↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/35

第22話 正史のひび

「火炙り、か」

 その言葉を繰り返した。「なぜだ。ただ、沈みの由来を知りたいだけだ。それの、どこが罪になる」

 ジルは、しばらく値踏みするように見ていた。それから、ふっと肩の力を抜いて、自嘲のように笑う。

「……いいだろう。どうせあたしは、それを口にして、すべてを失った身だ。今さら、失うものもない。あんたらみたいな命知らずが来たのも、何かの縁さ。……ただし」彼女は、指を一本、立てた。「これから話すことを、この国で、軽々しく口にするな。あたしみたいに、なりたくなければな」

 ジルは、傍らの古い書物を一冊、手に取った。黴と、歳月の匂いのする、傷んだ一冊だ。ページをめくる乾いた音が、静かな部屋に、やけに大きく響く。

「まず、この国で、いや、この世界で、誰もが信じている、“正しい歴史”ってやつを教えてやろう」彼女は、諳んじるように語り始めた。「太古の昔、神々が、この世界を創られた。大地を、海を、空を。そして、そこに人を住まわせた。世界は、豊かで、平穏だった。だが、ある時、外の虚無から、災いが忍び込んだ。すべてを無に還す、悪しき力。それが、虚。沈み。神々は、その災いから人を守るため、各地に、聖なる楔、神核を遺された。だから我々は、神核を祀り、感謝し、守らねばならない。……とまあ、これが、神殿が説き、誰もが信じている正史だ」

 黙って聞いていた。神々。外から来た災い。その教えは、都でも幾度も耳にした。何も、疑うところはない。誰もがそれを信じ、神核を、ありがたい御神体として崇めている。それが、この世界の、揺るがぬ土台のはずだった。

「だが」ジルの声が、低くなった。「あたしは、それが、嘘だと思ってる」

 彼女は、書物の山の奥から、一巻の、ひどく古い巻物を引っ張り出した。慎重に広げられたそれは、今にも崩れそうなほど朽ちている。「これはな、正史が、今の形に“整えられる”より、ずっと前の断片だ。禁書だよ。……ここには、こう書かれている。虚は、外から来たのではない、と」

「外から、来たのでは、ない?」

 思わず聞き返すと、ジルは、その色褪せた文字を指で辿った。「そうだ。“それ”は、初めから、この世界にあった。正確には、この世界の、底に。深く、深く、封じられていた。それが、封を破って、溢れ出した。それが、沈みの正体だ。……“外から来た災い”なんかじゃない。“底から溢れた、封じられていたもの”。それが、この禁書の言い分さ」

「そんな……」カイラが、呆然と呟いた。「神殿の教えが、丸ごと嘘だっていうの?」

「さあね。少なくとも、この断片は、そう言ってる」ジルは、肩をすくめた。

 乾いた喉を、無理に動かして問うた。「じゃあ……その、封じられていたものは、いったい、何なんだ。誰が、何のために、封じた」

 ジルは、皮肉げに唇を歪めた。「いい質問だ。あたしも、まさに、それを知りたかった。だが、そこが、面白いところでな」彼女は、巻物の、ある箇所を示した。

 そこは、文字が、途中で、ぷつりと途切れていた。まるで、そこだけ、故意に削り取られたように。それも、何行にも渡って、白く抜け落ちている。

 その、意図的な空白を見つめた。文字のあった場所が、ぽっかりと口を開けている。何かが、そこに確かに書かれていた。そして、誰かが、それをこの世から消し去りたかった。その執念のようなものが、白い余白から、静かに滲み出ている。

「消されてる。誰が、何を、なぜ封じたのか。その肝心なところだけが、きれいさっぱり削られてる。他の禁書も当たった。だが、どれも同じだ。“底に封じられたもの”の正体に触れた記述は、ことごとく、この世から消し去られている」彼女の声に、初めて、抑えた怒りが滲んだ。「分かるか? これは、偶然じゃない。誰かが、意図して消したんだ。“本当の歴史”を。人に知られちゃ、まずいからな」

 ダグが、腕を組んだまま、低く唸った。「……きな臭え話だな。国を挙げて、何かを、隠してるってわけか」

「そういうことさ。あたしは、それに気づいて、うかつにも、学院で口にした。次の日には、あたしの席はなくなってた。あたしの論文は、“存在しないこと”にされた。……真実ってのはな、坊主。握り潰されるために、存在するのさ」

 その話を聞きながら、胸の中で、何かがざわつくのを抑えられずにいた。底に封じられていたもの。誰かが、必死に隠したがっている、その正体。その言葉が、あの、忘れられない感覚と結びつこうとしている。

 沈みの間際で聞いた、あの声。数えきれない、古い、嘆きの声。その底にあった、深い、深い、悲しみ。まるで、助けを求めて、泣いているような。どこか遠くに、長いあいだ、閉じ込められた者の——。

 まさか。

 一つの、恐ろしい考えが、形を取りかけた。もし、封じられていたのが、ただの“力”や“災い”じゃないとしたら。もし、それが、嘆き、悲しみ、助けを求める、何か、意志を持ったものだったとしたら。それを、誰かが、地の底に閉じ込めて、その事実まで、歴史から消し去った。だとしたら、俺たちが守っている“楔”とは、いったい——。

 いや。

 その考えを、頭から振り払った。まさか。そんな、はずがない。考えすぎだ。ただの、古い禁書の、眉唾な言い分じゃないか。そう、自分に言い聞かせる。

 だが、一度、形を取りかけたその考えは、振り払っても、振り払っても、澱のように、胸の底に残り続けた。

 もし、その考えが正しいのなら。爺さんが、命がけで託した、あの核は。故郷で祀り、守ってきたものは。いったい、何だったというのか。考えれば考えるほど、足元が崩れていく。だが、今は、確かめる術もない。その不安を、無理やり奥へ押し込めた。

 ジルが、顔色の変化を、見逃さなかった。「……何か、心当たりでもあるって顔だな、坊主」

 その探るような目に、何も答えられなかった。答えたくなかった。芽生えかけた、その仮説を、まだ、言葉にしたくない。

 封じられた、何か。消された、真実。そして、俺の内で、今も嘆き続ける、あの声。それらが指し示す先を、まだ、認めるわけにはいかなかった。


読んで下さりありがとうございました!

★★★★★評価と[[[ブックマーク]]]、リアクションお願いします!

Youtubeにて作品公開中!

http://www.youtube.com/@mizukara-h2z

ご感想やご質問など、ぜひコメントでお聞かせください。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。