第31話 祀りの座
通用口は、拍子抜けするほど簡単に抜けられた。
木箱を担いで列に混じり、門番の前を通る。誰も顔を検めなかった。運び込む荷は数えても、運ぶ人間は数えない。ジルの読み通りだった。
中に入ってからが、長かった。回廊は人足と学士で混み合い、白衣の男たちが指図を飛ばしている。壁際の燭台を外せ。祭壇の布を畳め。声は事務的で、荒々しさはどこにもない。ただ、片端から神殿の中身が剥がされていく。
運ぶ側の顔をして、奥へ進んだ。拝観の日に通った回廊を思い出しながら角を折れる。カイラが先を見て合図を出し、ジルが荷の中身から学士たちの動きを読んだ。木箱の重さで肩が軋んだが、下ろすわけにはいかない。荷を持たない人間だけが、この場では目立つ。
「まだ本体には手をつけてない」
積み上げられた木箱を覗き込んで、ジルが囁いた。
「祭具ばかりだ。灯明皿、供物台、香炉。……全部、祀りに使う道具だよ。順番に外してる」
その言葉が、頭の中で音を立てた。祀ることで、あれは保たれている。柱の彫刻を見た日に、そう思った。花を捧げる者。跪く者。灯りを掲げる者。何百年も絶やされなかった営みが、今、荷車に積まれて運び出されていく。
最奥の大扉が、開いていた。拝観の日には、この前で膝をついた。中を見ることは許されなかった。今、その扉は開け放たれ、荷を抱えた人足が出入りしている。
木箱を置いて、中へ滑り込んだ。息が、止まった。
広い。天井は闇に溶けて見えないほど高く、円形の床の中央が深く落ち窪んでいる。壁を回るように、階段状の段が幾重にも下りていた。かつては、ここが人で埋まったのだろう。今は、白衣の男たちが数人、その段を上り下りしているだけだ。その底に、それはあった。
黒い石のようにも、凍った水のようにも見える塊。人の背丈の三倍はある。表面を、何かが絶えず流れていた。渦。渦を巻く闇。この身の内にあるものと、同じもの。
大楔。こちらの核が、狂ったように疼いた。歯を食いしばって押さえ込む。故郷の島にあったものは、大人が両手で抱えられる大きさだった。あれで、島ひとつを守っていた。ならば、これは。
その周囲を、幾重にも囲むように、石の台が並んでいた。灯明が、まだいくつか燃えている。だが、外側の列はすでに空だった。皿が下げられ、布が剥がされ、台だけが取り残されている。
その空の台の間に、男が立っていた。地味な色の長衣。痩せた背中。学士たちが忙しく行き交う中で、その一人だけが動かずに楔を見上げている。
カルヴァス。
振り向きもせずに、その男は言った。
「来ると思っていた」
カイラが弓に手をかけ、ジルが息を呑んだ。周りには学士も人足も警備の兵も、何十人といる。ここで何かをすれば、その全員が目撃者になる。
「ここでは、抜けまい」カルヴァスは、まだこちらを見ない。
「見ているといい。今日で終わる」
学士の一人が、内側の列の灯明を吹き消した。次の一つも。また一つ。その度に、部屋の空気が薄くなる。腹の底で、核が細かく震え出した。
「何をしている」
声を絞り出すと、カルヴァスが振り返った。あの、人を見る温度のない目。
「調査だ。王がお命じになった」
「そんな話をしていない」
「では、こう言い換えよう」
男は、消えていく灯明の列へ目を戻した。
「これは、祀りの座だ。この地の人間は、千年近く、ここに灯りを絶やさなかった。花を置き、供物を捧げ、頭を垂れた。……なぜだと思う」
答えなかった。
「彼らは、理由を知らない。神々への感謝だと信じている。だが、実際にはこうだ。祈りが絶えない限り、この楔は楔でいられる。人が祀ることが、封じるという行為そのものだった」
背筋を、嫌なものが走った。だから、この男は石ひとつ砕かずに済む。
「私は、石ひとつ砕いていない」カルヴァスは、静かに続けた。「ただ、この国に問いを与えた。御神体の力は、民のために使えるのではないか、と。あとは、彼らが自分で考えた。学者が論じ、王が布告を出し、民が争い、兵が街へ走った。……そして今、彼ら自身の手で、灯りが消されていく」
「街に火をつけたのは、あんただ」
「火を放ったのは、この街の人間だ。私は、憎む理由を配っただけだ」
男の口調に、誇りも愉悦もなかった。帳面の項目を、上から順に読むのと同じ調子だ。
「剣も牙も要らない。人は、囁くだけで、自ら守りを解く」
内側の列が、また一つ消えた。大楔の表面で、渦の流れが変わる。ゆっくりと、外へ向かって膨らみ始めていた。石の床に、細い罅が走る。落ち窪んだ底に立っていた学士が、慌てて段を駆け上がってきた。
こちらの核が跳ねた。呼応するように、腕の内側が痺れる。ここで抜けば、終わりだ。
この国で虚の刃を晒せば、災いを宿す者として追われる。カイラも、ジルも、ダグも、エルナも巻き添えになる。二日前まで、それだけは避けねばならないと思っていた。
だが、目の前で灯りが消えていく。あと幾つ消えれば、あれが溢れるのかは分からない。分かるのは、溢れた時にこの街がどうなるかだ。アルカが消えた朝を見た。ノル島が無くなった夜を知っている。この都には、何十万といる。
隠したまま守れるなら、隠す。無理なら、抜く。昨日、自分でそう言った。
息を吸い、掌を開いた。意識を内側へ落とし、澱んでいるものを指先へ手繰り寄せる。
黒い刃が、凝った。渦を巻く闇が掌の上で形を取り、周囲の灯りを吸って輪郭だけを震わせる。
悲鳴が上がった。
木箱が落ち、学士が後ずさり、人足が扉へ殺到する。逃げろ、と誰かが叫んだ。災いだ、と別の誰かが叫んだ。何十という顔が、こちらを見て凍りついている。
もう、戻れない。それでも、床を蹴った。
落ち窪んだ底へ。膨らみ始めた渦へ。まだ消されていない灯明の列へ。何を斬るべきかは決めていないまま、ただ、あの塊と自分の間に体を入れた。
背後で、カルヴァスの声がした。
初めて、その声に感情らしいものが混じっていた。満足に、よく似た何か。
「ようやく抜いたか、その刃を」
読んで下さりありがとうございました!
★★★★★評価と[[[ブックマーク]]]、リアクションお願いします!
Youtubeにて作品公開中!
http://www.youtube.com/@mizukara-h2z
ご感想やご質問など、ぜひコメントでお聞かせください。




