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セルジュ

コーヒーカップを洗う手を止めて、セルジュはカウンター越しに通りに目を向けた。

〝あの子、やっぱり、坊ちゃんだったのかな・・・〟

セルジュはぼんやりと昨日目にした三人連れの客のことを考えていた。

交代で休憩を取っていたセルジュが店内に戻った時、その三人はちょうど店から出て行くところだった。

チラッと見えた横顔と首に巻いた赤いリボンがセルジュの目に焼き付いていた。

「セルジュ、交代だ。休憩に入ってくれ。あとは俺がやっとくよ。」

店の主人であるピエールに肩をたたかれて、セルジュは我に返った。


セルジュはこの店の初代の主人、アンリをよく知っていた。

オーベルニュ出身のセルジュがブノア家の使用人として働くようになったのも同郷のアンリのお陰だった。

同郷の知り合いを頼りにパリに出てきたセルジュをアンリは暖かく迎え入れ、セルジュは〈アンリの店〉で働くようになった。

そしてセルジュの聡明さに気付いたアンリは彼をブノア家に紹介したのだった。

ブノア家で使用人として働き始めたセルジュは頭の回転の早さと真面目な性格が認められて、当主であるヴィクトルの秘書として、またブノア家の執事として働くようになった。

ヴィクトルが仕事で家を空ける時は執事として家を守り、また必要があれば海外へも同行してヴィクトルを支える。

そしてそんな生活に慣れた頃、セルジュは〝こっち〟に迷い込んでしまったのである。

使用人仲間の一人が風邪をこじらせて寝込んでしまったというので、セルジュは屋敷の中にある彼の部屋まで様子を見に行ったのだった。

その部屋は最上階にあった。

機転の効くセルジュは〝こっち〟に来た時、ここが自分の時代の何年か後の未来であることに気が付いていた。

すぐに図書館に駆け込んだセルジュは、この時代の事をつぶさに調べ上げた。

そして愕然とするとともに、自分一人では到底生活していくことなど不可能だと結論づけた。

身分を証明することもできず、現金も持っていないのである。

途方に暮れ、街を彷徨い歩いていたセルジュがふと顔を上げると、そこには見慣れた〈アンリの店〉が昔のままの姿で立っていた。

吸い寄せられるように店に入ったセルジュの目に飛び込んできたのは、壁に貼られた何枚かの写真だった。

それを見てセルジュはあんぐりと口を開けたまま動けなくなった。

アンリとヴィクトル、そして自分の三人が並んで映っている写真があったのだ。

しかも、その写真に映った三人は今の自分たちよりも明らかに年配に見えた。

〝えっ! 俺は帰れるのか・・・?〟

「いらっしゃい・・・あれっ、お客さん。あんた、あの写真の人によく似てるね・・・」食い入るように写真を見つめていたセルジュは背後から声をかけられて思考を中断した。声をかけてきたのがこの店の主人、ピエールであったことは後に分かったことである。

振り向くとピエールは髭を指でさすりながら笑顔で立っていた。

ピエールもその写真に映っている三人の人物をよく知っていた。 

そして彼ら三人の関係も。

セルジュは写真の中の自分自身が自分の曾祖父で、名前も彼から引き継いだということにしてピエールに伝えた。

そしてアンリやヴィクトルとの関係も〝聞いた話では・・・〟と、前置きをして説明した。

それを聞いて喜んだのはピエールである。

なにしろ自分の曾祖父の親友のひ孫が現れたのである。 

聞けば出身も曾祖父と同郷だというのだ。

オーベルニュはピエールにとってもルーツの地だ。

そこから出てきたというひ孫同士が曾祖父の時代から百年越しで出会ったのである。

ピエールはセルジュを店の奥に案内し、ワインを振舞った。

二人で飲み進むうち、セルジュが現在、職に困っているということを知ったピエールは、それならばと半ば強引にセルジュを〈アンリの店〉へ引き入れた。    

もちろん、セルジュは身分を証明するものも、事情があって紛失していることをピエールに告げたのだが、ピエールは「そんなもの、いくらでも手に入る。」と言って胸を張った。

その後、ピエールに連れられて不動産屋に行くと、ピエールの友人だという不動産屋の主人の計らいで、すぐに部屋を借りる手続きが取られた。

保証人はもちろんピエールである。

不動産屋が〝支払いは後払い〟ということで大家と話を付け、セルジュはその日からアパルトマンを確保することができた。

後日、役所からピエールが手配した身分証明書がセルジュのもとへ届く。

唖然とするセルジュにピエールはニッコリと笑って片目をつぶって見せた。


「ああっ、クラリスさんとこのお嬢さんでしたか!

どうりで、どこかでお会いしたような気がしてたんです。

それにジュリアン坊ちゃんもお元気そうで・・・」

そう言ってセルジュは目を潤ませた。


今日の昼間のことだった。

昼食を摂りに徹とシモーヌ、ジュリアンの三人が〈アンリの店〉へ入って行くと、カウンターの中にいたセルジュが三人を見て、ハッと息を呑んだ。

それに気付いた三人がカウンターに目を向ける。

徹は自分以外の三人が、お互いに顔を見合わせて言葉を失っていることに気が付いた。

シモーヌが目を丸くして男を見つめている。

ジュリアンの顔は笑顔のまま固まっていた。

〝な、なにっ・・・いったいどうしたの?〟

訳が分からずシモーヌたち三人を交互に見つめる徹の耳に、ジュリアンの小さなつぶやき声が届いた。

「・・・セルジュ。」


徹たち三人はセルジュを囲んでホテルの部屋で話し込んでいた。

その日、店が終わった夜、セルジュが徹の部屋を訪ねて来たのだった。

セルジュが行方不明になっているというブノア家の執事であると聞いて、徹は〈アンリの店〉で見せた彼ら三人の反応を、そういうことかと納得した。

考えてみれば、ジュリアンとシモーヌ以外にも、こちらの時代に迷い込んだ人間がいてもなんの不思議もないのだ。

そして話の中でセルジュが何気なく言った一言が、徹たちを驚かせた。

それは〝こっち〟と〝向こう〟の時間の流れる早さの違いであった。

セルジュによれば、彼がこっちにき来てから二ヶ月半が経つという。

一方、ジュリアンの話では、セルジュが向こうで姿を消したのは二年前だという。

これは、初めて会った時、こっち来てて十二日目だと言ったジュリアンに対し、ジュリアンが向こうで行方不明になってから四ヶ月が経っていると言ったシモーヌの話を突き合わせると、1910年の〝向こう〟が2012年の〝こっち〟の十倍の早さで時間が経過しているという計算で完全に付合する。

いったいどうしてだろうと四人は頭を抱えたが答えが見つかるはずもない。

「それにしても、時間を飛び越える入口があそこにあったとは・・・」

セルジュはタイムスリップの秘密がブノア家の最上階にあることを聞かされて目を丸くしていた。

「それで、今の話はロラン坊ちゃん以外にだれか知っている者はいるんですか?」

「ええ、実はこちらの時代から私たちの時代へ行っちゃってる人がいるんです。

その人は自分の時代へ帰ろうと、ブノア家の最上階をいろいろ調べているはずです。

私もそれをお手伝いしている時にこっちに迷い込んでしまって・・・」

シモーヌが今にも泣き出しそうな顔でセルジュを見上げる。

「お嬢さん、そう気を落とさずに。きっと帰れますよ。」

確信に満ちた表情でそう言うと、セルジュはシモーヌの肩にそっと手を置いた。

その時、セルジュの頭には店に飾ってある一枚の写真がありありと浮かんでいた。


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