馬車の中の絶望①
冷たくなった夜風を切り裂くように、レインは固まる貴族たちを意にも介さず、オリヴィアとマリアを促して凍りついた会場を後にした。
敷地に用意されていたヴァルハルト公爵家の豪華な馬車へ二人を案内し、扉を開ける。すると、車内にはすでに先客が一人、優雅に腰掛けていた。
「あら、お帰りなさぁい」
華やかな正装に身を包んだカーマインが、扇子を優雅にあおぎながら柔らかい笑顔で微笑みかけていた。
向かい合わせの座席に腰を下ろしたものの、オリヴィアとマリアの心内は、とても落ち着ける状態ではなかった。
(どうしよう……私、舞踏会で大失敗をしてしまった……。せっかくお父様が連れてきてくださったのに、皇子様や周りの方を困らせて…きっとお父様に失望されてしまったわ。どんなお仕置きを受けるのかしら……っ)
オリヴィアは膝の上で小さな手をギュッと握りしめ、失望と罰への恐怖で身体を固くしていた。
そして、隣に座るマリアの絶望はそれ以上だった。
(皇子殿下の護衛騎士様に不敬を働き、挙句の果てに公爵様にまであのような恐ろしい真似をさせてしまった……。きっと屋敷に戻ったら、私は静かに処刑されて消されるに違いないわ……っ)
二人はそれぞれに最悪の未来を想像し、顔からすっかり血の気を引かせて頭の中をパニックに染め上げていた。
パタン、と馬車の扉が閉まり、静かに車輪が動き出す。
カーマインは二人のただならぬ怯えようを気遣いつつも、向かいに座るレインへ呆れたような視線を向けた。
「……たく、急に真顔になったと思ったら、凄まじい殺気を撒き散らしながら一人でベランダから飛び出していくんですもの。冷や冷やしたわよ」
レインは二人が青ざめている理由に気づかぬまま、窓の外の夜景に視線を向け、短く吐き捨てた。
「……俺の娘に、勝手にちょっかいをかけるのが悪い」
「あんたねぇ、私がレディオンを急かしてあの場に行かせなかったら、取り返しのつかない大変なことになってたじゃない!」
扇子をパチンと閉じ、カーマインが抗議の声を上げる。レインは白々しくそっぽを向いた。
「……何のことだ」
「とぼけないで頂戴! あんた、本気で第二皇子殺そうとしていたでしょうが!」
「……何か問題でも?」
冷淡と言い捨てるレイン。だが、その完璧なポーカーフェイスの裏で、内心のレインは大汗をかいて滝のような冷や汗を流していた。
(いや、分かってる! 分かってたんだけどさぁぁぁ!? オリヴィアのあの怯えた顔と泣きそうな目を見たら、理性が吹き飛んで体が勝手に動いちゃったんだよ!! 俺だってあんなことしたくなかったわ!!)
そんなレインの内心のパニックを知る由もないカーマインは、心底頭が痛いと言わんばかりに額を押さえて深々とため息をついた。
「問題大ありよ! 皇室とヴァルハルト公爵家が正面から対立したら、それだけでも厄介なことになるの。……ねぇレイン、なぜセレスティア皇后が、あんたの娘ちゃんを自分の息子である第二皇子と婚約させたいのか、本当の理由が分かってるかしら?」
「……政治に利用しようとしたんだろう」
レインが淡々と答えると、その言葉を聞いたオリヴィアの小さな身体がビクッと跳ね上がった。
(せいじに利用……? 婚約……? 私、皇子様のお嫁さんに行かされそうになっていたの……!? そんなの絶対に嫌……! )
恐怖で密かに震え始めたオリヴィアの背中に、マリアは自分の死の恐怖を押し殺しながら優しく手を添え、落ち着かせるようにそっと撫で続けた。
「その通りよ。……あんたねぇ、自分がどれほど帝国において『影響力』を持っている人物なのか、本当に自覚してるの?」
(……え? 俺ってそんなに影響力あるの? そっか、大抵の貴族だったら皇帝相手にあんな無礼な態度を取ったら速攻で処刑されるよな……。え、もしかして俺ってめちゃくちゃ凄い……?)
心の中で自分の予想以上の立ち位置に今さら驚きつつも、レインは公爵としての威厳を崩さず、いかにも不貞腐れたようにフンと鼻を鳴らした。
「……今さら何を言っている。そんなこと、当然だろう」
「本当に分かってるのかしらねぇ……」
カーマインは半信半疑のジト目を向けながら、言葉を続けた。
「あんたは『四大公爵家』の中の一つ、ヴァルハルト公爵家の当主。でもね、単なる四大公爵家の一角だと思ってたら大間違いよ?」
「……違うのか?」
「ハァ〜……やっぱり分かってないわ。あんたが普段、議会や舞踏会にもろくに出席せず、領地や屋敷で淡々と仕事ばかり処理してるから見えてないのよ。いい? 四大公爵家の中で、今最も『影響力』を持っているのは誰だと思う?」
「……俺が知るわけないだろう。会議にも参加していないんだからな」
レインが素っ気なく返すと、カーマインは呆れ果てた顔でレインを指差し、はっきりと告げた。
「レイン、あなたよ」
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