第19話 繰り返すことだけが、信用になる
二便目は、初回ほど重くはなかった。
けれど、軽くもなかった。
交換地点は前回と同じ、旧街道沿いの休息所跡だ。双方の荷を並べ、立会人が数を確認し、品質をチェックし、記録を取る。手順はもう頭に入っている。
問題は、手順の外で起きた。
「パンの端が青い」
魔族側の立会人が、食糧袋の一つを開けて眉をひそめた。
健治は即座に確認する。確かに、丸パンの底に薄いカビが浮いていた。出発前に確認したときはなかったはずだが、輸送中の湿気か、梱包が甘かったか。
「交換します」
倉庫から替えのパンを出す。品質に問題のない個体と入れ替え、カビたパンは自分の側で処分する。
「替えがすぐに出るのは便利だな」
魔族の立会人が言った。皮肉ではなく、素朴な感想に聞こえた。
「在庫管理が仕事なんで」
「人間の物流屋は、みんなこうなのか」
「俺だけです」
「変わった男だ」
二便目は、そうして終わった。大きなトラブルはなかったが、完璧でもなかった。その「完璧でもなかった」が、むしろ良かったのかもしれない。初回の緊張感が残ったまま何も問題が起きなければ、かえって疑心が膨らむ。小さな不具合が出て、その場で対処して、双方が「こういうものか」と納得する。そのプロセス自体が、信用の下地になる。
◆ ◆ ◆
三便目で、輸送遅延が出た。
原因は単純だった。旧街道の橋が、先日の雨で一部崩落したのだ。迂回路を探すのに半日かかった。倉庫があるから荷の劣化は防げるものの、時間そのものは巻き戻せない。約束の時刻に、荷が届かない。
交換地点では、魔族側の兵が先に待っていた。
「遅い」
立会人の声には、苛立ちよりも不安が混じっていた。人間側が来ないということは、取引が破談になったのかもしれない。そう思ったのだろう。
「すみません。橋が落ちてて」
「橋?」
「こっちの旧街道にかかってた木橋です。雨で崩れた」
立会人の表情が少し変わった。怒りが解けたわけではないが、理由が天候なら仕方がないとわかったのだ。
「次からは代替の道を確保しておけ」
「そのつもりです」
遅延の報告は帳面に記録した。次回以降のために、迂回路の候補も地図に書き加える。ミナが横から覗き込んで、「こっちの沢沿いのほうが近いよ」と指差した。村の子供の土地勘は、時に軍の地図より正確だった。
◆ ◆ ◆
四便目の前日、ギルドの検査官が来た。
三人組だった。以前にも何度か顔を見せた男が先頭に立ち、後ろに控える二人が帳簿を抱えている。
「佐藤殿。辺境向けの廃棄物流通について、ギルド規定第七条に基づく検査です」
「前も見せましたよね」
「定期検査です。頻度についてはギルド本部の判断です」
月に一度が、いつの間にか二週に一度になっている。検査項目も増えた。以前は流通量と品目の確認だけだったのが、今回は「保管環境の衛生基準」「輸送手段の安全性証明」「取引先の身元確認書」まで求めてきた。
取引先の身元確認。魔族の身元を人間のギルドにどう証明しろというのか。
「ルーファスさん」
たまたま砦にいた書記官を呼んだ。
「ギルドの検査です。前回より項目が増えてます」
ルーファスは検査官の書類を一瞥し、銀縁眼鏡を押し上げた。
「第七条は都市間流通に適用される規定です。辺境の試験事業には——」
「ギルド本部の解釈では、辺境も含むとの見解です」
「その見解は、いつ出たのですか」
「先週です」
先週。アリシアの書状が届いた直後だ。書状で釘を刺されたギルドが、別の条項を引っ張り出してきたのだろう。
ルーファスの眉が動いた。状況を理解している顔だった。
「検査には応じます。ただし、結果の報告書は王宮書記官室にも写しを提出していただく」
「それは——」
「王家直轄事業の検査記録ですから。当然でしょう」
検査官の顔が強張った。写しを提出するということは、ギルドの恣意的な判定がそのまま王宮に記録されるということだ。露骨な妨害がやりにくくなる。
ルーファスはこちらを見もせずに踵を返した。だが歩き出す前に、低い声で言った。
「感謝は不要です。書類が増えるのが嫌なだけだ」
嫌な男だが、馬鹿ではない。最初に会ったときとは、少しだけ印象が変わっていた。
◆ ◆ ◆
五便目。
荷を並べ終えたとき、魔族側の兵の一人が立ち止まった。若い兵だ。以前、交換地点で剣の柄に手をかけていた——ガルドに従っていた男だった。
「物流屋」
「はい」
前回の塩漬け。変色して黒ずんでるのがあったぞ」
「……すみません。確認します」
「次は、ちゃんとしたものを寄越せ」
その言葉に、健治は少しだけ笑った。
クレームだ。品質クレームが出るということは、受け取る側が「次もある」と思っているということだ。一回限りの施しなら、文句は言わない。繰り返しを前提にしているから、不満が出る。
ゼルダークが言った通りだった。
一便で世界は変わらない。
でも、二便目があれば期待が生まれる。三便目で苦情が出る。四便目で手順が固まる。五便目には、誰も「初めて」の顔をしなくなる。
それは信用とは呼べないかもしれない。
ただ——もっと手前にある何か。繰り返すことでしか積めない、名前のない地盤のようなものだ。
帰り道、ミナが帳面を見せてきた。
「ケンジ。五回分の記録、まとめたよ」
「早いな」
「当たり前じゃん。帳面係なめんな」
品目、数量、品質メモ、遅延記録、クレーム内容。全部、十歳の字で几帳面に並んでいた。
「これ、次の交渉で使えます?」
「使う。絶対使って活用させてもらう」
「じゃあ汚さないでよ。一回しか書かないから」
ミナは帳面を胸に抱えて、先に歩いていった。健治はその背中を見て、ひとつだけ確信した。仕組みは回り始めている。まだ脆い。まだ壊れやすい。
でも、回っている。




