第6話 生きると、贖うと
戦いが終わっても、カイラは止まらなかった。
怪我人に肩を貸し、泣きじゃくる子をあやし、散り散りになった人々を、てきぱきと一つにまとめていく。「大丈夫、もう大丈夫だから」。そう繰り返す声には、人を落ち着かせる、不思議な力があった。
広場には、土埃と、人いきれのにおいが立ちこめている。さっきまで“無”が漂っていた場所に、生きている者の匂いが、少しずつ、戻りつつあった。
俺は、その輪から少し離れて、立っていた。何をすればいいのか、分からない。影を断つことはできても、こういうことは、どうにも不得手だった。
俺にできるのは、斬ることだけだ。あの黒い刃で、迫る“無”を断つこと。それは、守ることではあっても、誰かに寄り添って、その心をほぐしてやることとは、違う。カイラのまわりに集まる人々の、安堵した顔を見ていると、なんだか、自分がひどく場違いに思えた。
人々が落ち着いたのを見計らって、俺は、踵を返した。まだ陽は高い。先を、急がなければ。
「ちょっと、待ちなよ」
背中に、声が飛んできた。振り返ると、カイラが腰に手を当てて、こっちを睨んでいる。
「お礼も言わせないで、どこ行くつもり」
「……源だ」
カイラの眉が、跳ね上がった。
「源って……まさか、沈みが湧いてる方? みんなが必死で逃げてる、あっち?」
「ああ」
「正気?」
俺は、答えなかった。説明する気は、なかった。咎人の血が、とか、贖いが、とか——会ったばかりの娘に、話すことじゃない。
黙って歩き出そうとすると、カイラが素早く回り込んで、行く手を塞いだ。
「待ってってば。あんた、さっき消えかけてたんだよ? あんな力の使い方して、その上、源だなんて……それ、死にに行くのと同じじゃない」
「……かもしれない」
「かもって!」
カイラが、声を荒げた。けれど、その目に揺れていたのは、怒りより、もっと別の何かだった。
「あのね。あたし、嫌というほど見てきたの。沈みに呑まれて、消えていく人を。助けられなかった人を。だから……目の前で、自分から消えに行こうとする奴を、黙って見送るなんて、できない」
その言葉に、嘘はなかった。気さくに笑うその顔の奥に、消えない傷があるのが、見て取れた。たぶん、彼女が誰かを助けようとするたび、助けられなかった誰かの顔が、よぎるのだろう。
ぽつり、ぽつりと、カイラは話してくれた。彼女の故郷もまた、沈みに呑まれて消えたのだという。逃げ惑う中で、家族とも、はぐれた。気づいたときには、生き延びていたのは、彼女ひとりだけだった。
それからは、散り散りになった同じ島の生き残りを捜して、一人、また一人と、繋いで回っているのだという。たった一人で、この壊れた世界を、ずっと。
「死んだ人は、還らない。でも、生きてる人は、まだ生きてる。だったら、生きてるうちに、助けたい。あたしにできるのは、それだけだから」
飾り気のない言葉だった。眩しいくらいに。
——こいつは、俺とは、正反対だ。
死んだ者への贖いに憑かれて、前へ進むことしか考えられない俺と。死んだ者を抱えたまま、それでも、生きる方へ生きる方へと、手を伸ばし続けるこいつと。
同じだけの喪失を抱えて、どうして、これほど違う方を向けるのだろう。過去にばかり目を向けて、贖いへと沈んでいく俺。その同じ痛みを、明日を生きる力に変えている、こいつ。
胸の底で、また、あの声が疼いた。生きろ、と。俺は、それを、押し戻す。
「……俺が源へ行くのは」
気づけば、口を開いていた。なぜ話す気になったのか、自分でも分からない。
「沈みを、止めるためだ。元から断てば、もう、誰も消えずに済む」
カイラが、息を呑んだ。
「……止められるの? あの沈みを」
「分からない。だが、やらなきゃ、世界は端から消えていくだけだ」
しばらく、カイラは黙っていた。何かを、必死に考えるみたいに。やがて顔を上げると、その目には、さっきとは違う光が灯っていた。
「……それ、あたしのやってることの、ずっと先にあるやつだ」
ぽつりと、彼女は言った。
「一人ずつ繋いでたって、世界そのものが沈んじゃったら、意味ない。元を止められるなら……それが結局、一番たくさんの人を、助けられる」
その目に、もう、迷いはなかった。一人ずつ救うことの限界を、誰よりも知っているのは、彼女自身だったのだろう。だからこそ、“元を断つ”という言葉が、彼女の胸に、強く響いたのかもしれない。
カイラは、ぱっと表情を変えて、弓を背負い直した。
「決めた。あたしも行く」
「……は?」
「だから、源。一緒に行くって言ってんの」
「だめだ」反射的に、俺は言った。「死ぬぞ。さっき、自分で言ったろう」
「あんた一人なら、ね。でも、二人なら? あんた、前は強いけど、後ろはがら空きだよ。さっきの戦い、誰が死角を守ったと思ってんの」
言い返せなかった。事実、あの戦いは、彼女がいなければ、危うかった。
「それに」
カイラは、少しだけ、声を和らげた。
「消えかけたあんたを、もう一回引き戻すのに、誰か傍にいたほうが、いいでしょ」
その一言に、俺は、二の句が継げなかった。
こいつは、本気だ。一度こうと決めたら、梃子でも動かない。そういう目を、している。
断ろうとして、言葉が出てこなかった。一人で背負うと、そう決めていたはずだった。他人を、まして、こんな娘を、自分の罪に巻き込むわけにはいかない。そう思うのに。その決意が、彼女のまっすぐな目の前で、なぜだか、ぐらついていた。
……それに。正直に言えば。
ずっと冷たいものしか感じてこなかったこの旅で、あの手の温かさは、嫌じゃ、なかった。
そして、心のどこかで、思ってもいた。こいつなら、また俺が消えかけたとき、あの時みたいに、無理やりにでも、引き戻してくれるだろう、と。
「……勝手にしろ」
俺がそう言うと、カイラは、勝ち誇ったように笑った。
「うん。勝手にする」
こうして、俺の一人きりの旅は、終わった。
隣で、やたらと喋る、お節介な道連れができた。世界が端から消えていくこの旅路は、相変わらず、寒々しい。それでも、隣に誰かの足音があるというだけで、その寒さは、ほんの少しだけ、薄らいだ気がした。
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