第30話 経験が教えてくれるもの
ロイドが集会所へ通うようになってから数日が経った。
以前は見学するだけだった青年も、今では子供達に縄の結び方を教えたり、壊れた遊び道具を直したりと自然に輪へ溶け込んでいる。
本人は相変わらず「暇だから来てるだけだ」と言い張っているが、それを信じる者は誰もいなかった。
その日も集会所では朝の体操が終わり、高齢者達がお茶を飲みながら談笑していた。
悠斗は木陰に置かれた椅子の位置を少しだけ動かす。
「日陰が広がってきましたね」
「この時間はここが一番涼しいからねぇ」
ハナが笑う。
そこへ入口から一人の女性が姿を見せた。
年は五十代半ばほど。
茶色がかった髪を後ろで束ね、日に焼けた手には長年働いてきた跡が残っている。
歩き方には迷いがなく、周囲を見渡す目は穏やかだった。
「ハナ!」
「あら、マーサじゃないか!」
二人は笑顔で近付く。
「久しぶりだねぇ。」
「噂を聞いて見に来たんだよ。」
村長も女性の姿を見ると笑みを浮かべた。
「相変わらず元気そうだな。」
「そっちこそ。」
マーサは軽く笑う。
悠斗は頭を下げた。
「初めまして。悠斗といいます。」
「あんたが噂の若い子かい。」
「噂になってるんですか?」
「隣村まで聞こえてるよ。」
その言葉に悠斗は少し照れくさそうに笑った。
マーサは集会所をゆっくり歩き始める。
入口の縦手すり。
壁沿いの横手すり。
座りやすい椅子。
木陰の休憩場所。
一つひとつを丁寧に見て回る。
「よく考えられてるね。」
「ありがとうございます。」
「誰が考えたんだい?」
「基本は俺です。でも皆で少しずつ作ってきました。」
「そうかい。」
マーサは満足そうに頷いた。
その時だった。
ハナが椅子から立ち上がる。
いつも通り笑顔だった。
だが、マーサはじっとその姿を見ていた。
「ハナ。」
「何だい?」
「今日は腰が痛いんじゃないかい?」
突然の言葉だった。
ハナは目を丸くする。
「……どうして分かったんだい?」
「立ち上がる時に少しかばってたよ。」
ハナは苦笑した。
「朝から少し痛くてねぇ。」
「無理するんじゃないよ。」
「分かってるさ。」
そのやり取りを見ていた悠斗は驚いていた。
自分は気付かなかった。
歩けていた。
笑っていた。
だから問題ないと思っていた。
「どうして分かったんですか?」
思わず聞いてしまう。
マーサは優しく笑った。
「長い付き合いだからね。」
「いつもと少し違うだけでも分かるもんさ。」
悠斗はその言葉を胸の中で繰り返した。
いつもと少し違う。
介護の仕事でも何度も聞いた言葉だった。
だが、目の前で実際に見せられると重みが違う。
「知識も大事だよ。」
マーサが続ける。
「でもね、人を知ることも同じくらい大事なんだ。」
悠斗は静かに頷いた。
その時、ロイドが集会所へ入ってくる。
「おはよう。」
マーサはロイドを見るなり言った。
「あんた、昨日あまり眠れてないね。」
ロイドが目を見開く。
「……何で分かる。」
「目の下に少し隈がある。」
「考え事でもしてたのかい?」
ロイドは頭を掻いた。
「ちょっとな。」
マーサはそれ以上聞かなかった。
「無理だけはしないことだよ。」
「……ああ。」
その様子を見ていた悠斗は思わず笑ってしまう。
「すごいですね。」
「何がだい?」
「人を見る力です。」
マーサは首を横に振る。
「そんな大したもんじゃないさ。」
「昔から村の皆を見てきただけ。」
「子育てもしたし、夫が病気だった頃は毎日顔色を見てた。」
「だから少しの変化が気になるだけだよ。」
悠斗は深く頷いた。
介護の知識だけでは足りない。
相手を知ること。
毎日の変化を見ること。
それも支えるためには必要なのだ。
「勉強になります。」
そう言うと、マーサは少し照れたように笑った。
「私から見れば、あんたの方がすごいよ。」
「こんな場所を作ったんだからね。」
悠斗は首を振る。
「俺一人じゃできませんでした。」
視線の先には、手すりを直すエドがいる。
子供達と笑うロイドがいる。
ハナと話すトーマスがいる。
ガンツは縄を編みながら皆の話を聞いている。
そして、今日初めて来たマーサも自然とその輪へ入っていた。
悠斗は改めて思う。
人を支えるのは、一人ではできない。
知識だけでも足りない。
経験だけでも足りない。
それぞれが持っている力を合わせるからこそ、誰かを支えられる。
そんな当たり前のことを、この村は少しずつ教えてくれていた。




