第12話 傭兵
その夜は、町の片隅の、安宿に転がり込んだ。
翌朝から、俺たちは、手分けして、町の様子を探ることにした。といっても、人に話を聞いて回るのは、もっぱら、カイラの役目だ。俺は、その後ろをついて歩く。源の噂、組織の影、核のこと——だが、こんな辺境の避難民に、そこまで詳しい者は、そういなかった。
それでも、いくつか、分かったことはある。この町は、長らく、沈みの脅威から、奇跡的に守られてきたこと。だが、近頃、その均衡が、崩れ始めていること。人々の漠然とした不安が、町の空気に、薄く、滲んでいた。
昼近く、広場の方で、騒ぎが起きた。
人だかりの中心で、数人の男たちが、一人の老人を囲んでいた。柄の悪い、武器を提げた連中だ。老人は、昨日、配給の列で見かけた、あの老人だった。地面に這いつくばり、なけなしの荷を、奪われかけている。
「だから、言ってるだろうが。この区画にいたきゃ、相応のものを、寄越せって」
男の一人が、老人の襟首を、掴み上げた。周りの者たちは、見て見ぬふりで、目を逸らしている。誰も、助けに入らない。入れば、次は、自分が標的だ。
限られた食料を巡って、こういう力ずくの諍いが、近頃、増えているらしかった。生きるのに必死な場所では、時に、人の心も、すり減っていく。逃げてきた者同士が、奪い合う。それもまた、滅びが、もたらすものなのだろう。
体が、勝手に、動きかけた。
だが、それより、先だった。
「おいおい。年寄り相手に、大の男が、三人がかりか」
のんびりとした、低い声。人だかりの後ろから、ひとりの男が、ぶらりと、進み出てきた。
背の高い、がっしりとした体つき。無精髭。着古した外套に、使い込まれた大ぶりの剣を、無造作に背負っている。歳は、三十がらみ、といったところか。その顔には、緊張の欠片もない、人を食ったような笑みが、浮かんでいた。
「見ちゃいられねえな。やめときな。みっともない」
「……なんだ、てめえは」
柄の悪い男たちが、一斉に、その男を睨んだ。だが、男は、まるで動じない。へらへらと笑ったまま、肩をすくめてみせる。
「ただの、通りすがりさ。けど、まあ——見過ごすと、寝覚めが悪いタチでね」
一人が、苛立って、男に殴りかかった。
次の瞬間。
何が起きたのか、よく見えなかった。気づけば、殴りかかった男は、地面に組み伏せられていた。傭兵風の男は、相変わらず、へらへらと笑っている。だが、その動きは、さっきまでの気の抜けた様子からは、想像もつかないほど、速く、無駄がなかった。
ただ、町のならず者を捌くだけの腕じゃない。修羅場を、いくつもくぐってきた者の動きだ。俺は、ひと目で、そう見て取った。
「言ったろ。やめときなって」
残りの二人が、気色ばんで、武器に手をかける。
俺は、前に出た。
「やめておけ」
短く、言う。隣で、カイラが、弓に矢をつがえる音がした。
男たちは、傭兵と、俺たちを、交互に見比べ、分が悪いと悟ったらしい。舌打ちして、捨て台詞を残し、人混みの中へ消えていった。
助け起こすと、老人は、何度も礼を言って、去っていった。
残されたのは、俺と、カイラと、その傭兵風の男だった。
「いやあ、助かった」
男は、ぽりぽりと頭を掻きながら、こちらを向いた。近づくと、汗と、鉄と、酒の匂いが、ふっと香った。幾つもの土地を渡り歩いてきた、長旅の者の匂いだった。
「正直、三人目は、どうしようかと思ってたんだ。あんたらがいてくれて、よかったよ」
飄々と笑う。だが、その目だけは、油断なく、俺とカイラを、品定めするように見ていた。
「俺は、ダグ。しがない、流れの傭兵さ」
ダグは、軽く、手を挙げた。
「あんたら、見ない顔だな。最近、来たのか? その若さで、二人旅とは、感心しねえな。今の世は、物騒だぜ」
「あたしは、カイラ。こっちは、ヴェイン」
カイラが、いつもの調子で応える。
「あんたこそ、強いんだね。さっきの、見てたよ」
「いやいや。若いのを相手にするのは、得意でね」
ダグは、にやりと笑った。それから、ふと思い出したように、訊いてくる。
「で、二人は、どこへ向かう途中なんだ? こんな世界の端っこに、わざわざ来たからにゃ、何か、あるんだろ?」
その問いに、俺は、口をつぐんだ。源のことを、俺の事情を、会ったばかりの相手に、軽々しく話す気には、なれない。
俺の沈黙を、どう取ったのか。ダグは、それ以上は踏み込まず、ただ、肩をすくめた。
「ま、誰にだって、事情はあるわな」
そういう、間合いの取り方も、どこか手慣れていた。なんというか、調子の狂う男だった。ヴェインの寡黙とも、カイラの賑やかさとも違う、飄々とした、大人の余裕。掴みどころが、ない。
しばらく、他愛のない話をした。ダグは、長くこの辺りを流して歩いているらしく、土地の事情に詳しかった。源のことも、組織のことも、知らなかった。だが、別の、もっと差し迫った話を、彼は口にした。
「あんたら、知ってるか? この町、もう、長くないぜ」
ダグの声から、ふと、軽さが消えた。
「西から、沈みが来てる。じわじわとな。今までは、この一帯、地の利で守られてたんだが……ここ最近、様子が、おかしい。沈みの進みが、明らかに、速くなってる」
昨日、西の空に見た、あの灰色を思い出す。やはり、気のせいでは、なかった。
ダグは、流れの傭兵だ。土地から土地へ、滅びの気配を肌で読みながら、渡り歩いてきたのだろう。その男が「もたねえ」と言うのなら、それは、ただの勘ではないはずだった。
「町の連中は、まだ、本気にしてねえ。今まで大丈夫だったんだから、今度も大丈夫だろうってな。けど、俺の勘じゃ、そう長くは、もたねえ」
ダグの言葉は、軽い調子の中に、確かな重さを含んでいた。
せっかく、たどり着いた、生きている町。あれだけの、人々の暮らし。それが今、滅びの波に呑まれようとしている。
守りたい、と、昨日、思ったばかりだった。だが、その守りたいものは、こんなにも早く、危機に瀕している。
俺は、西の空を見た。灰色は、昨日よりも、ほんの少し、こちらへ近づいているように、見えた。
時間が、ない。
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