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「『バグ』という存在を知って、心が久々にわくわくしています。 こんなに晴れやかな気分になるのは、いつぶりでしょうか……! そういうわけで──さっそく、バグを見つけに行ってきます!!! 『デクーヴゥール』としてのデビューです!!!」
襟人は宣言すると、少しの迷いもなく屋上の端へと駆け出した。
もはや恐怖などなく、胸の高鳴りだけがみなぎっていた。
前世の記憶はほとんど失われている。
それでも、魂には刻まれているのだ。バグを感じ取る力が。
「スフレ!!!」
叫ぶと同時に、彼の身体は建物の外へと飛び出した。
「待って!!! それはフライングよ!!! そんな簡単にバグを見つけられるはずがないわ!!! ルーキーはまずまず部屋の中で、いろんな物に向かって、あらゆる言葉を浴びせ続ける簡単な作業からスタートするのよ!!!」
ベレー帽の少女は、襟人が飛び降りた方へ駆け寄りながら、大声で叫んだ。
「ああ……どうひよう……!」
彼女は泣きそうになりながら、おそるおそる下をのぞき込んだ。
「……あれ?」
地面に、襟人の姿はなかった。
血の跡も、服の切れ端すらない。
誰もいないコンクリートだけが、冷たく広がっていた。
「……いない?……まさか!?」
その瞬間、うしろの上の方から声が降ってきた。
「私はここですよ!」
軽く笑う襟人の声に、ベレー帽の少女は胸を撫で下ろす。
「よかった……生きてた……」
しかし、彼女が振り返った次の瞬間──。
「って、その格好は何なんですかあああ!!?」
本日一番の大声が響き渡った。
そこに立っていたのは、なんと「江戸時代の侍」そのものの格好をした襟人だった。
昔の侍の着物を着て、頭はおちょんまげ、腰には刀まで差している。
「答えは簡単です」
襟人はふっと微笑み、自分の袖を見つめながら語る。
その目には、すでにデクーヴゥールとしての覚悟と誇りが宿っていた。
「私は──『マンション12階分の高さから、スフレと叫んで飛び降りると、江戸時代にタイムスリップできるバグ』を発見しました」
「なんですって……!?」
「もちろん、このバグは行きっぱなしの片道切符です。 タイムスリップすれば、二度と現代には戻れません。 なので私は、江戸の町で暮らしながら、現代に戻れる別のバグを探し続けました。 近くにあった、マンション12階分の高さと同じくらいの大きな木から、何回飛び降りたか分かりませんよ。 結局、4か月ほど向こうで生活していたでしょうか。 その過程で、私は全部で──714個のバグを発見してみせました」
「な……ななひゃくぎゅうよん個!?」
「例えば、これは割と最初のほうに見つけた『プレタポルテと叫んでマンション12階分の高さから飛び降りるバグ』なのですが……」
襟人はそう言うやいなや、再び飛び降りた。
空に響く叫び声──「プレタポルテ!!!」
その直後、元のポロシャツ姿に戻った襟人が、何事もなかったかのように屋上へひょっこりと現れた。
「オートクチュールで江戸時代の服装になって、プレタポルテで現代の服に戻る。そういうシステムなんです」
さっきまでツルツルに剃られていた頭も、フサフサの元通りだ。
「おおっ……!」
ベレー帽の少女は目を丸くし、思わず拍手を送った。
「これを見ては、和服を着てみたくならないわけがないです!!! 僕も早速、貴方が見つけたバグを試ひてきます!!!」
テンションが最高潮に達した彼女は、少しの迷いもなく屋上の端へ駆け出した。
「えっ、いや……」
襟人が止めようとしたときには、もう遅かった。
彼女は軽やかにジャンプし、嬉しそうに叫んだ。
「オートク『キュ』ール!!!」
──その瞬間、時が止まったかのようだった。
ドスンッ!!!
建物の下から、重い衝撃音が響き渡った。
ベレー帽の少女は、バグの発動に失敗した。
「……一番最初に、貴方は『オートクチュール』と正しく発音できないのだから、このバグはやめたほうがいい、と言っておくべきでした……」
「側音化構音」──発音がうまくいかない舌の癖。
これこそが、ベレー帽の少女の独特な話し方の正体だったのだ。
本人は真面目に話しているつもりなのだが、
特定の発音を正しく言うことができず、変な響きになってしまう。
「バグ」とは、たしかにこの世界においては非常に便利な存在だ。
だが、彼女がうまく使えないように、決して完璧なものではない。
発動する条件が「正しい発音」という不確かなものに頼っている以上、
そこにはどうしても避けられない大きな弱点が存在していた……。
「あっちゃー……これは酷い……。こんなにも呆気ない無駄死にが他にあるでしょうか……」
屋上から地面を見下ろした襟人の視界に飛び込んできたのは、無残に倒れたベレー帽の少女の姿だった。
顔を含めて全身を激しく打ち付けており、ほんの数分前までの可愛らしさはすっかり無くなっている。
髪に留められたベレー帽だけが、辛うじて彼女であることを示していた。
襟人は静かに目をそらす。
「せっかく、『マンション12階分の高さから、グラタンと叫んで飛び降りると、直前にいた場所へワープするバグ』があるのですから、飛び降りるときは最後に『グラタン』と叫ぶようにしていれば、絶対に安全だったのですが……」
襟人の声は、倒れている遺体に向けられているとは思えないほど落ち着いていた。
アクシデントが起きたというのに、彼の表情は穏やかだった。
「いやあ……こんな時に使えるバグも見つけておいてよかったです……」
その目の奥では、すでに次の作戦がしっかりと組み立てられていた。
「アンコール!!!」
静かな屋上にその声を轟かせながら、彼は迷いなく空へと飛び降りた。
──風が逆再生のように巻き戻る。
景色がくるりとひっくり返り、すべての色が古い写真のようなセピア色に染まる。
次の瞬間、襟人は、ベレー帽の少女が「おおっ……!」と自分に拍手を送った直後の場面へと戻っていた。
そう、これは「マンション12階分の高さから、アンコールと叫んで飛び降りると、数分前へと時間が巻き戻るバグ」だ。
「これを見ては、着物を着てみたくならないわけがないです!!!
僕も早速、貴方が発見したバグを試してきます!!!」
「ちょっと待ってください!」
襟人はすぐさま大声で叫び、彼女を止めた。
「その前に質問よろしいですか? 私がデクーヴゥールになるにあたって、これからどうなるのですか?」
「おっと、遊んでいる場合ではなかったですね。説明させていただきます」
ベレー帽の少女はその場でピタリと足を止め、まじめな顔で言う。
──無事、彼女が死ぬ未来を回避することができた。
「まず、貴方は僕のきょく属の部下になります。 僕の名前は『つぶらなまなこ』。 ファミギーネームがサークルの『円』に奈良の『奈』、ファーストネームが真っ直ぐの『真』、再び奈良の『奈』、子供の『子』です」
ベレー帽の少女改め真奈子は、そう言って右手を差し出した。
「えっ……」
「不満ですか?」
「いえ、そういうことではありません。 ただ、私はまだ所属することになる組織の詳細を知りません。 仲間を集める役割である貴方と一緒に働くことになるとは、思っていませんでした」
「ああ……。 ここはいくつかの部隊に分かれていて、隊員を集めるのもそれぞれの隊長がやることになっているんですよ。 僕も、一つの部隊を任されている身なんです」
「そうでしたか」
なんということだ。上司が萌え萌え美少女だなんて。
普通、社会に出れば自分に命令してくるのは、お腹の出た疲れはてた中年ばかりだ。
そんな華やかさも面白さもない毎日では、やる気だって削られていく……。
危険な仕事だとしても、やってみる価値は十分にある。
「分かりました。 これから、よろしくお願いします!!!」
襟人はそう言って、元気よく真奈子と手を取り合った。
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