あの日の太閤殿下への恩返し
小学生の頃だったか
中学生になった頃だった様に想いますが
親父から島津の子だからと聞かされ
今の時代の様にインターネットも無く
情報が薄かった時代
油絵画家の祖母が
うちによく来ていたので
祖母に 島津って何?
と聴いたことが 始まりになります
次にここに来た時に
系図を持ってくるからと
祖母に言われ
系図とは何かも知らず
今となってはそんな物が
あったというのが不思議で
何処の家にも有るのが普通だと想っていました
その系図も広げれば
6畳の部屋を遥かに超える長さであり
置き場が無いからと仏壇の下に
数10年と放置されたままでした
家に インターネットが付けれるという話が
何回かあり
インターネットとは何か?
値段も高く 数年諦め
家にパソコンが付いたのも
今から十年以上前になります
それまでは携帯だけで
某閉鎖された掲示板に
連日の様にレスを
繰り返すだけの毎日でした
家にパソコンが付くようになり
今となればもう少し遅ければ
新品のパソコンで契約すれば
良かったと公開してますが
当時は中古のパソコンで
インターネットを引く契約をしました
それから数年後に自分でパソコンを
買い替え今に至りますが
あまり触る時間もない労働時間の為
キーボードで素早く打ち込むことは
今でも出来ないために
相変わらずスマホでの投稿が定番です
そして中古のパソコンが家についた頃
家にいてもすることも無く
インターネットでも情報が
今のように濃い時代でもなく
血液型のABO式にAA AB BO
そんな血液型もインターネットには
情報もなく
久しぶりに検索すると誰かがブログに
AA AB BO型式もあると描いてますが
私はその情報よりも十年前に
閉鎖された携帯掲示板の頃に描いていました
その中古のパソコンにて
暇つぶしと ものは試しに
家系図に書かれている
最初の人物の名前をパソコンにて打ち
何故 此処に書かれているのかと
不思議に思い
その書かれている事も何と無く
把握できた頃の夜中に
何かに揺り起こされるかのように
起き出し夜中2時にパソコンへ向かい
背後に気配を感じ 鳥肌を立てながら
油絵画家の祖母に宛
文面を打っていました
その祖母も90歳を迎え
今でも元気に油絵を描いて居ます
爺さんと引き揚げ船に乗る前に
知り合った頃は十代後半か20代前半だったと
想います
私の家にはその当時の写真は無く
私が産まれる前の写真や
まだ山田新一画伯が生きていた時代の
祖母の写真なら家にあります
その祖母から貰った系図を
暇つぶし程度にインターネットに検索し
更に情報が濃くなり増えていき
私の知らない情報も知識として増え始め
ブログにしてくれている人に連絡をしたり
滅亡したという事もインターネットにて知り
いつしか系図を辿り
伊集院忠棟が惨殺された日の旧暦ではなく
現代の日付にされた日を知らず
夜中から車を運転してほぼ半日かけて
高野山へ行きました
2度 高野山へ行き
パンフレットを貰い
伊集院忠棟を惨殺した
島津忠恒の墓へ行きました
けどその墓からは何も感じるものもなく
この下には骨すら入ってないのではなかろうか
そう思う様になり
家に帰り インターネットにて
調べたところ 私が高野山を訪れた日が
伊集院忠棟が島津忠恒に惨殺された日であり
その墓は魂が帰る場所であり
骨は別の場所にあるのだと想い
その結果 武将の亡くなった地に
武将の骨もある墓地があり
最近の増えだした情報によると
織田信長は本能寺から逃げ出した
明智光秀は実は生きていたという情報
大阪夏の陣で亡くなった
豊臣秀吉の子供も 大阪の京橋口より
船に乗り 後に
九州へ渡り 天草四郎時貞として
生きていたというような情報もあり
実は誰々がチンギス・ハーンになった
と言うような情報もあり
子供の頃に授業で習ったことを
その場で終わらすことなく
追求し論争してくれている
ファンが居ることを嬉しく想います




