いざ舞踏会に!①
「……大事なことを伝え忘れていた」
低く静かな声が、大広間に響いた。
抱き合っていたオリヴィアとマリアが肩を跳ねさせ、弾かれたように身を正す。
「ひっ……!? こ、公爵様……っ!」
心臓が飛び出そうなほどの恐怖で青ざめ、平伏するマリアに対し、レインは冷ややかな水色の瞳で見下ろしたまま、淡々と告げた。
「お前も舞踏会に来い」
「……へ?」
予想だにしなかった命令に、マリアは間抜けな声を漏らしてぽかんと口を開けた。
「あ、あの……公爵様? 私めのような一介のメイドが、そのような華やかな場に同行するなど……一体どのような名目で……」
恐る恐る尋ねるマリアに、レインは不機嫌そうに鼻で鳴らした。
「お世話係だ。慣れぬ社交界で我が娘が不便をせぬよう、側で控えさせねば意味がなかろう」
(言えた……っ! 自然な名目でマリアの同行許可を出せたぞ!! 正直、オリヴィアも慣れない会場で知っているメイドが側にいた方が絶対安心だからな!! マリア、お前は今日から我が屋敷のMVPだ!!)
脳内でマリアに惜しみない拍手を送りつつも、レインの表面上は「万全を期す冷徹な主君」のままだった。
その言葉を聞いたオリヴィアが、不安と期待の入り混じった翡翠色の瞳を潤ませ、抱きついていたマリアの手を強く握りしめながらレインを見上げた。
「お、お父様……! 本当に……本当にマリアも一緒に行ってよろしいのですか……?」
小さな声で、けれど心の底から祈るように尋ねてくる娘。
レインはただ黙って、静かに一度だけ頷いてみせた。
「……っ!!」
その瞬間、オリヴィアの顔にパッと大輪の花が咲いたような笑顔が広がった。
「マリアっ……! マリアも一緒に行けるって……! よかった……私、すごく安心……っ!」
「オリヴィア様……っ! はい、はいっ……! お側でお支えいたします……っ!!」
感極まったオリヴィアが嬉しそうにマリアへ抱きつき、二人で涙ぐみながら喜びを分かち合う。
(ぐはっ……! 天使のハグ……! マリアそこ変われ!! と言いたいところだが、娘の笑顔が見られたから今回は許す!!)
冷酷な仮面の下で血涙を呑みながら、レインは静かに踵を返し、その場を辞したのだった。
◇
そしてついに迎えた、舞踏会当日。
ヴァルハルト公爵家の紋章が刻まれた最高級の馬車の中には、レイン、オリヴィア、そしてお世話係として同行するマリアの三人が同乗していた。
「あ、あの……マリア……私、変じゃないかしら……? マナーとか、間違えたりしないかしら……」
初めて乗る豪華な馬車と、これから向かう眩くも恐ろしい社交界の雰囲気に飲み込まれ、オリヴィアはそわそわと膝の上で小さな手を何度も握り直していた。深緑の豪華なドレスの裾が、彼女の緊張に合わせてわずかに揺れる。
「大丈夫でございますよ、オリヴィア様」
向かい側に座るマリアが、緊張をほぐすように優しく微笑みかけた。
「オリヴィア様はこの三日間、本当に一生懸命練習されました。ダンスの先生も大絶賛なさっていましたし、礼儀作法も完璧でございます。自信をお持ちになってくださいませ」
「マリア……うん、ありがとう……っ」
マリアの温かい言葉に、オリヴィアは少しだけホッとしたように胸を撫で下ろした。
その間、隣に座るレインは腕を組み、目を閉じたまま微動だにしなかった。一言も発さず、ただ圧倒的な威圧感と静寂を纏っている。
(緊張で固まる娘もたまらん可愛さだが、ここで俺が下手に話しかけて『うるさい』と思われるわけにはいかん……! 落ち着け俺、ポーカーフェイスを維持しろ。心臓のバクバクが娘に伝わったらどうする!!)
脳内では大パニックを起こしていたレインだったが、娘とメイドの目には「極めて冷徹かつ泰然自若とした恐ろしい公爵」にしか映っていなかった。
やがて馬車が緩やかに速度を落とし、王城の煌びやかな車寄せへと停車する。
扉が開かれ、一気に外の喧騒が飛び込んできた。
レインが先に馬車を降り、優雅な動作でオリヴィアへ手を差し伸べる。
オリヴィアはゴクリと固唾を呑み、震える小さな手をレインの大きな手に重ねた。地面に降り立った彼女は、自身の深緑のドレスをきゅっと掴み、勇気を振り絞って見上げた。
「お……お父様……。私……ちゃんとお父様の隣に立つ者として……似合っていますでしょうか……っ?」
不安げに揺れる翡翠色の瞳。
それを受け止めたレインは、一切の表情を崩さず、不機嫌とすら思える低音で一言だけ言い放った。
「……似合っている」
冷酷公爵らしい一見突き放すような短文。だが、その声には一切の嘘偽りがない絶対的な重みがあった。
すかさず側に控えていたマリアも、感無量といった様子で熱っぽく言葉を重ねた。
「似合っているどころではございません、オリヴィア様……っ! まるで森の妖精……いいえ、降臨された本物の天使のようでございます……! 世界で一番お美しいです……っ!!」
「マリアったら……ふふ、ありがとう」
父の言葉とメイドの絶賛に後押しされ、オリヴィアの頬にぽっと紅潮が差し、緊張が和らいでいく。
レインは差し出した腕をわずかに曲げ、冷たく告げた。
「行くぞ。遅れる」
「はい、お父様……!」
オリヴィアがその腕に小さな手を添え、二人はゆっくりと舞踏会会場の重厚な大扉へと向かって歩き出した。
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