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第12話 主役からの手紙

 王都から届いた木箱は、玄関脇の検分室で蓋を開けられた。


 封蝋はアルベリクの侯爵印ではなく、書記官ユリウスが私信に使う小さな印だった。荷札も彼の筆跡で、余白には、西棟の時計をめぐる、あの不器用な夕食のことが一行だけ添えられている。


 宿場で偽の侯爵家印を見つけて以来、別邸へ入る荷物は、たとえ針箱ひとつでも同じ手順を踏ませていた。


「異臭、粉末、二重底、いずれもございません」


 手袋をしたベルタが、中身を卓上へ移す。


 入っていたのは、王都邸の子ども部屋から運ばせた絵本だった。動物譚、星座の本、彩色された植物図譜。どれもリディアが自分で選んだものではないので、部屋へ並べる前に見せてほしいと、アルベリクへ頼んであった品だ。


「ユリウスから、別紙がございます」


 ベルタが短い書付を差し出した。


 ――植物図譜のみ、フェルノア家に仕える年若い侍女から預かった。


 侍女は、私が名を尋ねるより先に姿を消した。顔色と声から、露見すればただでは済まぬ事情があると判断した。


 本は信用できる薬師と術師の立ち会いで一度解体し、紙、糸、糊、表紙に毒物および呪術の痕跡がないことを確認した。綴じ目に隠されていた便箋も、折りを開かず外側のみ検めている。


 旦那様へ正式に報告すれば、王宮とフェルノア家へ照会する記録が残る。内通者がいる現状では、差出人を先に危険へさらしかねない。ゆえに本件は、いまだ旦那様へ報告していない。


 独断の責は私が負う。茶会の仕掛けを見破った奥様の眼へ、便箋を開くか否かも含めてお委ねしたい。


「フェルノア家から?」


「ユリウスの書付によれば、侍女は古書商の荷車を呼び止め、この本は以前アルヴェイン家から借りたものだと申したそうで」


「我が家の蔵書印は?」


「ございます。ただし、貸出簿には記録がありません」


 正規の届け物へ紛れ込ませるための嘘だ。調べられれば、すぐ露見するような嘘をついてまで、あの侍女は本を外へ出した。


 そしてユリウスは、命令系統から一歩外れる危険を承知で、こちらへ送った。


「旦那様にも知らせなかったのですね」


 ベルタの声には、わずかな非難が混じった。


「ええ。私なら中身を読んだあと、燃やすか、公にするか、アルベリクへ渡すかを選べると踏んだのでしょう」


 ずいぶん高く買われたものだ。


 同時に、王都ではアルベリクの名を使って動くだけでも、誰かの記録に残る段階まで包囲が狭まっている。


「リディアを呼んで。オズワルドにも、絵に危険な植物がないか見てもらいましょう」


     ◇


 植物図譜は、七歳の子どもの膝をほとんど覆うほど大きかった。


 リディアは窓辺の長椅子に座り、オズワルドが確かめた頁から一枚ずつめくっていく。


「月鈴草です」


 銀色の花を見つけ、指を絵の少し手前へ浮かせる。


「本物より花が大きく描かれています。根の形も、手引きに写したものと違います」


「絵師が花だけを見て描いたのでしょうな。根を掘る時季でなかったのかもしれません」


 オズワルドが答えると、リディアは傍らの手帳へ相違を書き留めた。


 新しい柵についても、すでに一頁使っている。柳は折れにくいが砂では倒れやすいこと。赤い糸は下から巻くこと。最後の一行だけは、ほかより小さな文字だった。


 ――ミーナは、まだ少し怒っている。


 前世の稽古場では、小さな失敗を隠そうとした細工が、本番の事故へ育つのを何度も見た。


 ミーナがまだ怒っている。その都合の悪い事実を消さず、汚れた手帳へ残した一行が、どんな行儀のよい答案より頼もしく見えた。


 頁が半分ほど進んだところで、綴じ目から白い紙が覗いた。


 リディアが顔を上げる。


 ベルタは扉を閉め、オズワルドは窓の掛け金を確かめた。私は紙の端をつまみ、糸を切らないようゆっくり引き出す。


 二つ折りの便箋には、覚えたてらしい文字が窮屈に並んでいた。


『ローゼリア侯爵夫人さま


 お茶会では、ありがとうございました。


 わたしは、かなしい顔をしてから、わらうように言われていました。リディアさまがこわかったのではありません。みなさまが待っているお顔を、じょうずにできないのが、こわかったです。


 リディアさまに、ごめんなさいとお伝えください。


 アイリス・フェルノア』


 最後の署名だけが、本文より不自然なほど整っている。そこだけは何度も練習させられたのだろう。


 リディアは手帳を閉じた。


「アイリス様も、教わっていたのですか」


「この手紙を信じるなら、そうね」


「わたくしが意地悪を言ったあと、悲しそうにして、それから微笑むことを?」


「ええ」


 リディアは便箋を見つめたまま、柳の柵を直した日のように唇を固く結んでいた。


「お菓子を見るふりをして、ずっと伯爵夫人の扇の音を聞いていらっしゃいました」


「扇?」


「開く音がすると、背中を伸ばしていました。閉じる音がすると、目を伏せて……コルネリア先生が机を指で叩くときの、わたくしと同じでした」


 あの茶会で交わされた合図を、同じように合図で縛られていた子だけが見抜いていた。


 リディアの手が、便箋の上をためらいがちに進む。アイリスの名には触れず、そのすぐ横へ指先を置いた。


「お返事をしても、よろしいでしょうか」


 そこまで言って、リディアの視線が便箋から外れた。


「でも……このままフェルノア家へ送れば、伯爵夫人か、あのお茶会にいらした方々が先にお読みになりますね」


「ええ」


「お手紙を隠した侍女も、叱られます」


 リディアは考え込むように、自分の手帳の角を指で撫でた。


「お父様なら、ほかの方に知られず、あの侍女を探せますか」


「そこは、侯爵として働いていただきましょう」


 父親の出番だと即座に信じた娘へ、アルベリクがどんな顔をするか。今だけは、ほんの少し見てみたいと思った。


 私はベルタを見た。


「アルベリクへ使者を。侍女を見つけ次第、事情を聴く前にフェルノア家へ戻さないようにと」


「すでにフェルノア家が捜している可能性もございます」


「だからこそ、先に保護してもらいます」


 ベルタが一礼して部屋を出る。


     ◇


 リディアは机へ向かい、新しい便箋の一行目へペンを置いた。


『謹啓 薫風の候、アイリス・フェルノア伯爵令嬢におかれましては――』


 そこまで書いて、読み返す。


 便箋の隣には、アイリスの手紙が開かれている。たどたどしい文字の中に、季節の挨拶も家同士の美辞麗句もない。


 リディアは一枚目を脇へよけた。


「これは、お返事ではありません」


 私が新しい紙を渡すと、今度はずいぶん長く考えてから書き始めた。


『アイリス様


 お手紙をありがとうございます。


 わたくしも、あの日はこわかったです。あなたへ、教わったひどい言葉を言いかけました。ごめんなさい。


 いま、薬草園をつくっています。まだ箱の中にしかありません。柵は一度こわれて、前より曲がりました。でも、前より折れにくいです。


 わたくしは、ジャムクッキーが好きかもしれません。アイリス様は、どのお菓子がお好きですか。


 リディア・アルヴェイン』


「『かもしれません』でよいの?」


 私が尋ねると、リディアは少し迷い、頷いた。


「まだ、ほかの味を全部知りませんから」


「では、そのままにしましょう」


 折り畳む前に、ベルタが戻ってきた。


「奥様。アイリス様のお手紙を、もう一度」


 彼女は便箋を燭台のそばへ寄せた。紙の右下に、小さな植物が描かれている。


 花のない細い茎。葉は三枚。根の部分だけが、四角い枠で囲まれていた。


「インクの裏写りかと思いましたが、同じ線を何度もなぞった跡のようです」


 ベルタが便箋をオズワルドへ向ける。


 老庭師は絵を見るなり、椅子を引き寄せた。紙へ顔を近づけ、枠に囲まれた根を確かめる。


「これは……古い薬師の隠語です」


「意味がわかるの?」


「クラウディア様と薬草園の古文書を整理した折に、一度だけ見ました。領主や神殿から処方を禁じられた薬師が、帳面を取り上げられる前に残した印です」


 オズワルドの節くれ立った指が、四角い枠の外側をたどる。


「根を囲う枠は、家か仕事場から自由に出られぬという意味でございます。まさか今でも、これを使う者がいるとは」


 絵は一度で描かれていなかった。消しきれない線が重なり、紙の裏には何度も茎をなぞった跡が浮いている。


 間違えれば、助けを求めたことさえ見つかる。幼い手で正しい形を作ろうと、何度も描き直したのだ。


「リディア。この一文を足してもよいかしら」


「どのような?」


「返事を急がなくてよいこと。書けないときは、何も書かなくてよいこと」


 リディアは自分で余白を確かめた。


「わたくしが書きます」


 最後に二行が加わった。


『お返事は、書けるときでかまいません。


 書けないときも、怒りません』


 リディアが厚手の封筒へ便箋を収める。私はアルベリクへの書付を重ねた。アイリスの身辺を、フェルノア家へ悟られないよう確かめること。手紙を託した侍女を見つけ、安全な場所へ移すこと。そして、ユリウスを叱るなら、まず私に本を託した判断が正しかったと認めてからにすること。


 宛名にはアイリスの名を書かず、アルベリク個人への書状として二重に封じた。


 封蝋を落とすあいだ、窓ガラスへ最初の雨粒が当たった。


 一つ、二つと跡が増え、薬草園の向こうにある森が早くも霞み始める。


 リディアは暗くなった窓と、封じられた手紙を見比べた。


「あの侍女の方は、見つかるでしょうか」


「アルベリクに見つけてもらいます。見つけたあと、何が必要かを私たちも考えるわ」


 返書を運ぶ使者が、外套を頭からかぶって中庭を横切っていく。厩舎では雨脚が強くなる前に馬を出そうと、男たちが声を掛け合っていた。


 リディアはその姿を窓越しに追いながら、机へ戻る。


 捨てずに置いてあった最初の便箋を裏返し、アイリスの手紙に描かれていた印を写し始めた。


「オズワルド。その印が載っていた古文書を探して。由来と意味を、あなたの署名入りで書面にしてください」


「承知いたしました」


「ベルタは北側の客間を二つ整えて。子どもと、その付き添いが、濡れたまま来てもすぐ休めるように。子ども用の寝衣と温かい食事も」


 ベルタは一瞬だけ窓の雨を見た。


「今夜、いらっしゃるとお考えですか」


「いいえ。来るかどうかもわからないわ」


「それでも、ご用意を?」


「助けを求める印を見つけてから、逃げてくる場所がないなどとは言わせません」


 ベルタはそれ以上尋ねず、廊下へ出た。ほどなく玄関で夜番を増やす指示が飛び、北側の客間では閉じていた雨戸が開けられた。


 私は封を終えた手紙を使者へ渡した。


 背後では、リディアのペン先が紙を擦り続けている。その音を残して外套をつかみ、増やした夜番の配置を自分の目で確かめるため、雨の正門へ向かった。

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