからぬ声を出してしまった。
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