ふんわりシフォンケーキ〜安眠効果と共に〜
シャカシャカシャカ、と泡立て器がボウルにぶつかる音がする。
左手にボウルを抱え、右手に泡立て器を抱えたフィンが、クリームをホイップしている音だ。
時刻は既に夕方に差し掛かっていて、この時間はもう客は来ていなかった。
キトも帰ってしまったので店にはフィンとエマの二人だけだ。
のんびりした時間を過ごしながら、フィンは新作をエマに試食してもらうべくこうしてお菓子を作っている。
背の高いカウンターの椅子に座っているエマは、足をぷらぷらさせてフィンのお菓子作りの様子を見つめていた。
「生クリーム、いいですよね。甘くてふわふわで、幸せの味がします。あるのとないのとじゃ、お菓子のクオリティが段違いです」
見ているこちらの顔が思わず綻んでしまうほどいい表情を浮かべている。
エマが見つめている前で、フィンは仕上げにかかった。
「カットしたシフォンケーキの横にこのクリームを添えて……これで完成だ」
「わぁ! 美味しそう!」
エマの目がパッと輝き、短い手を叩いて喜ぶ。こうしていると本当に、五歳児そのものにしか見えない。
「このケーキ、随分背が高いんですねぇ」
「シフォンケーキはスポンジケーキと違って、泡立てた卵白を生地に閉じ込めるからふわふわに出来上がるんだ」
「パウンドケーキの時みたいにですか?」
「そう。バターじゃなくて油を混ぜているし、パウンドケーキよりも卵の量が多いからよりふわふわになる」
「へぇぇ……フィンさんはいろんなお菓子を作れますね」
「現実逃避に色々作ってたから。……と言っても、夢中で作っていたから、やっぱり好きなんだろうな」
いくらなんでも逃避先に好きでもないものを選ぶわけがない。
だから自分は菓子作りが根本的に好きなのだろう。
「説明するより食べた方が早いし、食べてみて」
「はい!」
ケーキとクリームがエマの手により切り分けられ、ぱくりと口に吸い込まれていく。
「ケーキもクリームもふわふわで甘い……!」
「気に入ってくれたかな?」
「はい、とっても!」
口にクリームをつけて喜ぶエマをみて、フィンも微笑む。
「このケーキは、一日の終わりや研究に一区切りがついた時、こうして一息つきながら食べるのがいいですね。これを食べて眠りについたらいい夢が見られそうです。……というわけで。付与魔法・安眠!」
紫色の光がシフォンケーキを包み込んだ。
「このシフォンケーキを食べると一時間以内に眠気に襲われ、その日はぐっすりと眠れて良い夢が見られます」
「まちがっても午前中に出さないようにしないと」
迷宮に潜る前の探索者に提供してしまったら大変なことになる。
これは夕方以降専用メニューにしよう。
そう思いつつケーキの乾燥を防ぐためにガラスのドームを被せたところで、店の扉が開いた。
こんな時間に客がくるなんて珍しいと思いながら振り向いたフィンは、硬直した。
がっしりとした体躯を覆う白銀の騎士の鎧、戦闘を生業とするものにふさわしい短く刈った金の髪、フィンよりも深く濃く光る青い瞳。
そこにいたのは、フィンが家を飛び出して以来一度も会っていない、実の弟。
「ヴィクター……!」
「お久しぶりです、兄上」
二年ぶりに会ったヴィクターは、実に洗練された動きで騎士の礼のポーズを取った。
一体何しに来たのだろう、とフィンは身構えた。
まさか実家に連れ戻しに来たのだろうか。その可能性は大いにありうる。
ハロディング王国では伝統として長男が爵位を継ぐことになっているので、長男であるフィンが全てを放り出してこうして迷宮都市のはしっこでカフェを営んでいるとあれば、いずれ迎えがくることは予想していた。
予想した上で、なるべく先延ばしにして、あわよくばヴィクターに爵位を譲れないだろうかと考えていたのだ。こんなダメな自分より優秀な弟に任せた方が家のためにもなるだろうし。
フィンが何も言わずじっとヴィクターを見つめているのと同様に、ヴィクターもまた何も言わず入り口で不動の姿勢を見せていた。
相変わらず大きい。立っているだけで存在感が抜群すぎて、まるで店の出入り口を守る守護者のようだった。
どうしようかなとフィンは思う。ありていに言えば気まずいし、何なら訪ねてきたヴィクターも気まずそうにしている。
目が泳いでいるし、口を開けたり閉じたりして何かを言いあぐねているようだった。
微妙な空気を破ったのは、エマの声だった。
「いらっしゃいませ! お一人様でしょうか? よろしければお席へどうぞ。ちょうど今、新作が出来上がったところです」
「あ、ああ」
エマが促したのはちょうどフィンの真正面にあたるカウンター席だ。
言われるがままに従ったヴィクターが席につく。
身に纏っている騎士の鎧はところどころ焦げたような跡があり、露出している皮膚には火傷の跡があった。表情もどことなく疲弊している様子だ。
「もしかして……迷宮帰り?」
「はい」
「そういえば迷宮最下層に火竜が出たとか。その討伐かな」
「さすが兄上、一線を退いていても情報収集は怠っていないのですね」
「まあ、情報収集したというか、キトが勝手に話してくれたんだけど」
「キトさん……伝説級探求者となる猫を拾い、育て上げた兄上の慧眼。そして未だキトさんと懇意にしている兄上の人望。やはり兄上は、俺なんかよりよほど公爵家の跡取りにふさわしい人間です」
「いや全然だけど!? 急に何言い出すんだ!?」
先ほどの気まずさはどこへやら、突然ヴィクターが妙なことを言い出したのでフィンは全力で否定した。
しかしヴィクターは至極真面目な表情を崩さないまま首を横に振る。
「いえ。周りが何と言おうとも、俺にはわかっています。兄上は俺よりもはるかに有能……幼少のみぎりよりずっと近くで見ていた俺が、見誤るはずありません」
「めちゃくちゃ見誤ってると思うけど」
ヴィクターは頑として頷こうとしない。
ヴィクターはフィンに対し、この態度を一貫していた。
おそらくものすごく小さい頃、夢と希望とやる気に満ちていたフィンの背中を見て育ったため、間違った刷り込みがされているのだろうとフィンは考えている。
フィンはこの話題に関してヴィクターの理解を得ることを諦めた。
「まあいいや。それで、急に僕のところに来たりして、何か用?」
ヴィクターは表情を引き締めた。
真っ直ぐにこちらを見つめる瞳には、強烈な意志の力を感じさせる。
フィンも手を止めて真正面からヴィクターを見た。こうしてまっすぐに弟の顔を見るのは久しぶりだった。フィンはいつでも己の実力不足に引け目を感じて、視線を斜め下に下げてばかりいたから。
「迷宮五十階層に湧き出している火竜討伐には、騎士団の精鋭部隊でさえ実力が不足しています。状況を打破するためには、何かが必要となる……そんな時、兄上の話を耳にしました。兄上は、迷宮都市キルデアに魔法付与した菓子を供給しているんですよね」
「まあ、そうだね」
「その菓子をぜひ、騎士団にも卸していただけないでしょうか」
「え?」
「その菓子をぜひ、騎士団にも卸していただけないでしょうか」
二度言われ、ようやくフィンは言われたことを理解した。
「つまり……火竜討伐のために魔法が付与された菓子が必要だってことか」
「はい、そうです」
「それならもちろん、協力させてもらうよ」
断る理由はどこにもない。魔物討伐の助けになるというのなら、それくらいのこといくらでもやる。フィンは剣の才能がないのでいたたまれなくなって家を出たが、騎士団そのものを嫌いになったわけではない。
むしろ今でも憧れと羨望の気持ちが心の奥底に渦巻いていた。
手助けできることがあるならば、積極的に請け負おう。
「本当ですか! 助かります。では、体力増強・魔力上昇・身体能力一時向上・運気上昇の効果のある菓子をそれぞれ五十ずつお願いします」
「わかった。明日の午前中には用意しておくよ」
「では昼ごろ、我らの方で受け取りに来ます」
「うん。……キトが来たら、火竜討伐に加わるよう頼もうか? 正直、あいつがいたら火竜でもなんでも一人で蹴散らせるだろうし」
「いえ。何でもかんでもキト殿に依頼するわけにはいきません。我らの誇りにかけ、此度の火竜討伐は騎士団でやり遂げる所存です」
「そっか」
キトは火竜のステーキを食べたがっていたし、頼めば気軽に引き受けてくれそうな気もするが、ヴィクターがそう言うのならばフィンに反対する理由はない。
「じゃあ、今日はせっかく来てくれたわけだし、これを食べて帰ってくれ」
「有り難くいただきます」
フィンはヴィクターに、つい先ほど完成させたばかりの新作シフォンケーキを出した。
籠手を装備したままの指で器用にフォークを操り、一口でケーキもクリームも平らげるヴィクター。エマは十口くらいかかっていたので、差を感じてしまう。
「……しっとりとした生地、上品な甘さのクリーム……家で食べるものと遜色ない。さすがは兄上、ただ魔法を付与した菓子を売り出すのではなく、味にもきちんとこだわりがありますね」
「フィンさんのお菓子が美味しいからこそ、私はこうして押しかけてお手伝いをさせてもらっているんです」
「君が噂の付与魔法士か。話には聞いていたが、本当にまだ子供だったとは……」
「いえ、実は、こう見えて十七歳なんです。実験中にちょっとした失敗からこの姿になってしまって」
「ふむ?」
「その辺はツッコまない方がいいよ。僕にもわけがわかっていない」
「兄上がそうおっしゃるのなら、俺も何も言わないでおこう」
「そうしていただけるとありがたいです」
そういえばエマは、そもそもキルデアに年齢を元に戻す薬を作るために来たのではなかったか。
外見年齢が今のままでも全く気にしていなさそうだし、こちらもそのまま受け入れてしまっているし、「どうでもいい」と最初に言っていたけれど、本当にこのままでいいのだろうか。
「五歳の体にもだいぶ慣れました。これはこれでいいものですね」
「それでいいのか……?」
「はい。全く問題ありません」
「そうか……君がそれでいいなら、いいや」
フィンはエマの外見年齢に関して深く考えることを放棄した。
「では兄上、明日、また来ます。今日は帰って、明日からの火竜討伐に向けての作戦を練らなければなりませんので。では」
さっと立ち上がったヴィクターは、再び敬礼のポーズを取り、店から出ていく。
弟は全く変わっていなかった。
実直で、フィンへの思い込みが激しくて、そして騎士の仕事に全力を注いでいる。
弟との再会が嬉しいやら気まずいやらで胸の内に複雑な気持ちが支配しているフィンだったが、今気になることはたった一つ。
「……魔法の効果で、一時間以内に眠気が襲ってくるんだよな……」
「はい。それはもうぐっすり眠れてスッキリ起きられることを保証しますよ」
「そっか……」
今日はもう仕事にならないだろうけど、許してくれ。
フィンは心の中で合掌した。




