メイドの決意➁
『トントン』
「……入れ」
重厚な執務室のドアを開けると、そこには書類に目を通すレインの姿があった。圧倒的な威圧感と、氷のように冷ややかな水色の瞳がマリアを射抜く。
(ひいいぃぃっ……!! やっぱり怖い……!! 殺される……っ!!)
失禁しそうなほどの恐怖に耐えながら、マリアは必死に床に平伏し、絞り出すような声で叫んだ。
「こ、公爵様……っ!! ぶ、舞踏会の件でございます……っ! お願いがございます……っ!!」
「……何だ」
「お、オリヴィア様のエスコート役に……わ、私めを行かせてくださいませっ……!!」
レインのペンを動かす手が、ぴたりと止まった。
(……は?)
レインが怪訝そうに眉をひそめたが、平伏しているマリアには「激怒して殺気を放っている」ようにしか見えなかった。歯をガチガチと鳴らしながら、マリアは必死に言葉を重ねた。
「わ、分かっております……っ!! 身分が違うことも、メイドがご令嬢のエスコートなど前代未聞であることも……っ!! ですが、社交界には稀に、騎士や専属メイドを伴って参加されるご令嬢もおられますっ!! 私にできることなら何でもいたします……っ!! どんなお咎めも受けます……っ!! だから、どうかオリヴィア様を一人にしないで……っ!!」
必死に訴えかけるマリアに対し、レインは冷たく、一言だけ言い放った。
「……ダメだ」
「っ……!!」
絶望がマリアを襲った。やっぱり冷酷無比な公爵様には、娘の気持ちなど届かないのか。マリアは悔しさと恐怖で涙を浮かべながら、死を覚悟して食い下がった。
「な……なぜでございますか……っ! 一人で舞踏会に立たせるなんて、オリヴィア様が恥をかいてしまいます……っ!!」
すると、レインは心底呆れたように深いため息をつき、書類から視線を上げてマリアを見下ろした。
「なぜも何も……俺が行くからだ。何か不満か?」
「……へ?」
大広間に静寂が訪れた。マリアは間抜けな声を上げ、ぽかんと口を開けたまま硬直した。
(え……? 今、何て……? ご自分が行く……!? 公爵様ご自身が、オリヴィア様をエスコートする……!?)
レインは不機嫌そうに鼻で笑うと、冷徹な声を潜めた。
「俺の娘だぞ。他人にその役を譲るわけがないだろう。……それとも、この俺ではエスコート役として不満だとでも言うつもりか?」
(いや不満なわけねぇだろ!!! 俺がエスコートしたくてたまらなかったんだよ!!! ずっとソワソワしながらワルツのステップ復習してたんだぞ俺は!!!)
脳内で叫ぶレインだったが、表面上はどこまでも冷酷で圧倒的な父親の威厳を保っていた。
「い、いいえっ……!! め、めっそうもございませんっ……!! 出すぎた真似をいたしまして、大変申し訳ございませんでしたぁぁぁっ!!」
マリアは感涙と恐縮でぐしゃぐしゃになった顔を何度も床に叩きつけるように深々と頭を下げると、弾かれたように執務室を飛び出していった。
◇
「オリヴィア様っ……!!」
息を切らせて部屋に飛び込んできたマリアに、オリヴィアは驚いて立ち上がった。
「マリア……? どうしたの、そんなに慌てて……」
マリアは涙を拭い、溢れんばかりの笑顔でオリヴィアの手を強く握りしめた。
「おめでとうございます、オリヴィア様……っ! 舞踏会のエスコート役……公爵様が……ご自身で行くと仰ってくださいました……っ!!」
「え……っ!?」
オリヴィアは翡翠色の瞳を大きく見開き、信じられないというように息を呑んだ。
「お父様が……本当に……? 私と一緒に……行ってくださるの……?」
「はい……っ! 『俺の娘だぞ』とおっしゃって……っ!! 他の誰にも譲るおつもりはないと……っ!!」
「っ……!!」
その言葉を聞いた瞬間、オリヴィアの心の中にあった不安や恐怖は一瞬で吹き飛び、温かい歓喜の波が胸いっぱいに広がった。
「お父様が……私を選んでくださった……っ!」
ぽろぽろと零れ落ちる涙は、もう悲しい涙ではなかった。
オリヴィアは満面の、太陽のような眩しい笑顔を咲かせると、感極まってマリアの体にギュッと抱きついた。
「ありがとう、マリア……っ! 私、すごく嬉しい……っ! 本当に、本当にありがとう……っ!!」
「オリヴィア様……っ! よかった……本当によかったです……っ!」
ぎゅっと抱き合う二人の方へ、執務室から出てきたレインが静かに歩み寄ってきた。
「……マリア」
「ひっ……!? こ、公爵様……っ!」
跳ね起きて身構えるマリアに対し、レインは冷ややかな水色の瞳のまま、淡々と告げた。
「大事なことを伝え忘れていた」
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