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第6話 辺境で始まる、小さな流通革命

——王都の馬車が来る、少し前。


 オークヘイブンに最初の食糧を出してから、五日が過ぎた。

村の空気が、変わり始めていた。劇的に豊かになったわけじゃない。

相変わらず畑は痩せているし、井戸の水は少ない。家々の壁は古びたままだし、冬支度の足りなさだって隠せない。


 それでも、人の顔色だけはわずかに違った。

 朝、広場に人が集まる。子供がふらつかずに歩く。

 誰かが鍋を火にかける匂いがする。

 それだけのことで、村は「生きている場所」に見えた。


 健治は空き家、いや、これから拠点になる予定の元鍛冶屋の土間で、木板に炭で線を引いていた。

 スーツの袖は肘まで捲ったまま戻す気もなくなっていたし、膝には泥がこびりつき、背中は汗と埃で白く塩を吹いている。五日間ろくに着替えもしなかった結果、「ヨレている」どころの話ではなくなっていた。


「えっと……こっちが受け取り。で、こっちが仕分け。保存は奥。出す順番は手前から……」


 独り言のように呟きながら、床に簡単な区画を書いていく。土間は広い。天井も高い。壊れた炉の跡を片付ければ、かなり使える。

 問題は、健治一人ではどうにもならないことだった。

 倉庫から物を出すのはできる。だが、そのあと村の中に配る。干す。塩を回す。煮る。保存する。交換する。近隣へ持っていく。そこまで全部を自分一人でやったら、また同じだ。


 仕組みを作る。現場に任せる。自分は詰まりを解消する。


「ケンジさん、入っていい?」戸口から、ミナが顔を覗かせた。


 後ろにはトウマと、村の若い男が二人、それから年配の女が一人居る。


「ちょうどよかった。人手を借りたい」


「うん。村長が、『使えそうな人間を連れていけ』って」


「言い方が雑だな。まあいいか。そっちの二人は?」


「僕はダン」


「俺はルーク」


 ダンは二十歳くらい。おとなしそうで、さっきから荷の数を指折り数えている。ルークは同じくらいの年だが正反対で、返事が速いし動きも速い。速いが、もう荷の数は忘れていそうだった。


「こっちはエマおばさん。塩漬けと干し肉なら村で一番うまいの」


「おばさんじゃなくて、エマさんだよ」ぴしゃりと言った。


口調は強いが、目はしっかりしている。こういう人が一人いると助かる。


「じゃあ、まずは分担だ」床の線を指し示した。


「物を出したあと、その場でぐちゃぐちゃになったら意味がない。だから役割を分ける。ダンとルークは荷受け。重さはたいしたことないけど、量がある」

「エマさんは保存班の頭。何を先に食べて、何を干して、何を塩に回すか決めてほしい」

「ミナは配分表。家の人数と、子供や年寄りのいる家を先に把握して」


「はい?」


 全員の顔が、だいたい同じになった。


 健治は少し黙った。


「難しかった?」


「ちょっと」


「かなり」


「半分もわかってないよ、ケンジさん」ミナが正直に言う。


 健治は額を押さえた。


「あー、そうか。ごめん。順番に言う」


 説明を噛み砕く。物を受け取る人。保存方法を決める人。どの家にどれだけ回すか数える人。それだけだ。


「最初からそう言ってくれりゃいいのに」


 ルークが肩をすくめる。年齢は二十前後だろう。痩せてはいるが、体つきからして元はかなり働いていたはずだ。


「つい前職の癖で」


「ぜんしょく?」


「前の仕事」


「今も仕事してるみたいな顔してるけどな」


 ルークの言葉に、健治は目を細めた。


「してるよ。今度は、自分で選んだ仕事だけど」


「そういうの、ちょっといいな」


 ダンがぼそっと言った。その声が、やけに耳に残る。


◆ ◆ ◆


 その日の午後、空き家の土間は慌ただしくなった。

 健治が【無限倉庫】から木箱や袋を順番に取り出す。

 ダンとルークがそれを運ぶ。

 エマが中身を見て、保存の優先順位を決める。

 ミナは村長から借りてきた古い帳面に、家ごとの人数を書き込んでいた。


 無限倉庫内の在庫が増えるにつれ、倉庫の一覧も別の意味で厄介になっていた。パン、豆、薬、塩漬け肉、交換用、保存用。入るだけ入るせいで、呼び出しのたびに「どれがどれだ」と一瞬考える時間が発生する。


 最初は前職仕込みの気合いで追っていた。けれど三日目の朝、画面の端に分類欄を増やせることに気づいた。砦/即応、村/日配、医療/優先、交易/検品前。名前空間を切って棚を分けるように整理した瞬間、倉庫はただの穴蔵ではなく、本当に使える物流システムへ変わった。


「ミナ、その家は子ども二人と寝たきりの婆さん一人、で合ってる?」


「うん。あとお父さんは脚を悪くしてる」


「じゃあ肉は少し多め。固いのは避ける」


「わかった」


「ケンジさん、また子供のいる家に多めに振ったでしょ」


 ミナが帳面を見たまま言った。健治は一瞬だけ黙った。


「気づいた?」


「気づくよ。昨日と今日で、幼児のいる家だけ少し多い」


 エマが鼻を鳴らす。


「だったら最初からそう書いときな。あんたがその場の気分で増やすと、あとで揉める」


 ぐうの音も出なかった。


 健治は配分表の端に新しい欄を作る。


【幼児・病人 追加配分】


「これでいいですか」


「最初からそうしな」


 甘さを隠すより、最初からルールにした方が明朗だった。


「エマさん、豆は?」


「今日は煮る。残りは乾いたまま取っとく。葉物は先に回したいね」


「了解」


 言葉が回り始める。最初はぎこちなかった村人たちも、一度役割が見えると動きが変わった。


 健治はその様子を見ながら、肩のこわばりが緩むのを感じた。自分が全部やらなくても、回る。いや、回るように作ればいい。


 分かっていた事のはずなのに、身体に染みついた「自分がやったほうが早い」という癖は厄介だった。


 その悪癖は、夕方にさっそく顔を出した。

 最初のつまずきは、配分だった。

 健治は帳面に書いた人数で均等に食糧を分けた。三人家族には三人分、五人家族には五人分。数字上は正しい。物流の基本は公平な配分だ。

 だが昼過ぎ、ルークが慌てて走ってきた。


「ケンジさん、うちのエマが怒ってる」


「何かあった?」


「配分が多過ぎるって。うちは畑の根菜が少し残ってるから、今日の分は半分でいいのに。代わりに、隣のオルトんところは赤ん坊が生まれたばっかりで、母親の食事も足りてない」


 健治は帳面を見返した。オルトの家は大人二人。だから二人分を配った。けれど赤ん坊がいる。つまり授乳中の母親には普段より多くの栄養がいる。それは帳面の「人数」には書いてない。


 エマが足音も荒くやってきた。


「数字ばっかり見てるから現場が見えないんだよ」


 その言葉に、健治の脳裏を前の会社の上司の声がよぎった。

——佐藤お前は帳簿上は正しいんだよ。でも現場はな帳簿通りに動かない。


 また、同じことをやっている。分かっているのに、この癖が抜けない。数字が合えば現場も回ると思い込む。


「……すみません。配分表、作り直します」


「作り直すのは良いけど、今度は一人で書かずに、あたしとミナに見せな。この村のことは、この村の人間が一番知ってるんだから」


 エマはそう言い捨てて、鍋の番に戻っていった。

 健治は帳面を閉じ、新しいページを開いた。今度は、自分一人で書かない。各家の事情を知っている人間の目を通す。「分担」は、作業だけの話じゃない。判断を分けることでもある。


 配分表を作り直すと決めたはずなのに、気づけばまた同じことをやっていた。新しいページに、各家への配り方を自分一人で書き込んでいる。エマに見せると言ったばかりなのに、鉛筆が止まらない。この家は子どもが三人だから多めに、この家は老人が一人だから消化にいいものを。


 ミナが横から覗き込んだ。


「ケンジさん、全部の家を一人で見るの?」


「いや、えっと……」


 ミナが帳面を覗き込んだ。しばらく黙って配分表を見ていたが、ふいに指を止めた。


「ここ、間違ってる」


「どこ?」


「この家、子ども三人って書いてあるけど、一人は去年の冬に死んだよ」


 健治の手が止まった。ミナは帳面から目を上げない。


「あと、おばあちゃんの家。二人って書いてあるけど一人。おじいちゃん、先月」

 言いかけて、やめた。唇を結んで、帳面に視線を戻す。

 健治は何も言えなかった。数字を並べている間に、その数字の裏で何が起きていたのか。自分の配分表は、村の現実を何一つ拾えていなかった。


「ケンジさん、こっちの干し肉、どの家に回す?」


「こっちは?」


「井戸の水汲み、手伝える人が足りない」


「鍋の番、交代どうする?」


 一気に三方向から呼ばれて、健治は反射的に全部に返事をしようとした。

 ——自分でやったほうが早い。

 喉元まで出かかったその考えを、ぎりぎりで飲み込む。


「いや、違う」


「え?」ミナが首をかしげる。


「ミナ、配分は帳面見て決めていい。迷ったらエマさんに聞いて。ルーク、水汲みは若いの二人追加して。ダン、鍋番は一時間ごとに交代表つくる。文字が苦手なら棒線でいい」


 三人がぱちぱちと瞬く。


「それで、いいの?」


「いい。毎回俺に全部聞かないでって意味じゃなくて……いや、意味はそうなんだけど。回せる人が回したほうが早い」


「ケンジさん、急に難しいこと言う」ミナが真顔で言う。


 健治は苦笑した。


「要するに、俺一人に集めずに、分けて欲しいってこと」


「そっちはわかる」


「じゃあ、お願いする」


 エマがふんと鼻を鳴らした。


「最初からそうしてりゃいいんだよ。頭のいい人ってのは、たまに自分で話をややこしくするね」


「反省します」


「反省だけなら塩漬けにもならないよ。手を動かしな」


 健治は素直に「はい」と返した。

 この人には敵わない気がした。

 そのエマが、一度だけ手を止めた。

 塩漬け肉の保存具合を確かめていたときだ。指先で肉の色を見て、匂いを嗅いで、それからふいに動かなくなった。


「エマさん?」


「……前の冬にね」


 エマは背中を向けたまま言った。


「うちの末の子が。この量があれば、もう少し」言いかけて、首を振った。


「いや、やめとく。済んだ話だ」


 健治は何も返せなかった。

 エマは振り向かず、次の肉に手を伸ばした。


「ぼうっとしてないで手を動かしな」


 その声は、いつもの辛辣しんらつな調子だった。でも、指先だけが少しだけ丁寧になっていた。ただ、エマと話しているうちに一つわかったことがある。


 王都には保存魔法というものがあるらしい。食材に魔力をかけて鮮度を保つ術で、商業ギルドの大手はそれを使って遠方の貴族に高級食材を届けている。ただし、魔力の維持コストが高い。一箱あたり銀貨数枚。辺境の村が払える額ではないし、見切り品にかける商人もいない。


「だからこっちには腐りかけしか届かないのさ」とエマは吐き捨てた。


 健治は倉庫の画面を見た。時間停止。魔力コストはゼロ。保存魔法が銀貨数枚かかるものを、自分はタダで、しかも無限にやれる。王都の仕組みが届かない場所を、この倉庫は素通りできる。


 チートだ、と思った。でも今度は、その言葉に嫌な響きがなかった。



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