26 アーベル大公
「ジェシャートヴァ大公・アーベル。そういえば彼は大公領の西側、カラユイから馬車で3時間のヤロスラーフの城に住んでいるのだったかな。」
「ええ、そうでわね。でも何故今大公閣下の話……あ。」
「シャロン、思い出してくれた?明日か明後日にでも、彼に面会の申し込みをしに行こうと言っただろう?今のうちに情報を集めておきたくてね。」
そういえばそうだ。
オルフェウスの体調が回復次第、早めに永住許可を貰ってホテル暮らしを辞めたいねと話していたのに、その後のことが濃厚すぎてすっかり忘れていた。
シャロンは兄の話を忘れていたことに恥じ入り、話をスッとすり替えられたことに気付かず、第二王子妃として勉強していたことを思い出し始めた。
サダルカマド立憲王国における大公とは、『王弟が王位継承権を放棄した時に、代わりに与えられる地位』のことである。
立憲王国では国王の代ごとに1人、必ず「継承権を放棄したい」という者が現れる。
王は弟のために、南部の広い土地の管理を任せ、これがジェシャートヴァ大公と呼ばれるのだ。
(つまり、大公の子ども達は大公にはなれない……。他の爵位を与えられたり、騎士になったりするようだけれど、完全世襲制のロノヴァンとは全く違うわね。)
と言っても、ジェシャートヴァ大公が特殊なだけで、他の貴族達は世襲制である。
何故かジェシャートヴァ大公家だけ違うなのだ。
(まさか、ドラゴンが封印されている土地を王族に監視させるため……?いやいやそんな伝説、プロパガンダに決まっているわ。最近では誰も信じていないし。)
大公は代々武勇に優れた者が選ばれる傾向にある、らしい。
シャロンも詳しくは知らないからハッキリしたことは言えないのだが、確かに今代の大公・アーベルは策謀と剣技に優れているという評判を聞いたことがある。
では、本題のアーベル・ジェシャートヴァ。
彼は今代の国王の年の離れた弟である。つまり、籍を抜けてはいるが元・王族。
別名『勇猛公』と呼ばれ、ロノヴァンを含む近隣諸国に恐れられている武芸の天才だ。
燃え上がるような赤い短髪に、ルビーのような真っ赤な瞳が特徴の整った顔立ちの青年で、服の上からでも鍛え上げられた肉体がよく分かる、ワイルドさと思慮の深さが同居した不思議な雰囲気を持つ人だった、とシャロンは思い出す。
(夜会で見たあの方は、周りに人がおらずぽっかりと空いていて、静けさの中に1人佇む人でしたわね。)
彼のことがよくわかるエピソードがある。
弱冠16の時の初陣の時。
彼は、並外れた知略と勇敢さでサダルカマドの東部にあるカシュ王国軍を壊滅に追い込み、それまで8年続いていた戦争を終わらせたのだ。
つまり軍師と大将を兼ねる存在。
そんな彼を讃え、アーベルは18の時に将軍の地位を賜り、ついた二つ名が『勇猛公』というわけだ。
国民からの人気も高く、彼を次期王に推す声も上がったためか、19歳の時に王位継承権の放棄を宣言して今のジェシャートヴァ大公の地位についた。
(もう24歳くらいだと思うけれど、『いつ戦場で死ぬかも分からないし、子どもが継承権争いに巻き込まれる可能性が無いとはいえない』と、いまだに婚約者もおられないのよね……。)
元・王弟ということもあり淑女たちの中では超優良物件なのだが、アーベルが全て断ってしまうのだ。
いつもヤロスラーフの城に執務のために籠っているせいで、兄国王に懇願されない限り社交界にも姿を表さないとか、シャロンがフィリップの婚約者として夜会に出ていた時は色々と囁かれていたものだ。
「……あの方、見かけは筋骨隆々で少し怖い方ですが、話してみれば意外と気さくで話しやすい方でしたわ。無表情の時が多いですけれど、笑えばもっと人気がでるでしょうね。」
(フィリップ殿下と比べるのもおこがましいくらい常識的で、ユーモアのある方でしたわね。というか、フィリップ殿下が例外的にクズなだけで、普通は王族だろうと、アーベル閣下並の礼節を弁えているのが当たり前なのだわ。)
考えれば考えるほど、元婚約者への不満しか湧いてこない。
メーニャはあんな男と、王子妃になれるとはいえ上手くやっていけるのだろうか。
(って、わたくしは何を心配しているのかしら。メーニャはお兄様をいじめていた筆頭なのよ?案外、悪党同士気が合うのかもしれないのだわ。)
「えっと、じゃあアーベル公はシャロンを見たらスノーリナベル家の人間だと分かる、ということかな。」
「そういうこと、ですわね。彼は話せば分かってくださる方なので、交渉の余地があるのが救いなのですが……」
「が?」
オルフェウスが、疑問を表すように首を傾げる。
「ロノヴァンを追い出されたわたくしは、罪人では無いとはいえ微妙な立場でしょう?万が一にも面倒なことに巻き込まれないとは限らないし、もしそうなればわたくしを領民としたアーベル閣下は、下手をすれば外交問題にまでなって、爆弾を背負うことになるでしょう。」
「あぁ……。可能性は低いもののリスクはあるから、万が一の場合に起爆するハイリスクをアーベル公が受け入れてくれるかが問題、ということだね?」
「ええ。まぁ、彼の『勇猛公』という二つ名に賭けるしかありませんわね。リスクなんて笑い飛ばし……はしないでしょうがともかく、わたくしをただの領民として庇護してくださると願いましょう。お兄様は問題ないでしょうから、わたくしだけなのですよね……。」
胃がキリキリしてくるが、ここは腹を括るしかない。
シャロンはただの小娘ではないのだから。
(あのボンクラ第二王子の代わりを何度務めたと思っているの。交渉くらい、相手が最高の軍師だろうとやってやるわ!)
シャロンはオルフェウスの腕の中で、そう息巻いた。
次回、オルフェウス視点です。ユアンを出せたら良いなぁ
閲覧いただきありがとうございます。
もしよろしければ、評価やリアクション等頂けると大変励みになります。




