第20話 楔の上の繁栄
セントリアの都は、これまで見た、どんな場所とも違っていた。
石畳の大通りは、どこまでも広く、人で埋め尽くされている。荷車が行き交い、露店が軒を連ね、あらゆる言葉と、あらゆる品が飛び交っている。焼き菓子の甘い匂い。香辛料。染め物の鮮やかな色。楽師の奏でる音色に、子どもらの笑い声。
アルカの活気も、確かに生きた匂いに満ちていた。だが、あれは、滅びに追われた者たちが身を寄せ合う、脆い温もり。ここは、違う。この賑わいには、明日を疑わない、確かな余裕があった。何百年も、脅かされずに続いてきた、国の厚みだ。
島育ちの目には、何もかもが目まぐるしい。これほどの人間が、一つの場所にひしめいて暮らしている。それでいて、飢えも怯えもなく、めいめいが、明日の算段をしながら笑っている。滅びの荒野を歩いてきた身には、ほとんど信じがたい光景だった。カイラでさえ、物珍しげに、あちこちへ目を走らせている。ダグだけが、こういう都に慣れているのか、平然としていた。
圧倒される。だが同時に、あの居心地の悪さが、また頭をもたげた。この豊かさは、どこから来るのか。
その答えの片鱗は、大通りを一本、裏へ入ったところにあった。
日の当たらない、狭い路地。そこには、都にどうにか入れたものの、行き場のない避難民たちが、身を寄せ合っていた。ぼろをまとい、痩せた頬。物乞いをする者。壁にうずくまる者。門ではねられなかっただけで、その暮らしは、柵の外の者と、大して変わらない。
その路地の入り口で、諍いが起きていた。露店の主が、避難民らしい若い男を、追い払っている。
「あっちへ行け! お前らがうろつくと、客が寄りつかん!」
「……少し、分けてくれるだけで、いいんだ。子どもが、腹を空かせて」
「知るか! だいたい、お前らが来てから、ろくなことがない。よそで沈みが起きるのも、お前らが災いを連れてくるからだって、みんな言ってるぞ!」
災いを、連れてくる。
その言葉に、思わず足を止めた。避難民が、沈みを呼ぶ。そんな道理の通らない話が、まことしやかに囁かれている。滅びへの恐怖が、行き場を求めて、弱い者へと向けられていた。
後で知ったことだが、この国では今、避難民の扱いを巡って、国論が二分しているらしかった。人道と労働力を求めて、受け入れよと説く者たち。国はまず自国民のものだと、締め出しを叫ぶ者たち。流れ込む民は日に日に増え、食料も、住む場所も逼迫していく。あの露店の主の怒りも、根はそこにあった。滅びが、外から人を追い立て、追われた人が、逃げ込んだ先の国に、新たな亀裂を生む。
エルナが、見かねたように、その親子に駆け寄ろうとする。だが、その肩を、ダグがそっと押さえた。
「よせ。ここで、目立つな。……俺たちは、余所者だ。下手に動けば、あの門番の言葉通り、容赦されねえのは、こっちだぜ」
エルナは、唇を噛んで、動きを止めた。その目は、まだ、あの親子を見ている。
俺も、同じだ。助けたい。だが、動けない。この国では、力も、正体も隠して、息を潜めているしかない。もどかしさが、胸に澱んだ。
その夜、宿で。カイラが、昼間、市井で聞き集めた話を、皆に聞かせた。
「面白いこと、分かったよ」
カイラが、声を潜めた。
「この国がさ、なんで、沈みに呑まれないのか。……都の真ん中に、大きな神殿があるでしょ。あの中に、この国を守ってる“御神体”が、祀られてるんだって」
「御神体?」
「うん。神々から授かった、聖なる宝——って、みんなは、そう信じてる。それが、この国を災いから守ってるって。だから、セントリアの民は、あの神殿を、何より崇めてる」
その話に、思い当たった。
神々から授かった、聖なる宝。この国を、災いから守るもの。それは、きっと、俺の内側の“無”が、都の中心に感じた、あの途方もない気配だ。
核。間違いない。
「……それは、たぶん、神核だ」
皆に、告げた。
「俺の故郷の島にも、小さな核があった。虚を堰き止める、楔だ。この国の中心にあるのは、それの、桁違いに大きなもの。この国が無事なのは、神々の加護なんかじゃない。あの巨大な楔が、沈みを堰き止めているからだ」
言いながら、あのノル島を思い出していた。あの島も、小さな核の上に成り立っていた。そして、その核を失った時——島は、消えた。
この大国の繁栄も、同じだ。人々が、神の恵みと信じて疑わない、この豊かな暮らし。そのすべてが、たった一つの楔の上に、危うく載っている。
考えると、奇妙な心地がする。人は、自分たちの足元に何があるのかを知らずに、生きている。この国の民も。かつての、俺も。当たり前に続くと思っていた日々の、その本当の土台を、誰も、見たことがない。
守るに値する、豊かな国。だが、その豊かさは、虚を封じる楔の上に成り立っている。あの、触れたものを無に還す力を、地の底に閉じ込めた、その上に。ふと、いつか沈みの間際で聞いた、あの悲しげな声が、耳の奥によみがえりかけた。閉じ込められた、何か。この繁栄の足元にも、同じものが眠っているのだとしたら。……その考えを、また振り払った。今は、詮無いことだ。
そして、一つの確信が、胸の中で形を成していく。
あの組織。各地の楔を壊して回る、顔のない連中。奴らの狙いが、滅びを加速させることなら。これほど巨大な楔が、この国の中心に据えられている。この一帯を、丸ごと守っている、要の楔が。
ならば。
奴らが、これを見逃すはずがない。
いずれ、必ず。あの連中は、この、セントリアの中心を狙ってくる。この、無傷の繁栄の、心臓を。
そして、それは、俺たちがここへ来た理由とも繋がっていた。源への道は、この国の方角にある。組織の気配も、ここを指していた。ならば、すべきことは、一つだ。奴らより先に動き、この楔を、何万もの命を守る要を、守り抜くこと。だが、そのためには、まず、敵がどこに潜んでいるのかを知らねばならない。この、広大な都の、どこかに。
華やかな都の、その明かりの下で。まだ誰も知らない、迫りくる影の予感に、独り、身を固くした。
読んで下さりありがとうございました!
★★★★★評価と[[[ブックマーク]]]、リアクションお願いします!
Youtubeにて作品公開中!
http://www.youtube.com/@mizukara-h2z
ご感想やご質問など、ぜひコメントでお聞かせください。




