第27話 灰狼隊
調査がいつ行われるのか。それを掴めるのは、王宮の門を出入りする人間の口だ。
傭兵ギルドへ向かった。王宮は行事のたびに護衛を臨時で雇う。増員がかかれば、この街で最初に噂が回るのはここだった。
薄暗い酒場は、昼から酒と汗の匂いが籠もっている。壁際では、腕に晒を巻いた男たちが賽を振り、奥では雇い主を待つ一団が黙って飯を掻き込んでいた。
ダグは、この場所で水を得た魚になる。あちこちの卓で古参の傭兵と軽口を叩き、相手の杯には気前よく注いでやりながら、自分の椀には水しか入れない。それでいて、酒の回った口から、要る話だけを抜き出していく。こちらが同じことをしても、三人目で警戒される。
「王宮の口が、急に増えてる」
ダグが戻ってきて、低く言った。
「三日後を境に、警備を厚くするとよ。しかも配置が妙だ。王宮じゃなく、大神殿の周りに集まってる」
三日後。
神殿の抵抗を、力で押し切るつもりだ。守りを固めるのは、内側の反対を封じるためだろう。
もう少し詰めたい。日取りだけでなく、どこから入り、どこを開けるのか。奥の卓に、王宮の下働きを長く請けているという年嵩の男がいると聞いて、そちらへ向かおうとした。
その時、卓の間を割って、大きな影がこちらへ歩いてきた。
白髪交じりの大男だ。顔に古い刀傷が走り、歳は五十を越えて見えるが、肩の厚みは若い傭兵にも劣らない。男は、信じられないものを見るような目で、しばらくダグを眺めていた。それから、卓の前で足を止める。
「……ダグ、か。おい。ダグ・ロウエルじゃ、ねえのか」
ダグの軽口が、止まった。
振り返ったその顔から、いつもの飄々とした色が抜けていく。これまで、こんな顔は見たことがない。
「……ゴズ」
絞り出すような声だった。
「生きてやがったのか」
大男が、しゃがれた声で言った。
「驚いたぜ。あの灰狼隊で生き残ったのは、お前くらいのもんだと思ってた。……あれから、どこで何してた」
灰狼隊。聞いたことのない名だ。だが、その名が出た瞬間、ダグの肩が動きを止めた。
ダグは、自分の過去を語ったことがない。軽口の奥に何を置いているのか、こちらは何も知らずにいた。
「……あちこちだ。流れの傭兵さ。今さら腰を据える柄でもねえ」
努めていつもの調子で答えている。だが、声が硬い。ゴズは、そんなダグをじっと見て、それから目を伏せた。
「そうか。……お前も、抱えてんだな。あの日のことを」
ダグは答えなかった。二人の間に、重いものが落ちる。周りの卓では賽の音と笑い声が続いているのに、そこだけ音が抜けている。
「……あの日、隊をあんな目に遭わせたのは、俺たちの判断の誤りだ」
ゴズが、低く言った。
「今でも夢に見る。助けを求める、あいつらの声を。俺は逃げた。逃げて、生き延びた。……お前はどうだ、ダグ」
卓の上で、ダグの拳が固く握られた。それでも、口は開かない。ゴズは、その手をしばらく見ていた。
「悪かったな。昔話を持ち出して」
ゴズがダグの肩を、ぽん、と叩いた。
「達者でやれよ」
大男が喧騒の中へ戻っていく。
ここで引くべきだと分かっていた。踏み込めば、この男が長く閉じてきたものを、こじ開けることになる。カイラなら、もっとうまく訊くのだろう。エルナなら、何も訊かずに傍にいる。
それでも、口を開いた。三日後には、この男に背中を預けて走ることになる。
「あんたが何を抱えてるのかは、訊かない」
ダグが、こちらを見た。
「ただ、あの人が言った“あの日”に、あんたが何を選んだのかは、いつか教えてくれ。……俺は、たぶん同じ場所に立つ」
ダグは、しばらく黙っていた。それから、手をつけないままの椀に目を落とした。
「……昔、俺はある傭兵隊にいた。腕利きの揃った、いい隊だった。仲間もいた。守りたいものもあった」
彼は、椀の縁を指でなぞった。
「だが、全部失った。守れなかった。俺一人が、無様に生き残った」
アルカの避難で、暴走しかけたこちらを身を挺して止めた時の言葉が蘇る。俺も昔、全部は救えなかった。あの言葉の裏に、これがあった。
「……だから、お前を放っておけねえのさ」
ダグは顔を上げ、いつもの笑みを口の端に引っ張り上げた。
「死に急ぐ奴を見ると、どうにもほっとけねえ。昔の悪い癖でな。……ま、年寄りの繰り言だ。忘れてくれ」
その笑みの奥に、深い疲れが覗いていた。この兄貴分が、あの軽さの下に何を抱えて歩いてきたのか。その一端に触れた。
軽口ばかり叩いて、へらへらと笑っている。気楽な男だと思っていた。違った。あの軽さは、抱えきれないものを抱えた人間が、それでも前へ進むために身につけた鎧だ。こちらの暴走を的確に止められたのも、死に急ぐ者を放っておけないのも、同じ地獄をくぐったからだった。
「あんたは、今、俺たちを守ってる。ちゃんと」
ダグが、少しだけ目を見開いた。それから、くしゃりと顔を歪めて笑う。今度は、無理やりではない笑みだった。
「……そうかい。だと、いいがな」
その後、奥の卓へ回った。王宮の下働きを長く請けているという年嵩の男は、こちらが素性を明かさないことを承知の上で、酒の礼だと言って口を開いた。
三日後の朝、王権派の学士たちが神殿へ入る。祭具を運び出し、御神体の周りに組まれた祀りの座を解く。調査のためには、まずそれを片付ける必要があるのだという。
祀りの座を、解く。神殿の柱に彫られていた、花を捧げる者、跪く者、灯りを掲げる者の列が浮かんだ。何百年も絶やされなかったもの。それを、人の手で片付ける。
あの男は、それを待っている。剣も牙も使わず、この国の人間に、自分の守りを外させるために。
宿へ戻り、皆に告げた。
「三日後の朝だ。楔の守りが、人の手で外される」
窓の外で、夕の鐘が鳴っていた。この街の何万という人間が、今日も御神体に守られていると信じて眠りにつく。
残された時間は、あと三日。
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