はじめての会話
(やばいやばいやばいやばい!! 泣かせちゃった!? 俺の目つきが凶悪すぎるせいで天使が泣きそうになってるんだが!?!?)
恐怖で小さな身体を縮こませ、涙目で震えるオリヴィアを前に、俺の心の中は大パニックに陥っていた。
今すぐ「ごめんね! 怖がらせるつもりはなかったんだよ!」と抱きしめて撫でまわしたい。だが、急にそんな行動に出れば「狂った公爵」として屋敷中が大騒ぎになるし、何よりオリヴィアをさらに怯えさせてしまう。
落ち着け、俺。こういう時こそ社畜時代に培った危機管理能力を発揮するんだ。まずは場を和ませる共通の話題を探せ!
俺の視線は、オリヴィアが小さな手でぎゅっと抱きしめている一冊の分厚い本に注がれた。
(本だ……! 俺も前世で本が好きだったし、何よりレインの知識もある。これなら会話がつながるはず……!)
俺は努めて穏やかに、優しく問いかけようとした。
「……何を、読んでいる」
しかし、社畜のポーカーフェイスと公爵の重厚な低音ボイスが組み合わさった結果——その言葉はまるで**『そんなくだらない本を読んでいるのか』**と詰問するような、冷ややかなプレッシャーとなって部屋に響いた。
「ひっ……! ぁ……あ、あの……っ」
オリヴィアの肩が跳ね上がる。彼女は絶望に瞳を揺らしながらも、怒らせたら処分されるという恐怖からか、震える両手で恐る恐る本を差し出してきた。
「こ、古代帝国の……歴史書で、ございます……っ。お、お父様……勉強を、怠っていたわけでは……っ」
差し出された本を見た瞬間、俺は思わず目を見張った。
(マジかよ!? こんな難解な専門書、大人の貴族でも読破するのが難しいレベルだぞ!? それをこの若さで読んでるのか……!?)
「……ほう」
俺の口から漏れた感嘆の声。
だが、オリヴィアの耳には「ふん、その程度か」という冷血な鼻で笑う音にしか聞こえていなかった。彼女はキュッと目を瞑り、説教を覚悟するように首をすくめる。
(あかん、恐怖で限界突破して涙目になってる……! どうしよう、このままじゃ本当に泣かせてしまう……!)
焦った俺は、なんとか彼女を安心させようと「父親らしい優しい笑顔」を作って見せることにした。口角を柔らかく引き上げ、親愛の情を込めて微笑みかける。
……しかし。
社畜時代に叩き込まれた引きつり気味の笑顔と、公爵レインの元々の冷酷で鋭すぎる顔立ち。それが組み合わさった結果出来上がったのは——**「獲物の恐怖を嘲笑い、これからじっくりと追い詰めようとする凶悪な悪魔の笑み」**だった。
「ふ……遠慮せず、話していい」
(優しく言えたはず……!)と胸を張る俺。
だが、その恐ろしすぎる「笑顔」を目の当たりにしたオリヴィアの顔から、完全に血の気が引いた。
「ひぁっ……ぅぐっ……!!」
ポロポロと大粒の涙が、彼女の美しい瞳から溢れ出す。あまりの恐怖に小さな身体を丸め、声を殺してシクシクと泣き出してしまったのだ。
(ええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!? なんでぇぇぇぇぇ!? 笑顔!! 今めちゃくちゃ優しい笑顔作ったよね!? なんで大号泣してんの!?!?)
パニックになりかける頭を必死で叩き起こし、俺は心の中で全米を泣かせながら言葉を選び直した。
「……古代帝国の歴史か。その年代の記述は主観が多く、理解するのが難しいはずだ。……よく、読んでいるな」
「……え?」
お叱りと更なる拷問を覚悟していたオリヴィアが、涙に濡れた瞳をぽかんと見開いた。
「なかなか、筋が良い。素晴らしい読書量だ」
前世で読書家だった俺の本音と、純粋な褒め言葉。
無表情(というか固まった顔)のままであるため「厳しくテストして合格を出された」かのように見えたかもしれないが、それでも俺は最大限の敬意と称賛を込めて彼女の頭に手を伸ばした。
そして、ふわりと——その小さな頭を、優しく撫でた。
「あ……」
オリヴィアが小さな声を漏らし、固まる。
今まで一度も親からの温もりを与えられたことがなかった少女にとって、それは生まれて初めて触れた父親の「手」の温かさだった。
(あぁぁぁぁぁぁぁぁ髪の毛ツヤツヤさらさらぁぁぁぁぁ!! 天使!! 天使の頭を撫でてしまったぁぁぁ!!)
内面で狂喜乱舞のダンスを踊りながら、俺は急ぎ次の「本題」へと移行した。ここで一気に距離を縮める!
「オリヴィア。……今日から、昼食は俺と同じ席で摂る」
「お、お父様と……一緒、に……?」
驚きで宝石のような目を丸くするオリヴィア。
俺は威厳を保ちつつ、ほんの少しだけ声のトーンを落として尋ねた。
「……嫌か?」
「っ……! 嫌、じゃ……ありません……っ! お父様と、ご一緒できるなんて……すごく、嬉しいです……っ」
泣きじゃくりそうになるのを必死に堪えながら、蚊の鳴くような声で、けれど確かにつぶやいたオリヴィア。
放置され、孤独に耐えてきた幼い少女にとって、父親と一緒にご飯を食べるという当たり前のことが、どれほど憧れだったことか。拒絶される恐怖を乗り越え、彼女は小さく、小さくうなずいた。
その瞬間、俺の脳内全米が起立拍手で大歓声をあげた。
(よっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! 一緒にお昼ごはんゲットォォォ!!! 破滅フラグ回避の第一歩踏み出したぞぉぉぉ!!!)
「……そうか。ならば、のちほど食堂で待っている」
俺は威厳に満ちた仕草で背を向けると、堂々たる足取りでオリヴィアの部屋をあとにした。
廊下に出た瞬間、壁に背中を預けて深く息を吐き出す。
(あぶねぇぇぇ……緊張で心臓破裂するかと思った……! でも言えた! 誘えたぞ!!)
ガッツポーズを噛み殺しながら、俺は食堂へと向かって歩き出した。
一方その頃——。
部屋に残されたオリヴィアは、頭の上に残る父親の手の温もりを確かめるように、小さな手でそっと自分の髪に触れていた。
「お父様が……私を、褒めてくれた……?」
冷酷で恐ろしいと思っていた父親の、不器用で、けれど確かな温もり。
悪役令嬢へと至るはずだった少女の運命の歯車が、いま静かに、まったく違う方向へと動き始めていた。
ありがとうございます。




