15:『冬の悪魔』エピローグ
「――……なるほど、報告通り“旅人神”は欠陥品だった。それは此方も認めよう。ヒエムス、其方の提案も……上は興味を示し、受け容れた。来年からその通りに新制度が始まるだろう」
天は地上を好まない。汚れた土地だと考える。余程の事情がない限り、神々は地上に降臨したがらない。
下級神である旅人神は、生涯を地上で過ごす汚れた神だ。上の者達が直接統治を行わずに済むよう作った手足。それが僕ら旅人神だ。
地上に現れたのは、天の中では下級の神。天と地を繋ぐ中間管理職である彼らは、嫌々ながらに今回の顛末を聞きに来た。
そんな下級神でも、使いの背には天使の如き翼。風に乗り空は飛べても決して天には至れない。そんな僕らとは明確に違う、創造主に仕える事が許された存在。
一つ世界を壊しかけても、創造神は僕らの前には姿を見せはしなかった。部品が一つ二つ壊れた程度、下請けに直してこいと命じるだけ。その程度の存在なのだと改めて思い知り、冬の悪魔はまた溜め息と憂鬱に囚われた。
(旅人神を愛してくれるのは……“人間”だけだったのかもしれないな)
共に語らうことが出来、見つめることが出来る関係。触れたいと、思わせるような小さな命。
自分が決めて、自分が招いた結末だ。この結果に満足しているはずなのだが、先程から目が熱い。頬がヒリヒリと痛む。冷たい身体を持つ自分が、身体よりも熱い涙を流しているのだ。他愛ない、くだらない。あんな少女との会話が、恋しくて。この冬が終わればもう、同じ事が出来なくなる。
「……上は既に決定を下した。だからな冬神。これは私の独り言だ」
空へと帰って行く前に。天の使いは哀れむように、一度此方を振り向いた。
「確かにお前達に永遠は相応しくなかった。お前達は、余りに人に近すぎた。……神の身でありながら、人の心を持っていた。苦しいだろう、辛いだろう。お前達の、永遠は。例え人を愛しても、決して幸せにはなれぬのだ」
「ふっ。おかしなことを。上の方々が人間の愛を語るだなんて」
解らないからこそ、上手く統治出来ていないんだろうと軽口を叩くと、「聞かなかったことにしよう」と彼女は小さく微笑んだ。
「良き死を、ヒエムス。次のお前は多くの者に……望まれた冬となりますように」
*
新たな季節神は、旅を行わない。その土地で生まれ、その土地で死ぬ。世界のあちこちで生まれて生まれて死んでいく。一年の四分の一ずつ。永遠より遥かに短い寿命を生きて。
「まぁ、主様が決めたことなら……」
「お供しやすぜ、旦那!」
「ありがとう、二人とも。苦労を掛けたね、不甲斐ない主ですまなかった。それで、最後のお願いだ。君たちにはやって貰いたいことがある」
雪と北風に仕事を頼み、冬の悪魔は従者達を旅立たせた。各地の精霊達に新たな制度を広め、生まれた季節神達の保護を行うよう言付けて。
暦の上、もうすぐ此処にも春が来る。古き春の女神は既に永遠を解かれ、土に還った。日増しに日差しは温かくなり、新たな神の誕生を。冬の終わりを告げに来る。
「冬の悪魔ぁああああああああ!! 今日という今日こそは、私を殺して貰うわよ!!」
嗚呼、また何も知らない少女がやって来る。呆れた風を装って、吐いた息からはもう新たな北風は生まれない。
わざわざ教えてやる義理もない。僕が勝手にしたことを。僕がいなくなってから、全てを知った君の顔を想像して、笑うことだけが今の密かな楽しみだ。
「な、何を笑ってるのよあんた……」
「君に纏わり付かれるのもそろそろ迷惑でね。君の望みを叶えてあげよう。……触れるのは手で良いかい?」
冬の悪魔が片手を少女へ差し出すと、彼女はとても驚いた。
「そ、それは願ったり叶ったりだけど。変なもんでも食べたの? あんたがそんな素直に私の言うことを聞いてくれるなんて」
「酷い言い草だな。僕は静かに眠りたいだけさ。君は騒々しいからね」
「……じゃあ、そこに座って。そう、そのまま。目も瞑るの! 殴られたくなかったらそのままじっとしてなさい!」
本当にムードのない。少女の考えを察したものの、大人しく冬の悪魔は従った。こんな娘でも……惚れた弱みだ。
僕らは似た者同士だ。互いに、実に……素直ではない。
フィーネが膝を折り、すぐ傍に居る。乱暴者に見えて、乙女らしい終わりを望んだものだ。そっと触れられた頬が熱い。少しずつ溶けていることに、気付かないほどあの子は緊張していた。
「ヒエムス……」
彼女が望んだ死の口付け。死ぬのは彼女であると、本当に彼女は信じていたのだろう。キスの後、目を開け彼女は悲鳴を上げた。自分はまだ生きていて、目の前で悪魔が溶けているのを目の当たりにして。
「ず、狡いわよ! どうして何も、言ってくれなかったの!? そしたら私、……こんなこと、しなかった!! 最後にこんなっ……酷いよ! 私だけ、置いていくなんて!!」
泣き出した彼女の涙を凍らせる力ももはやない。遠くに響く、春風のフルート。
「フィーネ、君は僕を倒した。唯の人間でしかない君が。そんな君が、夏に殺されるわけがない。誇って良い。君が僕を、殺したんだ」
「ああああ、本当にもうっ! あんたって奴は!! 人の心ってもんを全然解ってないわ!! それが、惚れた相手に最後に言う台詞なの!???」
「そうだなぁ……君の驚く顔は一矢報いた感で満足だけど。少しだけ」
もう頭部の大半が溶けてしまった。彼女の姿を見ることも出来ない。
「君に、会えなくなるのが寂しい」
口がなくなってしまう前に零れた言葉は、これまでで一番素直な言葉だったかもしれない。自分の中に未練という感情が、存在したことに驚かされた。その驚きに対し、表現できる表情はもう残っていないけれども。
同僚達が知り、同僚達が狂った原因。恋なんて、そんなもの。自分には関係ないと思っていた感情。孤独の寂しさとは違う、誰かを思う寂しさを知り……土へと還って行く僕は。彼らと同じ人間になれたのだと思って、もはや存在しない唇から、初めて安堵の息を吐いたのだった。
*
「フィーネ、また山へ行くの?」
「ええ! もうこんなに寒くなったってのに、今年の冬神は寝坊が過ぎるわ!! いつまで寝てるのよって叩き起こしてやるんだから!」
「そうよねぇ。秋神様が眠ってしまって、もう何日経ったかしらね」
何気ない、母の言葉に胸が痛んだ。
あれから……季節神達は以前より身近な存在になった。数が増え、寿命が縮んだ神々は……赤子の姿で生まれてすくすく育ち、子供の内に死んでいく。役目を果たし、消えていく姿を哀れむ者も少なくはない。
この国でも、一年に四人の神が生まれる。三ヶ月ずつしか生きられない哀れな神が。
例年通り、今年も新たな冬が生まれる。一度として彼と同じ冬が生まれることはないけれど。
ヒエムスは何も教えてくれなかったが、彼らから永遠を奪ったのは私。そんな私はまだ、生きている。あいつに救われたのだろう。
「祭りの準備は終わってるんだから、主役が来なきゃ始まらないわよ!」
春の夏も秋も冬も。そして私も。本当は誰もが愛されたかった。
いつかあいつが再び生まれてくる時に、寂しさなんて感じないように。新たな伝承を残したいのだ。
身支度を調え、店の外へと飛び出す私を……人々が口々に噂する。
「ロマンがあるなー! 冬神を惚れさせ殺したんだろ?」
「見事なものよね、あれが冬神様の角笛ですって!」
「氷のように見えるのに、絶対に溶けないんだそうだ」
「冬神の巫女はやはり違うな」
私が首からぶら下げた、冬神の遺品。ヒエムスが溶けてしまった後に、残された二本の角。幼くて死ぬ彼以降の冬神では、ここまで立派な角は育たない。
私が角笛を吹けば、山へと残したもう一本が同じ音を吹き鳴らす。大地を震わすこの音で、寝坊な次の神が目を覚ます。ほら、空から雪が降ってきた。私の居場所も通じただろう。
「巫女様、祭の人形劇のことなのですが……」
「ええと、何か問題があった? 脚本はいつも通りで変更点はなかったはずだけど?」
「…………人形が可愛すぎて畏怖を感じられないとの声が」
「わ、解ったわ! 来年はもうちょっと格好良いの作るから!!」
年に四度の四季祭り。四人を見送り、四人を迎える祭り。
此処に帰ってきた雪と北風を捕まえて、彼らの話を聞き出し書いた。神々の物語。
消えた夏神の呪いと、冬神の角が私の力になってくれ……私は“冬神の巫女”なんて堅苦しい肩書きを手に入れた。
ならばこれ幸いと私は村の祭事に口を挟んで、虚実織り交ぜ演目を変えさせた。
忌み嫌われた神々が、今度は愛して貰えるように。
世界が悪魔の季節に囚われた。長く辛い時代を終わらせた。二人の神様の物語。
自分達の命を削り、全ての人に全ての季節を届けた話。
全ての季節が愛されるよう、悪魔と呼ばれた神々が……永遠を手放した物語。
私がいなくなった後も、寂しいなんて貴方に言わせない場所を残したい。早くおいでともう一度、私は彼の角笛を吹く。返ってきたのは違う音。新たな冬が、吹いたのだ。
これ書き始めたのが12年前だと気が付いて死にそうになりました。
もうこのまま放置して、別の作品で結末を明かそうかと悩んだこともありましたが、なんとか終わらせることが出来ました。
この作品は、脚本シリーズの第四領主、第五領主と深く関わる物語。
これで安心して『高飛車なピエロ』など、シリーズの他の作品に繋げていけます。
12年間見守ってくれた皆様、ありがとうございました! 脚本シリーズの他の作品でまたお目にかかれたら嬉しいです。