嵐の去ったあとで
四人が、最高級レストランで和やかに絶品料理やデザートに舌鼓を打ち、笑顔を交わしていた、まさにその頃――。
帝国の舞踏会会場は、死に絶えたような静寂に包まれていた。
レインが残していった凄まじい威圧感と殺気の余韻が、今なお冷気となって会場全体を支配している。貴族たちは顔から血の気を引きらせ、ダラダラと冷や汗を流しながら、息を殺してその場に立ち尽くしていた。
(か、帰りたい……! 今すぐにでもこの場から逃げ出したい……!)
会場にいた誰もがそう切望していた。だが、あまりの緊迫感に身動き一つ取れず、とても「お先に失礼します」と言って立ち去れる雰囲気ではない。
そんな惨状の中央で、皇帝レディオンは冷ややかな、そして深い失望を込めた眼差しで第二皇子ユリウスを見下ろしていた。
一蹴され、膝から崩れ落ちたユリウスの瞳からは、恐怖と屈辱でぽろぽろと涙がこぼれ落ち続けている。
レディオンの頭の中は、今や激しい頭痛と胃痛で暴れ回りそうだった。
このパーティーは、皇帝である自分が主催した、帝国の権力と品位を示すための最高峰の場だ。そこに集まっているのは各界のエリート貴族たち。さらには、レインと同じく帝国を支える四大公爵家の当主、そしてその息子や娘たちまで一堂に会している。
そのすべての面前で、第二皇子と皇后はこれ以上ない「皇室の恥」を晒してしまったのだ。
あまりの失態に、もみ消すことすら不可能だった。
「……本日のパーティーは、これにて終了とする。各自、退出するように」
レディオンが重々しく宣言すると、貴族たちは弾かれたように、しかし音を立てないよう静かに、我先にと会場を後にし始めた。
◇
玉座の間――。
レディオンは、原因を作った第二皇子ユリウスと、皇后セレスティアを呼びつけていた。
「……セレスティア。なぜあれほど『オリヴィア嬢には手を出すな』と言っておいたのが分からんのだ?」
レディオンの地響きのような問い詰めに、皇后セレスティアは顔を青くしながらも、必死で弁明を試みる。
「わ、私はほんの少し……挨拶のつもりで……」
「呆れたものだな」
レディオンは心底嫌そうに息を吐き捨てた。
「私はレインと明確に約束したはずだ!『オリヴィア嬢に政略結婚はさせない』『ユリウスと会わせることもない』とな! 皇室がヴァルハルト公爵家との約束を公然と破ったのだぞ!? これは前代未聞の失態だ!」
「ひっ……! 私は……こんな、大ごとになるなんて思ってもおらず……!」
「ぼ、僕も……そんなつもりじゃ……ただ、なか、仲良くなりたくて……っ」
ユリウスは子供のように涙を流し、言葉を何度も噛みながら泣きじゃくった。しかし、レディオンの怒りは収まらない。
「それだけではない! 公開の場で、レインはお前を本気で殺そうとしたのだぞ!?」
「皇帝陛下! いくら四大公爵家の当主とはいえ、あれは皇室に対する無礼です! 不敬罪に処すべきで――」
「黙っていろ!!」
レディオンの一声が玉座の間に響き渡り、セレスティアの言葉を遮った。
「まだ分からんのか!? 皇室が自ら約束を破り、その上、公の場で大恥を晒したのだぞ! 不敬罪だと? どちらに非があるかなど火を見るより明らかだ!」
「そ……それは……」
セレスティアは次の言葉を失い、固まった。レディオンは冷ややかに鼻で笑う。
「お前の考えていることくらいお見通しだ。四大公爵家の中で最も強大な権力を持つヴァルハルト家。その娘をユリウスの妃に迎えれば、ユリウスが次期皇帝になれる確率は跳ね上がる……そう企んだのだろう。だがお前は失敗し、レインの苛烈な反感を買った。……後は言わなくても分かるな?」
「……はい……」
セレスティアは完全に折れ、弱々しく首を垂れた。
「二人に命じる。今後一切、ヴァルハルト公爵家に関わるな。いいな」
「「は、はい……」」
「それから、ユリウス」
レディオンは泣きじゃくる息子を冷たく見下ろした。
「お前は公の場で無様を晒した。今のままでは、お前が皇帝の座に就くのは難しいだろう。まずは失った名誉を回復しろ」
「はいっ……!」
「ふん……まあ、ヴァルハルト以外の四大公爵家のうち、どこか一つとでも強固な関係を築き、何かしらの成果を上げられれば、失った名誉など簡単に回復できるだろうがな」
◇
その頃、城を抜け出した貴族たちの間では、すでに凄まじい勢いで噂が駆け巡っていた。
「見たか……? あの氷の公爵様が、本気で怒っておられたぞ……」
「娘さんを溺愛されているというのは本当だったのだな」
「第二皇子派はもう終わりだ。完全に目をつけられた……」
それまでオリヴィアのことを「生贄」「不遇な娘」と侮っていた貴族たちの評価は、この一夜で180度覆った。
(ヴァルハルト公爵令嬢……彼女は『絶対に触れてはいけない最優先危険人物』だ。いや、むしろ最優先でご機嫌取りをしなければならないお方だ……!)
誰一人として、二度と彼女に害をなそうなどと考えなくなった瞬間であった。
◇
すべての収拾を終え、誰もいなくなった玉座の間で、レディオンは深々と玉座に背を預け、大層なため息をついた。
「……まったく、レインの奴め。嵐のように去っていきおって……」
こめかみを指で押さえながら、レディオンはふっと苦笑いを浮かべる。
「今頃はどこかで、美味いものでも食っているに違いない」
長年の親友であるレインの行動を完璧に察しつつ、レディオンはぽつりと呟いた。
「……ふう。騒ぎをうまく収められるよう立ち回ってくれたカーマインにも、あとで礼を言わねばならんな……」
皇帝の果てしない胃痛は、まだまだ収まりそうになかった。




