恐怖の昼食会➁
「……美味しいです、お父様……あっ」
甘いポタージュを一口含んだ瞬間、オリヴィアの表情がパッと華やいだ。あまりの愛らしさに俺の心の中は大暴風雨のような大歓声に包まれる。だが、彼女はすぐにハッとして口元を押さえ、顔を青くした。
「も、申し訳ございません……っ! 公爵様と、お呼びしなければ……っ」
(……待て、やっぱりその呼び方はアカン!! ショックで俺の心が折れる!!)
どうしても「お父様」と呼ばれたい俺は、ポーカーフェイスのまま給仕室の隅で怯えるマリアへ視線を向けた。
「……マリア。オリヴィアは今年でいくつになる」
「ひっ……! じ、十歳でございます……っ、レイン様……!」
「そうか。ならば……じきに舞踏会へ出す時期だな。ドレスや装飾品の準備が必要だ」
淡々と告げる俺の言葉に、マリアだけでなく周囲のメイドたちまでもが息を呑んだ。それもそのはず、レインはこれまで領地に引きこもり、舞踏会の華やかな集いなど一切興味を示してこなかった男なのだから。
俺はそのまま冷酷な公爵としての威厳を崩さず、マリアに畳みかけた。
「最低限のマナーは叩き込んであるのだろうな? 舞踏会でヴァルハルトの名を汚すような真似は許さん」
「は、はいっ……! 作法につきましては、完璧に……完璧に仕込んでございます……っ!」
マリアは声の限り必死に答えた。それもそのはず、過去の冷酷な公爵の前で失礼があれば、娘であるオリヴィアはもちろん、指導係である自分たちメイドもまとめて処分されるという恐怖があったからだ。必死の教育の甲斐あり、オリヴィアのマナーはすでに完璧な域に達していた。
「……ほう。ならば衣装だ。舞踏会に出せるドレスや装飾品は揃っているのか」
その問いに、マリアの顔から一瞬で血の気が引いた。
「そ、それが……っ。オリヴィア様のお召し物は……一、二着ほどしかございません……っ。それも幼少期のもので、すでに小さく……その他の装飾品も……っ」
(あー……そういえば原作のクソ公爵、娘に一切期待してなくて『無駄金だ』って言って何も買い与えてなかったな!? 一、二着って正気かよ!? 天使に古着を着せてただなんて……ッ!)
心の中で激怒する俺だったが、表面上はどこまでも冷徹に、不機嫌そうな低音で言い放った。
「……話にならんな。一から十まで揃え直す。採寸の手配を急げ」
重厚な圧力をまとったまま俺は息を飲むオリヴィアへと向き直り、威圧感を纏わせた声で静かに命じた。
「……それと、舞踏会で実の父を『公爵様』などと他人行儀に呼ばれては困る。外ではもちろん、この屋敷内でも『お父様』と呼べ。……良いな?」
(よし! 完璧な理由付けだろ! これで堂々と『お父様』って呼んでもらえる!!)
俺の言葉に、オリヴィアはびくりと肩を震わせた。冷徹な父親から威圧的に命じられ、恐怖に押し潰されそうになりながらも、必死に小さな声で言葉を絞り出す。
「は、はい……っ。お……お父様……っ」
(よっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 『お父様』いただきましたぁぁぁ!!)
歓喜のあまり、俺の口角がわずかに引き上がり、不敵なドヤ顔が完成した。……しかし、周囲の者たちの目にはそれが「獲物を意のままに服従させた悪魔の笑み」にしか映っていなかった。
やがて食事が終わり、ナプキンで口元を拭った俺は、静かに席を立った。
「……今日はもう良い。部屋に戻って体を休めろ」
(初めての食事で緊張して疲れただろうし、今日はゆっくり休んでほしい! 明日は最高の仕立屋を呼ぶからな!!)
そんな親心からの気遣いだったが、あまりに淡々とした命令口調だったため、オリヴィアは「お前の用事はもう済んだ」と突き放されたのだと誤解し、小さく身をすくめて深く頭を下げた。
「は、はい……失礼いたします、お父様……」
消え入るような声で退室していく娘の背中を、俺は満足感たっぷりに見送ったのだった。
◇
その日の夕方。暗雲が立ち込める給仕室では、メイドや執事たちが青ざめた顔で集まり、息を殺して密談を交わしていた。
「聞いたか……? レイン様がオリヴィア様を強引に舞踏会へ引きずり出そうとなさっているそうだ……」
「あのお方がご自身から舞踏会になど関わるはずがないわ! 今まで『金の無駄だ』とドレス一着すら買い与えなかったのよ!?」
「となれば目的は一つしかないわ……! まさか……他国の老貴族か、醜悪な有力者へ『政略結婚の道具』として高く売り払うおつもりでは……!?」
「ひぃっ……! な、なんて惨烈なご構想……っ!」
給仕の若い侍女が恐怖で口元を覆い、身を震わせる。そして、隣にいた別のメイドが、未だ蒼白な顔をしているマリアの手を必死に握りしめた。
「そ、それにしてもマリア……! よくあの場でレイン様にお言葉を返できたわね!? 命が惜しくなかったの……!? 一歩間違えれば、その場で首が飛んでいたかもしれないのよ!?」
周りの奉公人たちからも、「恐ろしい」「信じられない」といった眼差しがマリアに集まる。
マリアは震える手で自身の胸元をぎゅっと握りしめ、悲痛な、けれど強い意志を秘めた面持ちで呟いた。
「……だって、私まで黙っていたら、オリヴィア様があまりにもお労しいじゃない……っ」
「マリア……」
「幼い頃から、お父様からもお母様からも一度も愛されず、振り向いてももらえなかったお方よ……? せめて私だけでも味方になって、お守りしなければ……! どんなにおそろしいお仕置きを受けようと、あのお子様を一人きりにさせるわけにはいかないわ……っ!」
マリアの悲壮な決意に、集まっていたメイドたちの目には涙が浮かび、給仕室全体に重苦しくも強い絆のような空気が走った。
——ただ娘に最高に可愛いドレスを大量買いして甘やかしたくて、「舞踏会」「ドレス買い直す」「お父様と呼ばれたい」と奔走しただけの親バカの真意は、何ひとつとして伝わっていない。
屋敷の者たちの絶望的な勘違いと歪んだ噂は、留まることを知らず、どこまでも恐ろしい方向へと膨らみ続けていくのだった——。
一人でも読んでくれる人がいたらやる気がでます。ここまで読んでくれてはありがとう。




