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第21話 王座の間で

 交易が回り始め、ギルドの妨害をしのぎ、砦が持ち直したころ、王都から呼び出しが来た。


 健治は砦の壁上からその様子を見下ろし、短く息を吐いた。


「ようやく、だな」


 隣ではガレスが腕を組み、門前の修復作業を眺めている。


「お前の『ようやく』は、だいたい人の寿命を削ったあとに来るな」


「現場の回復ってそういうもんです」


「だから軽いんだよ、その言い方が」


 ガレスは呆れたように言ったが、その横顔には前ほどの険しさがなかった。痩せた頬にも肉が戻り、無精髭の下に疲労とは別の余裕が見える。


「王都から呼び出しだそうだ」


「ああ、聞いてます」


「嫌そうだな」


「そりゃまあ」


 健治は素直にうなずく。


 呼び出しの理由は明白だった。交易が軌道に乗り、砦が持ち直し、王都でも結果が見え始めた。ここで王宮が動かないわけがない。


 褒賞。地位。役職。たぶん、そういう話だ。


 そして、それはだいたい「もう少し大きな責任ごと首を突っ込め」の綺麗な言い換えだと、健治はよく知っていた。


「行きたくないなら、病欠でも何でも使えばいいだろう」


 ガレスが言う。


「王様相手に病欠って通るんですか」


「知らん。だが、お前なら言いそうだ」


「ちょっと前までなら言わなかったかも」


「今は?」


「今も言いたい気持ちはあります」


 ガレスが低く笑った。


「なら安心だ。変わりすぎても気持ち悪い」


 その言葉に、健治は肩の力を抜いた。


◆ ◆ ◆


 王都へ戻ったのは、砦が完全に崩れないと確信できるだけの引き継ぎを終えてからだった。


 補給の分担。交易初期条件の共有。砦側の連絡役。

 魔族側との確認窓口。王都からの追加調達ルート。


 全部、自分だけがわかる状態で離れるのは嫌だった。

 それをやるとまた同じことになる。


 だからガレス、セレナ、ルーファス、そして交易の実務に食い込み始めていた若い文官たちへも、噛み砕いて共有した。


 自分が抜けても、すぐには止まらない形。

 完全じゃなくても、それが今の最低条件だった。


 王都の門をくぐったとき、健治は無意識に肩をすくめていた。

 相変わらず人は多い。露店の匂い、石畳の反響、城を見上げる人々の視線。


 異世界へ来て最初に見たときとは違って、今はここが「便利なものが集まる場所」であると同時に、「遠い場所を見誤りやすい場所」でもあることを知っている。


 王宮の門をくぐる直前、ルーファスが歩み寄ってきた。


「佐藤殿。一つだけ、忠告しておく」


 いつもの書記官然とした声だが、周囲に聞こえないよう声を落としていた。


「なんです」


「あなたの物流網は、すでに王都の三貴族家——特にブラント侯の穀物流通と正面から衝突している」


 健治は足を止めた。


「初耳ですけど」


「当然だ。彼らはあなたに直接言わない。代わりに、ギルドの検査を増やし、地方への通行許可を渋り、辺境向けの廃棄委託に上限をかけようとしている」


 ギルド検査官の顔が浮かんだ。あの地味な嫌がらせは、個人の判断ではなく、上の意向だったのか。


「大臣職を受ければ、その利権衝突は王宮が仲裁する。だが断れば——」


「むき出しで戦うことになる、と」


「そうだ」


 ルーファスは銀縁眼鏡を押し上げた。


「嫌な男だが、馬鹿ではない。あなたが潰れれば砦の補給も止まる。それは王国の損失だ」


「それは忠告? それとも脅し?」


「両方だ。どちらに聞こえても構わない。ただ、知らないまま王の前に立つのは得策ではない」


 健治は数秒黙った。


「ありがとうございます」


「礼は要らない。今後の書類仕事を増やさないでくれればそれでいい」


 ルーファスはきびすを返し、先に回廊へ入っていった。

 面倒ごとの規模が、村の中から王都全体に広がっている。仕組みが大きくなるほど、敵も大きくなる。当たり前のことしかし、腹に落ちると重かった。


「緊張していますか」


 横を歩くアリシアが問う。


「嫌な会議の前って感じです」


「それは緊張とは少し違うのでは」


「緊張より性質が悪い」


 アリシアが小さく笑う。

 今日の彼女は、砦にいたときの泥まみれの旅装ではなく、王宮用の正装だった。金糸を控えめに使った白と青の衣装。髪も整えられている。


 遠い人だ、と思った。

 泥だらけの彼女を知っている。寝不足で目の下に隈を作りながら、それでも背筋を伸ばして魔族と交渉した彼女を。だから遠くないと思いたいのに、この正装を見ると、やっぱり彼女は王女なのだと思い知る。


 自分は物流屋だ。並んで歩いている今も、この回廊を通る資格があるのは、横にいるこの人のおかげだ。


「褒賞の場です」


 アリシアが言う。


「少なくとも表向きは」


「裏があるってこと?」


「大いに」


「素直でよろしい」


「あなたにだけは言われたくありません」


 そう言いながらも、アリシアの横顔にも、隠しきれない緊張があった。彼女もまた、王宮の中で戦う側なのだ。王宮の回廊を抜け、謁見の間へ通された。以前と同じ場所だった。


 高い天井。磨き上げられた床。左右に並ぶ貴族たち。


 その中の一人が、健治を見た。灰色の髭を蓄えた老人——ブラント侯。

 穀物流通を牛耳る三貴族家の筆頭だと、ルーファスの忠告で名前だけは知っている。目が笑っていない。隣の若い男に何か囁き、若い男がこちらを一瞥して鼻で笑った。


 ルーファスの忠告が蘇る。三つの貴族家。あの中に、健治の物流網を潰したがっている人間がいる。顔を知らない相手に睨まれるのは、前の世界の社内政治より性質が悪い。あっちは首を飛ばされるだけで済むが、こっちは文字通り首が飛ぶ可能性がある。


 王座の上には国王。その脇に老臣と宰相。

 ただ、違うことが一つだけある。

 あの日、ここで「倉庫」を笑った人間たちが、今日は誰一人として健治を「ただの一般人」として見ていないことだ。


 視線が重い。値踏みもある。警戒もある。だが、軽視だけは消えていた。


「佐藤健治殿」


 国王の声が響く。


「そなたの尽力により、絶望の砦は持ちこたえ、魔王軍との限定交易も成立した。王国は大きな損耗を避け、多くの命が救われた」


「どうも」


「……」


「失礼しました。ありがたく存じます」


 さすがにそこで言い直す。


 王座の間に小さなざわめきが走ったが、国王は苦笑を浮かべるだけだった。意外と度量があるのか、それとも今は怒っている場合ではないのか。


「ついては褒賞として、そなたに爵位を授けたい」


「爵位」


「うむ。加えて、王国初の「兵站へいたん特務大臣」として王宮へ迎え入れる」


「来た」


 思わず小さく呟いた。

 隣でアリシアが咳払いする。


 王座の間には、期待と緊張が満ちていた。貴族たちは「これで王宮の管理下へ収まる」と思っている者と、「余計な風穴が開く」と嫌がっている者に分かれているのだろう。ルーファスはやや複雑な顔をしていたが、ここ数日の仕事ぶりを見る限り、以前ほど敵意一辺倒ではない。


 国王は続ける。


「そなたの力があれば、王国全土の流通を統べ、兵と民を支える礎となれよう。王宮には専用の執務室を用意し、必要な人員も付ける。相応の報酬も約束しよう」


「……」


「どうだ」


 問いかけが落ちる。


 健治は、すぐには答えなかった。断る。その答えは、実は最初から半分決まっている。決まっているのだけれど。一瞬だけ、考える。


 王宮に入れば、たしかに大きなことはできるかもしれない。


 物流網の整備。備蓄の見直し。辺境支援の優先順位。旧街道の再活用。魔族側との交易の拡張。自分のスキルと知識が、一番広く効く場所なのはたぶんここだ。


 そこまでは、認める。でも。その先にある光景も、健治にはあまりに想像しやすかった。


 書類。根回し。利権。王都の顔色。「健治がいるから大丈夫」を前提に増えていく業務。終わらない責任。休めない立場。


 仕組みを作るはずが、結局また「最後に全部自分へ集まる場所」になる未来。嫌な予感の精度は、経験で鍛えられている。健治はゆっくり息を吐いた。


「ありがたい話だとは思ってます」


 その一言で、王座の間がざわりと前のめりになる。貴族たちの何人かが、もう受諾の空気を読み始めたのがわかった。


「でも、辞退します」


「なぜだ」


 国王の声には驚きと、少しの苛立ちが混じった。

 だが健治は、そこで変に茶化さなかった。ここは笑いに逃げるところじゃない。


「王宮に入れば、大きなことはできるかもしれません」


「ならば」


「でも、それを王宮が全部抱える形にしたくないんです」


 健治は自分でも少し驚くくらい、まっすぐ言えた。


「今、砦が持ちこたえてるのは、俺が一人で全部回してるからじゃない。現場に任せるところを作って、仕組みで回し始めたからです」


「……」


「王宮に入れば、たぶんまた「佐藤健治がいるから」で集まる。そういう形は、長持ちしない」


 老臣たちの顔つきが変わる。面白くないのだろう。王宮のやり方を真っ向から否定されたようなものだ。


「俺がいなくても止まらない仕組みを選びたいんです。誰かがいないと回らない組織は、その誰かが倒れた瞬間に全部止まる。前の会社でそれを見てきました」


 それでも健治は続ける。


「俺は、必要な分だけ働いて、必要な分だけ流れを繋ぎたい」


「王国全体を支える立場を、狭いと言うのか」


「狭いとか広いじゃないです。続く形にしたいだけです」


 国王が黙る。宰相は露骨に不服そうだ。ルーファスは眉をひそめながらも、何か考える顔をしていた。沈黙を破ったのは、ブラント侯だった。


「陛下。お許しを」


 低く、よく通る声だった。王座の間で発言を許された重みを、この老人は熟知している。


「佐藤殿の功績は認めましょう。ですが、王宮の外で独自の流通を敷くということは、既存の商流を乱すということです」


 そこで初めて、健治に視線を向けた。


「辺境への廃棄委託。保存魔法を使わない鮮度管理。王都を経由しない直送。いずれも、我々が長年かけて築いた流通秩序の外にある」


「秩序っていうのは、辺境が飢えてても維持するもんですか」


 健治が返すと、ブラント侯の目が細くなった。


「秩序がなければ、王都も飢えます。我々の穀物網は百年以上の蓄積だ。一人の異世界人が数ヶ月で組んだ仕組みと、同じ天秤には乗らない」


「百年で辺境を食わせられなかった仕組みと、数ヶ月で砦を持たせた仕組みと。天秤に乗らないのは、どっちですか」


 王座の間が、張り詰めた。


 ブラント侯は表情を変えなかった。怒っているのかもしれない。あるいは、この程度の反撃は想定の内なのかもしれない。百年の利権を守ってきた人間は、一発の正論では揺れない。


「実績は認めよう」


 侯は声を落とした。


「だが実績と制度は別のものだ。制度のない実績は、担い手が消えれば霧散する。あなたが王宮に入らないと言うなら——その仕組みは、いつでも止まりうるということだ」


 それは脅しだった。しかし、正論でもあった。


 健治は少し黙った。反論はある。仕組みは人に依存しない形で作っている。現場は回っている。だが、それを「王都の制度として認めろ」と言い切るだけの政治力は、自分にはない。


 そのことを、この老人は正確に突いている。


「それに」


 健治は間を置く。


「働き方が終わってる組織には戻りたくない」


 王座の間のあちこちで、息を呑む音がした。やはりそれは言うか、とアリシアが横で目を伏せる気配がある。


 しかし国王は、しばらく無言だったあと、低く言った。


「耳が痛いな」


「でしょうね」


「王の前でよく言う」


「前の世界では、言えなかったんで」


 国王はそこで、ほんのわずかに口元を緩めた。笑ったのかもしれない。諦めたのかもしれない。


「では、爵位だけでも」


「いりません」


「即答か」


「管理しやすくするための首輪でしょう」


「そこまで言うか……」


 今度こそ、国王は苦笑した。王座の間の空気も、さすがにもう完全な緊張一本ではいられないらしい。


 アリシアが一歩前へ出る。


「陛下」


 国王が娘を見る。


「彼を王宮へ縛るより、外に置いて繋ぐべきです」


「お前まで言うのか」


「はい。今の王国に必要なのは、王都だけで完結した流通ではありません。辺境と砦と魔族領を含めて回る、新しい線です」


「……」


「健治様は、そこにいるべきです」


 王座の間が再び静まる。国王は長く息をついた。


「親子そろって、王の思う通りには動かぬな」


「血筋かもしれません」


 アリシアが平然と言う。それを聞いて、国王はとうとう少しだけ笑った。


「よかろう。爵位と大臣職は取り下げる」


「助かります」


「ただし、王国との補給・交易顧問契約は結んでもらう」


「顧問?」


「必要なときに知恵を借りる。それくらいは受けよ」


「必要なときだけ、なら」


「その必要の頻度を誰が決める」


「そこは契約で」


「本当に厄介な男だな」


 そのやり取りに、ルーファスが小さく天を仰いだ。たぶん今後の文面作成を想像して頭が痛いのだろう。少し同情する。


 王宮を出たとき、健治は思っていたよりずっと軽い気分だった。もっと消耗すると思っていた。だが実際には、言うべきことを言って、いらないものを断っただけだ。


 石段を下りながら、アリシアが隣で言う。


「少しだけ見直しました」


「少しだけ?」


「ほんの少しです」


「王様相手にもその塩加減なんだ」


「健治様が相手でも同じです」


 健治は鼻で笑った。


「で、これからどうします」


 アリシアが訊く。


「どうって?」


「王都に残るのか、オークヘイブンへ戻るのか」


「戻るに決まってるでしょ」


「即答ですね」


「そこは即答です」


 王都に拠点を置く気はない。必要な線は結ぶ。でも、自分が立つ場所はもう決まっている。


「佐藤ロジが待ってるんで」


「佐藤ロジ……確かに、そうですね」


 アリシアがその名を自然に口にしたのが、少しだけ嬉しかった。

 その日から、王都と辺境と砦を結ぶ線は、少しずつ「仕組み」になっていった。


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