暖かな夜
カーマインに案内されて入ったレストランは、王都でも一二を争う最高級店だった。洗練された調度品と落ち着いた照明、静かに流れる音楽。普段なら足を踏み入れることすら躊躇うような空間に、オリヴィアとマリアはすっかり呑み込まれていた。
二人の顔には、まだ舞踏会での緊張と不安の影が色濃く残っている。自分たちのせいで大変な事態になってしまったのではないか――そんな思いが、二人を小さく縮こまらせていた。
「もう、二人ともそんなに落ち込まないの! ほら、今日はレインのおごりなんだから、遠慮しないでジャンジャン食べちゃいなさい!」
カーマインが扇子をパタパタと仰ぎながら、二人を元気づけるように明るい声を上げる。それでもなお恐縮して固まっているマリアに向けて、レインは静かに視線を向けた。
「……マリア」
「は、はいっ! 公爵様!」
「お前もヴァルハルト家の人間だ。今日くらい気兼ねなく食え」
「えっ……あ、ありがとうございます……!」
レインの言葉に背中を押され、運ばれてきた色とりどりの高級料理と煌びやかなデザートを前に、オリヴィアとマリアの瞳が次第に輝きを帯びていく。
オリヴィアがフォークを手に取り、小さく切り分けた料理を口へと運んだ。
次の瞬間、パッと花が咲いたような笑顔が彼女の顔に広がる。
「こんなにおいしいもの……食べたことありません……!」
(ぐはっ……!!! 笑顔が眩しすぎる!! 天使のモグモグタイムきたーーーーーっ!! なんだその可愛い反応は!? 頬張る姿が愛おしすぎて視界が滲むんだが!? なんでこの世界には写真が存在しないんだ!! 誰かカメラを開発してくれ! なければ明日一番で最高峰の絵師を雇って今の笑顔をキャンバスに永遠に残させるぞ!!)
脳内が大爆発を起こし、全全全全米が泣くレベルの感動に打ち震えるレイン。しかし、長年培われた「氷の公爵」の仮面は微動だにしなかった。
「……そうか。口に合って何よりだ」
完璧な所作でグラスを傾け、冷酷かつエレガントにワインを口に含む。表面上はあまりにもクールな父親そのものであった。
「あら、じゃあ私も遠慮なくいただくわね! シェフ、この店で一番高いワインと料理を片っ端から持ってきてちょうだい!」
レインの太っ腹(?)な姿勢を見たカーマインは、ここぞとばかりに高級料理とヴィンテージワインを片っ端から注文し始めた。その破天荒な様子に毒気を抜かれたのか、オリヴィアもマリアも、次第に不安を忘れておいしそうに料理を楽しんでいった。
◇
賑やかな食事が一段落し、テーブルに食後の紅茶が運ばれてくると、カーマインが少し真面目なトーンに声を落とした。
「……さて。おいしいものを食べたところで、少し真面目な話よ」
「なんだ」
「今回のことで、第二皇子派は黙っていないわ。あなたが第二皇子派ではないと公になった以上、今度は他の皇子派閥があなたを取り込もうと必死に近づいてくるはずよ」
レインは紅茶に目を落とし、気のない風に答えた。
「その時はその時だ。寄ってくる羽虫など、片っ端から叩き落とせば済む」
力強いレインの言葉を聞くこともなく、隣のソファでは、初めての舞踏会で疲れ果てたオリヴィアが、マリアの膝に頭を預けてスースーと気持ちよさそうに眠りについていた。
「……お父様……」
小さな口からこぼれた寝言に、レインの心が跳ね上がるのを必死で抑え込む。
(お父様って言った……!! 寝言で『お父様』って言ったぞ……!!! 尊い……尊すぎて心臓が破裂しそうだ……!)
脳内で悶絶するレインの横で、カーマインはふっと表情を曇らせた。
「それより……今日の舞踏会のこと、明日の朝刊には間違いなく出ることになるわね。こんな大スクープ、新聞社が見逃すはずがないわ」
「だろうな。『氷の公爵、舞踏会で第二皇子を一蹴』とでも書かれるのだろう」
淡々と答えるレインだったが、カーマインの暗い顔つきに気づき、眉をひそめた。
「……どうした、カーマイン。暗い顔をして」
カーマインは溜め息をつき、肩をすくめてみせる。
「どうしたもこうしたもないわよ。パーティーはめちゃくちゃ、その上、勝手な真似をした第二皇子と皇后は、今頃レディオンにお説教されているでしょうね……と思ってね」
想像したレインの唇から、小さく可笑しそうな笑みが漏れた。
「フッ……あいつも大変だな」
「皇帝だから仕方ないわよ。……それより」
カーマインはすっと目を細め、ニヤリと意地悪く微笑んだ。
「まだ、私に言うことがあるんじゃないかしら?」
「……何のことだ?」
「とぼけないでよ。あなたからのお礼の言葉、まだ聞いてないんだけど?」
会場の手配からドレスの準備まで、完璧に立ち回ってくれた悪友の指摘に、レインは少し嫌そうに顔をしかめて見せた。
「……ちっ。……感謝する、カーマイン」
「ふふ、素直でよろしいわ」
「……だが、俺も聞いていないなと思ってな」
「あら、何のことかしら?」
「俺が奢ってやったんだ。礼くらい言ったらどうだ」
レインの言葉に、カーマインは一瞬呆れたように目を見開き、それから格好良くグラスを掲げた。
「ふふっ、ごちそうさま、太っ腹な公爵様」
二人は顔を見合わせ、声を殺して小さく笑い合った。
「さあ、そろそろ行きましょうか。天使ちゃんを起こさないようにね」
眠るオリヴィアをレインが優しく抱き上げ、マリアと共に静かにレストランを後にする。
夜風が心地よい王都の街並みの中、一行を乗せた馬車は、温かな余韻を残しながらゆっくりと走り出したのだった。




