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第19話 セントリアの門

 その国は、嘘のように無傷だった。

 何日も滅びの残骸ばかりを歩いてきた目に、それは、まるで別の世界のように映った。地平の向こうに、灰色の“無”はない。代わりに、青い空の下、黄金色の麦畑が風に揺れている。その先に、高い、白い城壁。幾つもの塔。翻る旗。城壁の上を、整然と、武装した兵が行き交っていた。

 生きている。それも、脅かされることなく、豊かに。アルカのような、脆く追い詰められた灯りとは、まるで違う。ここには、明日を疑わずに済む、確かな暮らしがあった。

 大国、セントリア。この一帯で、ただ一つ、沈みの届いていない国。

 だが、その威容を前にして感じたのは、安堵よりも、むしろ、かすかな居心地の悪さだ。なぜ、この国だけが無事なのか。滅びは、あれほど無差別に、すべてを呑んできたのに。

 あるいは、考えたくはないが。この国の無事にも、何か理由があるのではないか。滅びに呑まれた土地と、呑まれない国。その差を分けるものが、もしあるのだとしたら。まだ形にならない疑問が、ざわりと頭をもたげる。だが今は、それを確かめる術もない。

 そして、城門の手前で、その豊かさの、もう一つの顔を見た。

 門の前に、避難民が溢れかえっていた。

 俺たちと同じように、各地を追われ、この最後の国を目指してたどり着いた人々。その数は、数百、いや、それ以上。彼らは、城門の前に作られた木の柵の向こうで、長い列を作らされていた。門番と役人が、その一人ひとりを検めている。素性を問い、荷を検め、そして——選別していた。

 通される者と、通されない者がいる。健康で、金や手に職のある者は、通される。だが、病んだ者、老いた者、身元の知れない者は、柵の外へ追いやられていく。

「頼む、妻が、病気なんだ。中で、休ませてやりたいだけなんだ」

「決まりだ。病人は、入れられん。疫病を持ち込まれちゃ、かなわんのでな。……次!」

 役人の声は、事務的で冷たい。追い返された男が、力なく柵にすがりついている。その姿に、周りの誰も目を向けない。皆、自分が通ることに必死だった。

 柵の外には、はねられた者たちが、力なく座り込んでいた。行く当てなど、あるはずもない。この国に入れなければ、待つのは、いずれ追いつく沈みか、荒野での野垂れ死にか。それでも、門は開かない。豊かな国は、その豊かさを守るために、扉の重さを選んでいた。

 その光景に、言葉を失った。

 滅びを逃れて、命からがら、ここまで来て。それでも、なお、選別され、はねられる。滅びの中でも、人は、こうして線を引く。誰を救い、誰を見捨てるか。アルカで突きつけられた問いが、ここでは、もっと露骨な形で繰り返されていた。

 列の中に、見知った顔もあった。アルカから共に逃げてきた民の、幾人か。彼らも、この門の前で、選別を待っている。無事に通れるだろうか。ふと見ると、エルナが、その中の一人に駆け寄って、何か言葉を交わしていた。無事を確かめるように。

 やがて、俺たちの番が来た。

 門番が、じろりと見る。男二人に、女二人。武装した、素性の知れない一団。警戒されるのは、当然だった。

「素性を検める。武器を、預けろ」

 腰の得物を、門番に渡す。だが、本当の武器は——この身に宿る、あの黒い刃は、預けようがない。渡すことも、隠すこともできない。ただ、内に抱えているしかなかった。

 もし、この力のことが、知られたら。

 この国で、虚がどう見られているのか。まだ分からない。だが、これまでの土地でも、俺の力は、畏れられ、忌まれてきた。人の身で、滅びの力を宿す者。それが歓迎されるとは、とても思えない。

 露見すれば、どうなるか。良くて、追放。悪くすれば、災いの元凶として、この場で討たれる。仲間まで、巻き添えにして。だから、隠すしかない。この身の内で渦巻く滅びの力を、ただの若造の顔の下に。

 しかも、門をくぐろうとした、その時から、内側の“無”が、かすかに疼き始めていた。まるで、この国のどこか奥深くにある、何か大きなものに引かれるように。抑えろ。今は、目立つな。その疼きを、必死に、胸の奥へ押し込めた。

「お前たち、何者だ。何の用で、セントリアへ入る」

 門番の、鋭い問い。答えあぐねていると、すっと、カイラが前に出た。

「あたしたち、流れの傭兵よ。あちこちの町が沈みにやられて、仕事にあぶれてね。大きな国なら、護衛の口でもあるかと思って」

 よどみない口ぶり。半分は、本当で、半分は、方便。ダグも、それに合わせて、傭兵ギルドの古い証を、門番に見せた。

「腕は確かだぜ。なんなら、そっちの兵と、手合わせでもするか?」

 ダグの飄々とした態度が、かえって、場の警戒を和らげる。門番は、しばらく、俺たちを値踏みするように見ていたが、やがて、証と、いくらかの入国税で納得したらしい。

「……妙な真似は、するなよ。この国じゃ、揉め事を起こした余所者は、容赦せん」

 こうして、俺たちは、どうにか、セントリアの城門をくぐった。

 門の内からは、むせ返るような匂いが押し寄せてきた。焼きたてのパン、香辛料、家畜、人いきれ。アルカでも感じた、あの生きている匂いが、ここでは、桁違いの濃さで満ちている。武器を検められた、あの緊張。知らず詰めていた息を、吐いた。この国では、力を隠し通さなければならない。それが、これからの俺たちの、旅の作法になる。

 だが、門をくぐった、その瞬間。

 胸の奥の疼きが、ひときわ強くなった。

 思わず足を止め、都の、そのはるか奥、中心の方角を見る。

 そこに、何か、ある。

 継承以来、感じてきた、どんな核よりも、比べ物にならないほど巨大な気配。俺の中の“無”が、それに共鳴し、疼いている。この国の中心に。途方もなく大きな、何かが眠っている。

 核だ。それも、これまで見てきた、どの楔よりも、桁違いに大きな。

 この、無傷の繁栄は。この、豊かな暮らしは。すべて、あの巨大な楔の上に成り立っている。

 背筋に、言い知れぬ予感が走った。

 この国の本当の姿を、俺は、まだ、何も知らない。


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