あの日の太閤殿下への恩返し
いつもの様に 高速を走っている時に
ふと頭を過ぎる昔話を脳裏に想い出しました。
子供の頃に昔話の絵本が色々と
合ったように思います。
その中で 猿蟹合戦 について
当時から人を見た目で渾名を
付けていたようにも想いますが
当時も今も同じですが
世間では 豊富を猿と呼ぶ様ですが
私は 猿とは呼ぶ事はなかったです
徳川は猿蟹合戦では
臼に例えられると想いますが
臼のようにどっしりと構えてる姿と
昔の絵を見て 私は徳川を
狸と呼んでいました
臼のようにどっしりと構えた東軍の狸
昔の武将の絵を見て
当時の武将はこういう感じだったと
想像は出来ますが
歴史は覆されることも良くあるために
後の時代になり武将の末裔をモデルに
絵を描き 同時の武将の姿として
保存されていた絵も多数あるでしょう
図書館でも本屋でも
武将の名をタイトルにした
シリーズ物の本が今でも有ると思いますが
私は小学生になる前に関東から逃げる様に
関西に住む事になり 今に至りますが
戊辰戦争の最終地点で産まれ
時代を戻るかのように
徳川政権の合った
日光東照宮のある地区で育ち
その地を逃げる様に 新幹線で
島津の退き口の関ヶ原を
豊臣政権の合った関西へと
移り住む事になりました
私は子供の頃に
島津の子だからと
親父には厳しく育てられた様に
今でも思います
けど時代が時代であった為
刀や槍等は当然有りませんでした。
その親父も曾祖父さんが憲兵であり
爺さんが軍人であった為に
厳しく育てられた様に思います。
私からの視点でオレンジの陽の中で
にて過去に描きましたが
曾祖父さんもまた もう1世代前の
親か爺さんが 富山から
参勤交代の西郷どんに ついて行き
九州に移り住んだと話に聞いています
今の時代はインターネットという
便利な時代である為に
簡単に色々と調べる事が出来ますが
私は家にある1枚の家系図と
聞いた話から
自身のルーツや
訳あって
祖父側に祖母は2人いますが
その祖母側のルーツも辿る事が出来
インターネットという物から
ルーツを辿り、明治後半、昭和初期の
華族の集合写真を見つけ
片方の祖母にはその証拠をコピーし
その写真を元にルーツを辿り
祖母から話を聞くことが出来ました
華族側の元は伊集院であり
私は伊集院忠棟が京都の伏見の
島津邸茶室で惨殺された側の末裔であり
華族側の末裔と戦国、安土桃山時代と
呼ばれている時代の伊集院は
島津忠恒の忠棟に対する惨殺と
それ以降の乱で 滅亡という道を
さまようことになったそうですが
詳しくはインターネットより
参照してもらえれば有難く思います
実際には遺伝子を通したら
滅亡していないことになります
インターネットには
その忠棟の惨殺後
伊集院家は滅亡という言葉を
インターネットにて知り
凄く屈辱を覚えました。
後に公爵や、貴族院議員、華族となる
伊集院は島津が 名前を継いだだけに
思われるような情報が有りますが
あれは、真っ赤な嘘であります
遺伝子により受け継がれるように
今の時代なら詳しく調べる事が
可能であるのに何故
デマなど流れるのか 不思議であり
事細かく詳細が書かれているので
それを逆に戻れば
繋がっている滅亡ではない証拠があり
私の気持ちも解っていただけるように
想います
時代は平和な時代となりましたが
私の中の先祖の遺伝子が
インターネットにて描かれている
間違った情報に納得行かなかったようなので
夜中に霊に起こされ
家系図を元に今に至り
私に最後を託されたように想います




