15 スローライフに向けて
「さて、シャロン。これからどうしようか?」
宿屋に帰ってきたシャロンとオルフェウスは、ダブルベッドに2人横並びで座りながら話をしていた。
この部屋には椅子が一つしかない上に硬い板張りで、冷遇されていたといえ貴族の2人にはお尻が辛すぎるのだ。
シャロンは、隣に座る兄といかに自然に手を繋ぐかに思考の大部分を割きながらも答える。
「ええと、どうしましょう。グランバートン辺境伯領はとても良いところですし、ミスター・ハワード含めお世話になった方々もたくさんいますわ。けれど、ここはあまりにロノヴァン王国に近すぎます。もし、お兄様さえ良ければ、わたくしはもっと内地に行きたいですわ。」
シャロンの懸念はただ一つだけ。
(お兄様と兄妹だってバレたら夫婦ごっこが終わってしまう……!)
それはなんとしても避けないといけない。
シャロンの物心ついた時からの悲願がようやく叶ったばかりなのだ。
たとえオルフェウスにとっては物事を円滑に進めるための「手段」に過ぎなかったとしても、兄に妻だと認められている今を手放したくない。
(だからリスクを最小限にするためにも、なるべくロノヴァン王国貴族が寄りつかないところまで逃げたいのだわ。そこでお兄様と貧しいながらも幸せなスローライフを送るのが、わたくしの目標なのです!)
元々、ロノヴァン王国の貴族に「国外旅行」という概念は薄い。
国内に貴族的には面白いものがたくさんある上に、出不精な人間が多いのだ。
でも、だからと言ってこの国境沿いに旅行に来ないなんてことはないし、貴族でなくてもスノーリナベル家に出入りしていた商人にバレる心配だってある。
安全にかつ確実にオルフェウスとイチャイチャ新婚(?)生活を送るには、ロノヴァン王国の人間がなかなか来ないローカルな場所に行かなければならないのだQ.E.D。
「そうか、そうだねシャロン。君を傷つけたロノヴァンの近くにいたくないんだね。ごめんね、私が君が断罪された夜会に同行していれば君の傷を軽くすることもできたかもしれなのに……。」
よしよし、とオルフェウスがシャロンを抱きしめ、小さい子にするように頭を撫でる。
(頭っ、撫でられて…!手を繋ぐよりも破壊力が格段に高いのだわ!お兄様大好き、好きすぎる……えへへ、幸せで溶けてしまいそう……)
兄に甘えたくて、シャロンがオルフェウスの鎖骨あたりにグリグリと頭を押し付けると、何を勘違いしたのかオルフェウスの抱きしめる力が強くなる。
「そんなに傷ついていたのか……。不甲斐ない兄でごめんねシャロン。私はこうして君を慰めることしかできないんだ」
(お兄様、勘違いなさってるわ。そこにつけこんで甘えるなんて、わたくし悪い女……。でも甘えるのを止められないの。)
しばらく無言で抱き合っていた2人だが、オルフェウスが意外と男性らしい大きな手でシャロンの頭を撫でながら言った。
「んんっ。……それで、私としては内地に行くというのは賛成だよ。今ならお金もたくさんあるし、どこにだって行けるからね。シャロンが行きたいところに行こう。ええと、スーツケースの中の金貨は全部で673枚、ざっと25年は働かなくてもいいくらいの枚数だよ。本当に、父上は適当に入れたんだな……」
「わーいお兄様大好きですわ!もうホント、お父様は物の相場を知らなさすぎるのです。今回はそれに助けられましたけれど。」
ぷくり、とシャロンが頬を膨らませながら言うと、声の調子が変わったことに気づいたのかオルフェウスが微笑む。
「そうだね。ふふ、シャロンは本当に可愛らしいねぇ。」
「はうぅっ……!」
(お兄様が、可愛いですって!声が色気ありまくりの甘過ぎで耳が死んでしまうわ。抱きしめられているから顔はわからないけれど、今見たら鼻血が出て出血多量で死んじゃうからこれで良かった……。)
シャロンは心の中で悶えながら、兄への罪悪感と独占欲を強めるのだった。
◆◆◆
「内地なら、東部のペゲーロ子爵領か、だいぶ遠いが南部のジェシャートヴァ大公領に行くのが一番いいと思うがのう。」
次の日。
シャロンとオルフェウスは『ハワード洋裁店』を再び訪れて、サダルカマド立憲王国の地理を教えてもらっていた。
ハワードは2人の来訪を喜んで、店を臨時休業にまでしてくれたのだった。
「ペゲーロ子爵は存じ上げないけれど、ジェシャートヴァ大公は……何度か耳にしたことがあるわ。『勇猛公』、でしょう?」
シャロンが相槌を打つ。
本当は、フィリップの婚約者として出席した社交界で何度か大公と挨拶を交わしたことがあるから知っている。
言うなれば、顔見知りである。
でもそう言ってしまえば、ハワードが泡を吹いて倒れてしまそうなので当たり障りなく濁しておく。
(大公閣下は24歳と若いながらもとても凛とした方だったわ。武力と知力を兼ね備えた寡黙で不思議な人。)
シャロンは記憶を掘り起こしながら考えた。
「そうですじゃ。大公領はどれだけ僻地でも治安が良いという話でしてな。魔導士が多いのもあの地域の特徴らしいですな。」
「対して、ペゲーロ子爵領は大陸最大級のギルドがあるんじゃ。じゃからもし冒険者になりたかったり、宿屋や武器屋を開くならそっち一択じゃな。」
ハワードがあれこれと2つの領地のことを教えてくれる。
「ふむ……。人の行き来が少ないのは大公領かな?」
オルフェウスが思案しながら尋ねる。
「そうですなぁ。大公領は少し閉鎖的なところがあるから、ギルドがあって世界中から人が集まる子爵領よりは明らかに人の出入りは少ないじゃろうが…」
「が?」
「長期滞在権や永住権を取るには、大公直々の審査があると聞いたことがある。お二人さんはその……駆け落ちなんじゃろう?大丈夫なのか、と爺の心配が働いただけじゃ。」
すまんすまん、とハワードは笑い飛ばしたが、結構痛いところを突いてくる。
ハワードは元貴族だろう2人に、大公と会うことで「結婚を反対した親」に捕捉されるのではと言いたいのだ。
本当は「シャロンが誰かバレたら、犯罪歴によっては大公に捕えられるリスクがある」が正しいのだが、そんなことハワードは知るよしもない。
(でも、大公殿下は公正で信頼に足る人物だと、夜会で何度か接して思ったわ。それに国内屈指の情報網をお持ちらしいと専らの噂だったから、わたくしのことについても正確に情報を掴んでいると見るのが無難ね。こう考えると、不特定多数に見られるかもしれないペゲーロ子爵領よりは大公領が良いかしら。)
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