いざ舞踏会に!➉
オリヴィアはただただ恐怖で身体を震わせていた。周囲を威圧する護衛騎士の怒声、そして初めて対面する同年代の皇子——その圧倒的なプレッシャーに押し潰されそうになり、必死で涙を堪えていた。
(お父様……っ!)
助けを求めるように心の中で叫んだその時、背後に立った父親の存在を感じ、オリヴィアは心の底から「助かった」と安堵した。
レインは冰冠の如き冷たさを孕む水色の瞳で、膝を突きそうなほど怯える護衛騎士を見下ろし、冷酷非道な公爵らしく低く重厚な声を響かせた。
「……申し訳ないな。うちの使用人の教育が行き届いていなかったようだ。すまなかったな」
「ひっ……! あ、あああ……っ!!」
謝罪の言葉とは裏腹に、レインから放たれるのは文字通り世界を凍結させるかのような圧倒的な殺気と威圧感。
マリアを怒鳴りつけた護衛騎士は、その凄まじい圧に気圧され、恐怖のあまり膝を折り、腰の剣に手をかけたまま金縛りに遭ったように指一本動かせなくなった。ただただガタガタと歯の根を鳴らし、声にならない悲鳴を上げながら謝罪を繰り返すことしかできない。
ユリウスも額から大粒の冷や汗を流し、強張った笑みを貼り付けながら必死に弁明した。
「ヴ、ヴァルハルト公爵……! 僕はただ、可愛らしいお嬢様に挨拶をしていただけで——」
「俺の許可なく、娘に触れるな」
静かな、しかし絶対の拒絶。レインの鋭い眼光がユリウスを射抜く。
「……皇后から何か聞いていないのか? 一体、皇后の教育はどうなっているんだ?」
「っ……! 母上からは、ただ『素晴らしい令嬢がいる』としか聞いておりません……!」
「ほう。そう言えば、さっき貴様の護衛が、うちの使用人の教育不足を理由に剣を抜こうとしていたな」
レインの口元が、ゾッとするほど不気味に歪んだ。
「……俺も、そうするとしょう?」
その一言が放たれた瞬間、会場の空気が完全に凍りついた。
息を呑む音すら憚られるような静寂が舞踏会を包み込む。誰一人として声を出せず、身動き一つ取れない。ただ、虚しくオーケストラの優雅な演奏だけが響き渡っていた。
レインは無表情のまま、ゆっくりとユリウスの首元へと手を伸ばす。その手つきは、まるで可憐な花を摘むかのように淡々としており、だからこそ狂気的な死の予感を漂わせていた。
「ひっ……! ご、ごめんなさい……っ! ごめんなさい、公爵様……っ!!」
死の恐怖に完全に呑まれたユリウスは、幼子のように涙をポロポロと零しながら、ただただ必死に謝罪を口にした。
(終わりだ……! 第二皇子殿下は殺される……っ!)
会場にいる誰もがそう確信し、絶望に目を背けようとした——まさにその時。
すっと、横から伸ばされた手がレインの手首を掴み、その動きを止めた。
不気味で奇妙なお面をつけた人物が、いつの間にか二人の間に割り込んでいたのだ。
「……そこまでだ、レイン」
(あいつ……殺されたな)
誰もが息を止めた。あの冷酷無比な公爵の殺意を真っ正面から止めたのだ。即座に首が飛んでもおかしくない。
ユリウスも「自分は助かるのか、それともこの者もろとも殺されるのか」とパニックになり、涙と汗で顔をぐしゃぐしゃにしていた。
だが、レインは手首を掴まれたまま、冷ややかな視線をその不審者に向けた。
「……どういうつもりだ」
先ほどまでのベランダでの和やかな会話の雰囲気は微塵もない。本物の殺気が二人の間に渦巻いていた。
お面の人物は静かに仮面を外す。そこに現れたのは、紛れもない一国の覇者——皇帝レディオン・テールの顔だった。
「……お前、本当に殺そうとしていただろ」
「忠告はしたはずだ」
レインが冷淡に言い放つと、レディオンは深く息を吐き、静かに頷いた。
「そうだな。……殺されても文句は言えない。約束を破り、不敬を働いたのは皇室の方だ」
皇帝のその言葉を聞いた瞬間、ユリウスの顔から完全に血の気が引いた。絶望が全身を支配する。周りの貴族たちも、耳を疑うようなやり取りに激しい困惑と恐怖を深めていた。




