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第20話 王都の顔色と、辺境の顔

 砦に届いた通達は、短かった。


『辺境向け食糧の廃棄委託上限を、月間三十袋に制限する。商業ギルド総務局』


 健治はその紙を二度読み、三度目で机に置いた。


 三十袋。


 今の交易規模では、一回の交換で最低五十袋は必要だ。月に二回の交換を維持するなら百袋。三十袋では、半分も回らない。


「これは」


 ルーファスが横から覗き込む。


「ギルド総務局の通達です。廃棄委託の上限」


「見せてくれ」


 紙を読んだルーファスの顔が、険しくなった。


「廃棄委託の上限設定自体は、ギルド規定にある。だが、こんな数字は前例がない」


「誰が決めたんです」


「名義はギルド総務局だが、背後にいるのは三つの貴族家だろう」


 三つの貴族家。

 ルーファスが以前ちらりと口にした名前だった。王都の食糧流通を握る旧家が三つ。それぞれが穀物、保存食、調味料の卸を独占している。健治の物流網は、彼らの利権を直接は脅かしていない。辺境の余剰と廃棄を回しているだけだ。


 だが、それが問題なのだろう。


「今まで廃棄されていたものに、辺境という売り先ができた。すると、ギルドを通さずに辺境へ直接流す商人が出てくる。一人が抜ければ二人目が続く」


 ルーファスが淡々と説明する。


「たかが辺境の余り物で?」


「たかが、ではないのだよ、佐藤殿。廃棄されていたものに値がつけば、ギルドを経由せずに売れる前例ができる。統制の綻びは、価格より先に来る。それがギルドの恐れている事態だ」


「つまり、俺が余り物を辺境で使うと、ギルドの流通独占に穴が開く」


「そういうことだ」


 捨てていたものに売り先ができれば、流通の支配構造が揺らぐ。前の世界でも見たことがあった。既存の流通網を迂回する動きが出るたびに、業界団体が潰しにかかる。構造は、どの世界でも同じらしい。


「通行許可のほうはどうなってます」


「そちらも絞られている。辺境向けの荷車通行に、新たに通行税が課された。名目は道路補修費だが、金額が露骨に高い」


「いくら」


「荷車一台あたり銀貨三枚」


「以前はゼロだったのに」


「以前は辺境に荷を運ぶ物好きがいなかったからだ」


 ルーファスが肩をすくめる。健治は椅子に座り直した。


 仕組みが大きくなると、敵も大きくなる。村の中で済んでいた頃とは次元が違う。今の敵は、制度そのものだ。通達と規定と税金で、物流の首を絞めてくる。剣で斬れる相手ではない。


◆ ◆ ◆


 同じ日の夜。


 アリシアから書簡が届いた。伝令が砦まで走ったらしく、封蝋がまだ温かかった。中身は三行だった。


『宰相派が動いた。限定交易の検証期間を三ヶ月に区切る動議が出ている。否決できるかは五分。——A』

 三ヶ月。

 今が初回から二ヶ月目だ。あと一ヶ月で期限が来る。延長の決裁は宰相府が握っている。


 書簡の裏に、もう一行あった。


『父上は黙認の姿勢だが、いつまで保つかわからない。——A』


 健治はその紙を畳んで、机の引き出しにしまった。


 アリシアは王都で一人で戦っている。

 砦では泥にまみれて魔族と交渉していたこの人が、今は宮殿の回廊で老臣たちの視線を浴びながら、「辺境の物流屋がやっていることには意味がある」と説き続けている。


 その孤立の深さを、健治は想像することしかできなかった。返事を書こうとして、ペンが止まる。何を書けばいい。


 「頑張ってください」なんて軽すぎる。「大丈夫ですか」は愚問だ。大丈夫じゃないに決まっている。


 しばらく考えて、結局これだけ書いた。


『六便目は予定通り。数字は出します。——佐藤』

 それが今の自分にできる、唯一の返事だった。


◆ ◆ ◆


 翌日、エマが保存班の報告を持ってきた。


「ケンジ。廃棄委託の上限が来たんだって?」


「聞いたのか」


「ルーファスが文句言いながら歩いてたから。声が大きいんだよ、あの人」

 エマは報告書を机に広げた。


「三十袋じゃ足りない。でもね、捨てられる前に引き取る方法がもう一つある」


「もう一つ?」


「市場で売れ残った生鮮。あれは廃棄委託じゃなくて、市場の自主処分扱い。ギルドの規定の外だよ」


「それ、量は出る?」


「季節によるけど、夏場なら結構出る。問題は鮮度。引き取ってからすぐに倉庫に入れないと腐る」


「鮮度管理なら得意分野だ」


「ただし」


 エマが指を立てた。


「冬場は生鮮自体が減る。自主処分もほとんど出ないよ。冬を越す分は、この手じゃ埋まらない」


 健治は黙った。夏はしのげる。けれど冬が来れば、三十袋の上限がそのまま壁になる。


 エマが小さく笑った。


「一人で全部やろうとしなさんな。保存班がいるだろ」


 その台詞は二度目だった。一度目は、健治がこの村に来たばかりの頃。あの時と同じ声で、同じ言葉を言う。


 だが今回は、その言葉の重みが違った。


 保存班は今、七人に増えている。エマが自分で人を集めた。干し肉の処理、塩漬けの手順、梱包の規格。全部、エマが現場で教え込んだ技術だ。


「ありがとう」


「礼より先に、明日の引き取りルート出して」


「はい」


 仕組みが壊されかけたら、仕組みで迂回する。制度で首を絞められたら、制度の隙間を探す。前の世界でもそうやってきた。


 ただし今回は、隙間だけでは越えられない季節が来る。冬までに三十袋の上限そのものを動かさなければ、交易が止まる。


 一人では無理だ。ただし、一人じゃない。


◆ ◆ ◆


 六便目の準備を進めている最中、砦の門前でちょっとした騒ぎがあった。交易の荷を積んだ荷車が、王都方面からの通行税徴収に引っかかったのだ。税吏が二人、荷車の前に立ちふさがっている。


「通行税、銀貨三枚になります」


「前はなかっただろ」


 荷車を引いていたのは、ヴァルツだった。


 あの交換の日から、ヴァルツは自分から輸送の手伝いを買って出ていた。ガレスに命じられたわけではない。黙って荷を運び、黙って検品し、黙って戻る。口数は少ないが、仕事は正確だった。


「新しい規定です。道路補修費として」


「この道、補修なんかしてないだろ」


「規定ですから」


 ヴァルツの顔に怒りが浮かぶ。だが、あの日のような暴発はなかった。代わりに、深く息を吐いて、懐から銀貨を出した。


「次から、ここの税は俺の給金から出す」


「ヴァルツ、それは——」


「いい。文句は上に言う。でも、今日の荷は止められない」


 その横顔を見て、健治は何も言わなかった。怒りの向きと、荷の向きは、別にしてくれ。ガレスの言葉を、この男は自分なりに咀嚼している。怒りは消えていない。ただ、怒りで荷を止めることだけは、もうしない。


 それは成長と呼ぶには痛々しくて、妥協と呼ぶには強かった。


 健治は倉庫から銀貨三枚を出して、ヴァルツに渡した。


「経費で落とす」


「経費?」


「佐藤ロジの運用コストだ。個人で被るもんじゃない」


 ヴァルツは銀貨を受け取り、しばらく手の中で転がしてから、ぽつりと言った。


「変な組織だな」


「そうでもない。前の会社より、ずっとまともだ」


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