ミシェルとルイーズ
男の言葉に嘘は無かった。
ミシェルと名乗ったその男は自分の仕事を手伝わないかと康之に話を持ちかけた。
住まいも食事も提供してくれるという。
康之は1909年で知り合った恋人が行方不明になったこと。
自分と同じように違う時代へ迷う込んでいるのではないかと考えた自分が彼女を探しに行こうとしたところこの時代に来てしまったこと。
そうなると、もちろん彼女もこの時代に来ていることも考えられ、しばらくの間、この時代で彼女を探してみるつもりであること。
そして、もしもこの時代で彼女を見つけることができれば、すぐにでも、もとの時代に連れて帰るつもりであること。
康之はそれを正直にミシェルに伝えた。
「おう、そういう事情があるなら、それはそれで構わねえぜ。
おめえがこっちにいるあいだは俺が面倒見てやるって、さっき約束したはずだ。
そのあいだだけでも俺の仕事を手伝ってくれりゃ、それでいい。
だいたい、仕事もしねえ奴を家に置いといたら、カカアになに言われるか分かったもんじゃねえからな。」
ミシェルはいたずら小僧のような表情を浮かべると「俺がおめえの時代に行った時はよろしくな。」と言って康之に片目をつぶって見せた。
康之にとっては渡りに船である。
康之が二つ返事で了承すると、それに頷いたミシェルは酒場に居合わせた仲間たちに康之を自分の一番弟子だと言って紹介した。
「おおーっ! よくやったミシェル。これでお前も一人前の親方じゃねえか。」
「兄ちゃん、良かったな。こいつはな、このパリじゃ五本の指に入るパン職人だぞ。
しっかりやんなよ。」
「俺たちも負けちゃいられねえぞ。去年、また税金が上がっちまったんだ。
みんなで手え組んでしっかり稼がねえとな。」
「おお、そうだそうだ。俺たちから絞り取った税金で、皇帝様はこの四月にゃオーストリアから若え嫁さん貰うんだって? 貧乏人、食いモノにしやがって、ほんと腹立つよな。
ガッツリ稼いで、貧乏人いじめることしか頭にねえような、お上を見返してやろうじゃねか。なあ、みんな!」
詳しい事情を知らない仲間たちは口々に気勢を上げ、二人は仲間たちに囲まれてバシバシ肩を叩かれた。
そして彼らは康之を交えて酒を酌み交わした。
ミシェルは酒場を出ると康之を自分の住む部屋に連れて帰った。
その部屋はブノア家の建物にほど近い路地に面していた。
「あんた、おかえり。ちょっと待ってね。今、この子のおしめ替えてるとこなの。」
ほどなく居間に出てきたミシェルの奥さんの顔を見て、康之は息を呑んだ。
「シモーヌ・・・」
彼女はシモーヌと瓜二つだった。
「なに言ってんだ。シモーヌはうちの娘の方だよ。」
〝・・・シモーヌ、それに・・・パン職人〟
困惑の表情を浮かべる康之をよそにミシェルは笑って妻を手招きすると康之を前に押し出した。
「ルイーズ、こいつは今日から俺の弟子になった。一番弟子だぞ。名前は・・・う~んと、そう言や、まだ聞いてなかったな・・・」
「あっ、ヤンって言います。ヤン・アサカワです。よろしくお願いします。」
康之がミシェルとルイーズにペコリと頭を下げた。
「まっ、そういう訳だ。ルイーズ。よろしく頼む。」
「ヤン。俺の女房と娘だ。
ルイーズにシモーヌ。今日からここで一緒に寝起きすることんなる。よろしくな。」
ミシェルは康之の肩に手を載せて妻に顔を向けた。
「ルイーズ、メシの支度頼む。
おい、兄ちゃん・・・じゃなかった。ヤン、メシ食ったらすぐに寝ろ。俺たちの仕事は人さまが寝てる夜中だ。」
康之はそれに頷くとおずおずと口を開いた。
「・・・あの・・・ミシェル。ちなみに苗字はなんていうの?」
「えっ、苗字? うちはベルニエってんだ。
俺はミシェル・ベルニエだ。」
ポカンと口を開けて、康之は呆けたようにミシェルを見つめた。
パン職人の仕事は夜の十一時から始まる。
自分の工房を持たないミシェルは工房を持つパン屋で職人として働いていた。
二人で工房に入っていくと、先に来ていた職人や徒弟たちは既に仕事の準備の真っ最中だった。
ミシェルに気付くと仕事の手を止めて礼儀正しく挨拶の言葉を口にする。
それに手を上げて応え、ミシェルは職人たちに康之を紹介した。
ここでは一目置かれた存在らしい。
暗いロウソクの光の中で、100キロ以上もの粉に水と塩を加えて捏ね上げるのはかなり過酷な力仕事だ。
仕事場の空気は粉と湿気で重く淀み、パンを焼く窯の火は作業場の温度をジリジリと上げていく。
粉の袋で作った作業着のようなものを着て、康之は職人たちはと一緒になって汗まみれで働いた。
そして仕事が終わる朝方には、みんな疲れきった表情を浮かべ、自分の家に帰る元気も残っていないようだった。
「じゃ、あなた、そのシモーヌって娘を探して100年先の未来から来たの?
・・・昨日、うちの人がヤンは100年、いや200年先の未来から来たって・・・
その時代にこの国が出したお金を見せてもらったって言ってたけど、私は信じられなくてね。今までいろんな人間にだまされてきたから、初めから人を疑ってかかるようになっちゃったんだよね。
それで、うちの人から話を聞いた時も、こりゃ、何か魂胆があるんだろうって・・・
ゴメンね。」
朝食の後で、食事の後片付けを手伝っていた時、ルイーズは康之に〝私はあなたを信用していない〟と面と向かって告げたのだった。
自分でも、あんな突拍子もない話をすんなりと信じてはもらえないだろうと思っていた康之はルイーズのハッキリとした態度に好感を持った。
初めのうち、康之はこの時代での滞在期間を一週間と決めていたのだった。
〝長居をするわけじゃない。シモーヌだってこの時代にいるって決まったわけじゃないんだ。せいぜい一週間・・・
毎日あの最上階に行って身体の疼きを確かめながらシモーヌを探す。
その間にシモーヌが見つかれば連れて帰る。〟と考え、信じてもらえないなら、それはそれで構わないと思っていたのだ。
しかし、この家族がシモーヌの先祖である可能性が出てきた今では、そうはいかなかった。
台所にバッグを持って来てスマホを取り出すと、康之は1909年の雪の日にベルニエ・パン店の前で写したシモーヌの写真を表示してルイーズに差し出した。
スマホを受け取ったルイーズは目を瞠った。
そもそもスマホがどういう物だか見当がつかない。
しかし、そのディスプレイには自分とそっくりな顔の娘が写っているのである。
ルイーズはスマホを手にした瞬間に未来というものの存在を確信した。
「・・・これが・・・シモーヌなの?」
ディスプレイから目を離すことができぬまま、うわずった声でルイーズが呟く。
「そう、それがシモーヌ・・・ベルニエ。」
康之の言葉にルイーズが驚いて顔を上げる。
康之はルイーズを見つめて頷いた。
「そして、彼女の後ろに写っているのが彼女の家。
ほら、赤い庇の上に看板があるでしょ・・・」
「BERNIER du Pain・・・」
ディスプレイに目を凝らしたルイーズは小さな声で看板の文字を読み上げると、ハッとして顔を上げた。
「そう、ベルニエ・パン店・・・彼女、パン屋の娘なんです。」
「・・・どうして・・・うちの娘と同じ名前なの・・・?」
康之をじっと見つめたルイーズの目は康之に事の次第を説明しろと訴えていた。
自分が今から200年先のパリから1909年のパリへ迷い込み、そこでシモーヌと知り合ったこと。
自分の時代に戻る方法を二人で探していた時、シモーヌが誤って違う時代へ行ってしまったらしいこと。
そして時間を飛び越える方法が分かって、彼女を迎えに行こうとした自分がどうした訳か、この時代に紛れ込んでしまった事。
康之はこれまでに自分とシモーヌに起こった一連の出来事をルイーズに話して聞かせた。
そして、一週間が経って、まだ自分の身体に〝疼き〟が残っていて、その時までにこの時代でシモーヌを見つけ出すことができなかったら、違う時代へシモーヌを探しに行くつもりであることも・・・。
ルイーズは瞬きもせずにじっと康之の言葉を聞いていた。
そして康之の話がベルニエ・パン店の事に及ぶ。
「この辺りの町並みは、100年先の未来も今とあまり変わってないみたいですね・・・建物も、通りの様子も。
その店のある場所は、この路地を出たところの通りを右に曲がって2ブロック目の角・・・
彼女は早くに父親を亡くして、母親と二人でパン屋をやってます。
この界隈では評判のパン屋で、カフェやレストランなんかにもパンを納めてるんですよ。
母親の名前はクラリス。
亡くなった父親は・・・確かニコラ・ベルニエだったと思います。
あと、お婆ちゃんがオルレアンに住んでいるんだって聞いたことがあります。」
ルイーズがふーっとため息を漏らして宙に視線を泳がせる。
「ニコラ・・・うちの人のお父さんの名前といっしょだわ。
それに・・・私たち二人ともオルレアンからパリに出て来たの・・・」
そう言ってルイーズが再びディスプレイの中のシモーヌを見つめた。
「ルイーズ・・・僕の知っているシモーヌはルイーズに生き写しですよ。」
「・・・この子、私たちの孫娘・・・いや、100年後だったらひ孫か玄孫・・・それにこの店・・・あの人、自分の店持つのが夢だったの。
本当にここ、あの人が作った店なのかな・・・」
「ミシェルはパリで五本の指に入るパン職人だってみんなが言ってる・・・
それに、いま僕が知ってる事を考え合わせると、たぶん、間違いないと思います。」
康之の言葉を聞いてルイーズは何度も頷いた。
「認可料のせいで親方にもなれず、他人の工房で働いて・・・こんな生活してて大丈夫なのかなって心配だったの。
・・・でも、がんばってパン屋、開くんだ・・・きっと。
それに・・・こんな・・・100年も先まで子供たちがその店を・・・」
スマホのディスプレイをじっと見つめていたルイーズが康之に視線を移す。
それを捉えた康之が微笑みを浮かべて静かに頷いた。
「この間抜け!」
居間に入ってきたミシェルが突然大声を張り上げて康之に詰め寄った。
「あんた、なんてこというのよ。」
二人の間に割って入ろうとするルイーズを押しのけるようにしてミシェルが怒鳴り声を上げる。
「じゃあ、なにか・・・おめえはそのシモーヌっていう俺たちのひ孫だか玄孫だかの娘を元の時代に連れ戻そうとして、間違ってこの時代に迷い込んで来たってことか?」
「だからそうじゃなくて、僕がこの時代に来たってことは、彼女だってこの時代に来てる可能性が・・・」
「やかましいっ。見つからなきゃ結局同じことじゃねえかっ!」
自分を睨みつける康之に掴みかかろうとミシェルが手を伸ばす。
ルイーズがそれを必死になって押しとどめた。
腕に抱かれたシモーヌが大きな泣き声をあげた。
その鳴き声をかき消すほど大きな声でルイーズが二人を一喝した。
「ちょっと待ちなっ!」
シモーヌの泣き声がピタリと止まる。
ミシェルと康之が互いの胸ぐらを掴んだまま動きを止めた。
二人を睨みつけたままルイーズが口を開いた。
「ちょっと待ちなよ。
いいかい、あんた。
ヤンが言うように、シモーヌが別の時代に行ってるって決まったわけじゃないんだよ。
それにシモーヌの顔はもう分かってるんだから、もしもこの時代にいるんだったら私たちにだって探せるじゃないか。
それこそ、あんたの仲間たちに声をかけりゃ、パリ中に手配書が回ったみたいなもんだよ。
この時代にいればきっと探し出せる。
でもね、私たちはヤンみたいに違う時代には行けないんだ。
それならここは私たちに任せて、ヤンには違う時代を探してもらった方がいいじゃないか。
ヤン。
この時代は私たちに任せな。
違う時代でシモーヌを探しておくれ。
そして、どうしても見つからなかったらもう一度この時代に帰っておいで。
きっとシモーヌはここにいる。」
ルイーズの自分を射抜くような目に見つめられて康之が頷いた。
毒気を抜かれたミシェルがおずおずと口を開く。
「・・・すまなかった、ついカッとなっちまって・・・
そのシモーヌって娘・・・くれぐれも、よろしく頼む。」
項垂れたミシェルが康之の両手を握った。
工房での力仕事にもようやく身体が馴染み、昼夜逆転の生活にも慣れてきた康之はいつものように昼過ぎに目を覚ました。
仕事に出るのは夜の十時過ぎだ。
それまでの時間をルイーズの内職の手伝いをして過ごすのが康之の日課となっていた。
ルイーズは部屋でシモーヌの面倒を見ながら、人形の足を作る内職に精を出していた。
康之が居間に入って行くと、ルイーズが作業の手を止めて「よく眠れた?」と、微笑みを浮かべる。
ルイーズが準備してくれる朝食を摂った後、二人で人形の足を作りながら、ルイーズは康之にこの時代のことをつらつらと語って聞かせた。
康之がここに来てから既に二週間が経つ。
いまシモーヌがいる2012年と1910年の世界では十倍の時間経過の違いがあることを知っている康之はここはどうなっているのかと、はじめのうちは気を揉んだが、考えてみても分かるはずはない。
そして康之の疼きはこの時代に来て三日目に消えていた。
しかし、焦ってみても仕方がないと康之は腹をくくった。
そんな康之にとって、ルイーズとのこうした時間はかけがえのないものになっていた。
彼女の話題は、ここが1810年の三月でナポレオンの統治する世の中であること。
そして、そのナポレオンが去年、奥さんを追い出して、この四月にオーストリアの若い王女様と再婚するといった女性特有のミーハーなものから、このところまた値上がりした間接税が貧乏人の家計をすさまじい勢いで圧迫しているという庶民の台所事情まで、様々なジャンルに及んだ。
そして、そのころ行われていた、女性が外で働くために子供を里子に出すという子育ての問題などにも触れた。
「へえー、若い王女様ね~。」
「そうなのよ、それがさ、私とおんなじ名前なんだって。
マリー・ルイーズっていう十七だか十八だかの娘さん!
本人は四十越えてんのよ。そんなに若いのがいいのかしらね。
それに、なにも前の奥さん追い出さなくってもいいと思わない?」
「僕の国には女房とタタミは新しいにかぎるっていう諺があるんだ。
でも、この国にはそれとまったく逆の諺があるんでしょ?
女の人とワインは古いほうが良いって・・・だとすると、どうして前の奥さんを追い出したのかな。ひょっとすると、他になんか理由があったんじゃないの・・・?」
「あら、あなた。妙にあの人の肩を持つじゃない。やっぱり男って生き物は・・・」
「い、いや、違うって・・・た、例えば子供ができなかったとかさ・・・」
「あっ、それよ、それ! 誰かがそんなこと言ってたような気がする。」
「ほ~ら、でも子供っていえば、さっきの話・・・例の里子に出せないっていう・・・
僕の国の話だけど、子供を預けて働いてるお母さんたちって、いっぱいいるみたいだよ。やっぱり面倒見てもらうお金が高いの?」
「違うのよ。まあ、お金もバカにならないんだけど、殺されちゃうのよ。」
「ええーっ! 里子に出すと子供殺されちゃうの!?」
「う~ん、まあ、殺されちゃうって言うか・・・早くに死んじゃうんだって。親の目が無いから、よっぽど扱いが荒いんじゃないのかしらね。」
「へえ~、それでもそんなところに子供を預ける人が・・・あっ!」
突然、話を中断した康之が椅子から立ち上がった。
「んっ・・・どうしたの?」
ヤスリをかける手を止めてルイーズが康之の動きを目で追いかける。
「・・・疼きが・・・来たっ。」
あの建物の最上階でもないミシェルの家で、今までに感じたことの無い強い疼きを感じた康之は戸惑いつつもシモーヌを探しに行ける喜びに震えていた。
「やあ、いらっしゃい、クラリス。」
「こんにちは、アンリ。
近くまでパンを届けに来たもんだから、たまにはコーヒーでも飲んで行こうかと思って。」
「ああ、そうかい。空いてる席に座って待っててくれ。すぐ熱いの淹れて持ってくから。」「いいのよカウンターで。他のお客さんが入ってきたら営業妨害になっちゃうじゃない。」
「なに言ってんだよ。」
軽口を飛ばし合っている二人に気付いて、店を手伝っていたロジェは息を呑んだ。
〝まずっ・・・ヤンとシモーヌの話が出たらどうしよう。〟
カウンターから死角になる壁際にスッと身体を寄せたロジェが聞き耳を立てていると、案の定クラリスが二人ことを話し始めた。
「そう言えば、ヤンたちから何か連絡はあった?」
「えっ、ヤンたちって・・・?」
「や~ね、ヤンとシモーヌのことよ。
お店の用事で二人でモンペリエに行ってるんでしょ?」
「はあっ・・・モンペリエ?」
「えっ、ヤダ・・・違うの?」
クラリスが困惑した顔をアンリに向ける 。
「二人でって・・・シモーヌも一緒に行ってるの・・・レンヌ?」
「えーっ、レンヌ?」
「あ、ああっ・・・なんでも、ヴィクトルの屋敷を設計した建築家が住んでるんだと、レンヌに・・・。そんで、そいつの話しを聞きに行きたいから休みをくれって・・・。
自分の国じゃ、あいつ、学校で建築を専攻してるらしいんだ。
シモーヌも一緒に行ってんの?」
話しが噛み合わないまま、二人はお互いを見つめてしきりに首を捻った。
「・・・ってことは、二人して言ってることが違ってるってことか・・・?」
「いったい、どうなってんの・・・?」
息を殺してじっと二人の話しを聞いていたロジェは足音を忍ばせて店を抜け出した。
店に降りてきたカロリーヌがそれを目にして首を捻る。
「おう、カロリーヌ。いいとこに来た。
おまえ、なにかヤンから聞いてねえか?」
「なにかって、何・・・?」
一通り二人の話しを聞いたカロリーヌが確信に満ちた表情を浮べた。
「きっとロジェが何か知ってる。」




