迷宮都市キルデアの抱える問題
迷宮というのは生き物だ。
地脈から流れる膨大な魔力を糧に生み出される巨大な生物。
その生物の腹の中で、数多の階層が出来上がり、階層の気候に合った動植物や魔物が生み出される。
ハロディング王国には無数の迷宮があり、攻略難易度はものによってさまざまである。
十階層にも満たない極浅いものもあれば、三十階層を超えるものもある。
キルデアの迷宮は五十階層を超えており、これは王国の歴史上最も深い迷宮であった。
迷宮は深くなればなるほど出現する魔物が強力になる。そして迷宮主の力もそれだけ上がっていく。
迷宮を糧に生きる人々の総称を「探求者」と呼ぶのだが、迷宮の階層が三十を超えると彼らの力だけでは迷宮攻略が困難になる。
故に、王国から騎士が派遣される。
騎士は探求者とは異なり初めから集団で戦うことを想定し、日々訓練しているため、有象無象の探求者たちよりも統率が取れている。負傷率が低く、長く迷宮に潜っていられ、強敵討伐率が高いことが特徴だ。
ただし騎士の育成には時間と金がかかる。
迷宮三十階層以降の魔物に勝てる精鋭の騎士を酷使するわけにはいかない。
騎士は消耗品ではなく、大切な人材なのだから。
精鋭騎士の一団を預かるヴィクターは、部下を一人たりとも死なせずに火竜討伐に挑まねばならなかった。
兄の店のことを耳に入れられたのは僥倖だった。
迷宮表通りの大店「千のスプーン」に付与魔法付きの菓子が卸されていて探求者に大人気だという話は聞いていた。それが兄の営む店であるということも。
ヴィクターは兄のことを心から尊敬していた。
幼少のみぎりよりランバルド公爵家の子供として共に訓練に励んでいた。
兄はとてもまぶしい人だった。
夢と希望とやる気に満ち、大人の騎士相手にも果敢に挑み、返り討ちにあったとしても決して諦めない。
公爵家を継ぐ存在として、誰よりも強い力を手に入れようとする気概に溢れていた。
そんな兄を間近で見てきたからこそ、ヴィクターの心も奮い立ち、厳しい訓練をこなしていこうという気持ちになったのだ。
自分一人ではとてもではないがあの練習メニューを毎日こなすことはできなかっただろう。なにせ三日に一度は血反吐を吐いて気絶していた。
泣き言を言うヴィクターを兄はいつも励ましてくれていた。
どれだけ無茶苦茶な訓練でも、兄は決して弱音を吐かなかった。
ヴィクターにとって兄はいつまで経っても超えられない存在だ。
月日が経ち、ひょろひょろだったヴィクターの体が大きくなり、どうにか手合わせで兄にも勝てるようになった頃、兄が訓練に出る回数が徐々に少なくなっていった。
代わりに厨房に入り浸っているという話を耳にした。
屋敷や騎士の者たちは「フィン様は訓練が嫌になってお逃げになったのだ」と口々に言っていたが、ヴィクターにはそうは思えなかった。
公爵家のことをいつも第一に考えていた兄が、厳しい訓練に率先して励んでいた兄が、逃げ出すなどあるはずもない。
だからヴィクターはこう結論をくだした。
「兄はきっと、家臣と交わることで情報を収集しているのだ」と。
泣き虫だったヴィクターがやっと一人前に剣を扱えるようになったことに安堵し、兄は兄で別の方向で公爵家のためにできることをやろうとしているのだ。
そうとわかればうかうかしていられない。
兄の期待に応えるためにも、ヴィクターも自分にできることをやらなければならない。
そう考えたヴィクターは、ますます訓練に励んだ。
年輩の騎士たちに混じって迷宮に潜り、魔物を屠る日々。
ヴィクターが迷宮に潜るようになってからしばらくして、兄が屋敷を出ていった。
きっと、何か兄にしかできないことをやろうとしているのだろう。
自分には剣を握ることしかできない。ならばそれを極めるべきだ。
そう考えて騎士としての仕事をこなすこと二年ーーふいに兄の店の噂が耳に飛び込んできて、なるほどさすがとヴィクターは膝を打った。
現在、迷宮都市キルデアは、いくつかの問題を抱えている。
そのうちのひとつが探求者のレベル低下による迷宮での負傷率の高さだ。
近年のキルデアにやってくる探求者たちはレベルが低い傾向にある。
おそらく安全に管理された迷宮に潜り、一山当てようという探求者たちが集まってきているのだろう。
だが、いくら迷宮主が倒されたとはいえ、迷宮は迷宮。危険はつきものだし、不測の事態がいつ起こるとも限らない。
そして迷宮内での死者が増えると困ったことが起きてしまう。
迷宮から生み出された魔物というのは外をうろつく魔物と異なり、食事が必要ない。迷宮に満ちる魔力を糧に生きる特殊な生き物なのだ。
だが、もしも迷宮内で死んだ探求者を魔物が食べた場合ーー魔物の進化・強化につながってしまう。
探求者の肉を己の肉とし、探求者固有の魔力を己の魔力とする。
そうして進化した魔物は他の個体に比べて圧倒的に強く、討伐に苦労するのだ。
だが、兄の売り出した「魔法が付与された菓子」があればどうだろう。
探求者の能力が底上げされ、無理のない探索が可能になる。
探求者たちがこぞって兄の菓子を求めるのも頷ける話だ。
「そして我々にとってもありがたい話だったな」
火竜の群れは騎士の精鋭部隊をして手に余る強敵だった。
狭い迷宮内で吐き出される複数体による超高火力の炎ブレスは、氷魔法に長けた騎士の盾魔法でも防ぎきれず、ブレスをどうにかしなければリーチがありすぎて攻撃に転ずることもできない。
あの時にヴィクターの前に現れた竜は全部で十頭。
十頭もの竜を相手取るのは流石に荷が重すぎた。
「付与魔法をかけた菓子を騎士たちに食べさせ、部隊を二つに分けて竜を分散させて倒すか……」
ヴィクターの指揮する部隊だけでは人手が足りないため、他の部隊に応援を依頼する。
そうして体制を整え、直ちに迷宮最下層へと突入する。
本当なら昨日のうちに全ての手筈を整えたかったのだが、昨日は兄の店から帰ってすぐになぜか心地のいい眠気に襲われてベッドに直行してしまった。
火竜に負けた悪夢を見ることもなくぐっすりと眠り、目覚めはいつもよりすっきりとしていて、今も頭が冴え渡っているのでまあ良しとしよう。
兄が付与魔法をかけた菓子を持ってくる前に迅速に体制を整えようと、行動にうつすヴィクターだった。
*
「大丈夫かな……」
ヴィクターのところへ菓子を納品したフィンは、店に戻ってきてからそう呟いた。
ヴィクターは「これさえあれば百人力です」と言っていたが、フィンは嫌な胸騒ぎを抑えられなかった。
相変わらずカウンターでかつおだしコーヒーを飲んでくつろいでいるキトに意見を伺う。
「なあキト。火竜って強いよな」
「んみゃあ? 全然。ただの火を吐く大きめのトカゲって感じだみゃあ」
「嘘つけよ」
「ほんとほんと。パンチ一発で吹き飛ぶし」
ダメだ。規格外の力を持つキトに聞いたのが間違いだった。全然参考にならない。
「火竜といえば歴戦の探求者や名のある騎士でも討伐に苦戦する魔物ですよね。四十階層の迷宮主として登場することもありますし、地上では周辺の町々を焼き尽くしたという話も残っていますし。並大抵の相手ではないことは確かです」
至極真っ当な火竜の強さを語ってくれたのはエマだった。研究員をしていたというだけあって知識の幅が広い。
エマの言葉はフィンの心配を加速させた。
「やっぱりそうだよな……ヴィクターの話だと、どうも複数体出現したみたいだし、大丈夫だろうか」
ヴィクターの強さは知っているが、さすがに火竜が何頭も出ては手に余るだろう。迷宮内は狭いので、火竜のブレスを逃げてかわすということもできない。ということは防ぐしかないわけなのだが、高威力のブレスを何発もくらっては防ぐのだって至難の業だ。
「そんな心配しみゃーでも、あんなトカゲにやられないだろ」
「火竜をトカゲ呼ばわりするのキトだけだから」
「そんなに心配なら、見にいって見てはいかがですか?」
「え?」
エマの提案にフィンは間抜けな声を出した。
「面白い冗談だね」
「冗談じゃないですよ」
いつの間にかエマは、作業の手を止めてフィンを真っ直ぐに見つめていた。
確かに冗談を言っている表情ではない。
「迷宮五十階層まで行き、騎士の方々の奮闘ぶりを見にいってみればいいんです。ここで煩悶としているよりいいと思いますよ」
「いやいや……僕がいったところで完全に足出まといだし、邪魔にしかならないよ」
ドロップアウトしたフィンとて戦場での心得くらいは覚えている。
戦えない存在は邪魔になる。余計な気苦労をかけるだけだ。
「ヴィクターさんはフィンさんのことをとても慕っているようでしたし、行けばきっと心強いと思いますよ」
「…………」
エマの言葉にフィンは押し黙る。
たしかにヴィクターはフィンのことを未だに慕っているようだった。幼い頃の刷り込みがまだ効いているのだろう。本当はダメなやつなのだということを認めてくれない。
フィンにとってヴィクターは唯一無二の大切な弟で、キルデアにとっても貴重な存在だ。さすがに火竜討伐で命までは取られないだろうが、それでも心配なことにはかわりなかった。
「……五十階層まで下りて、安全地帯から討伐の様子を確認しようかな」
それなら邪魔にもなるまい。もし瀕死の重傷を負ったら、かついで逃げればいいのだし。
「いいアイデアだと思います。行きましょう」
「楽しそうだからオイラも行くみゃあ」
こうしてフィンの二度目の迷宮最下層行きが決定した。




