迷宮内部
「主様! 呆けるな!」
叢雲の声が響く。
さっきまでいた学院の庭とは明らかに違う音の響き。
「一瞬たりとも気を抜くでない! 死ぬぞ!」
焦る叢雲の声。
今までも叢雲の焦り気味の声は聞いたことがあるけど、今回は明らかにその時とは違う。
焦り。
驚き。
不安。
ワイバーンと対峙した時以上の緊張感が伝わってくる。
「く……一体なぜじゃ……! なぜこんなことが……!」
「…………大丈夫だよ、叢雲…………」
「意識ははっきりしておるか? 記憶は?」
「記憶は……問題ないと思う。さっきまで僕達は学院の庭にいた。それが今ここは……迷宮の中……で間違いない?」
「恐らくは。いや、間違いなく迷宮内部じゃな、ここは」
「そうか。やっぱりそうなんだ」
「主様、記憶はどこまである? 儂は、レジーナ相手に主様の事情を話しておった時……昔の子供達の話をしていた辺りで突然ここに飛ばされたと認識しておるんじゃが」
「多分僕も同じだよ。突然世界が暗くなって、気がついたらここにいた。……多分だけど、気を失っていた時間はないと思う」
「そうじゃな。眠っていたとか気を失っていたということはないはずじゃ。もしそうであったら最悪の状況になっておった」
「叢雲……」
「……なんじゃ主様」
「怖い……」
「……無理もないわ。こんなことは儂としても全くの想定外。ミューズも同様だろうて」
「どうしよう叢雲」
「……」
「もうこれ、死んじゃうんじゃないかな」
「……」
「迷宮……なんだよね?」
「……」
「怖いモンスターがたくさんいるんだよね?」
「……いる……じゃろうな……」
「迷宮の中のどこかも分からないよね?」
「……そうじゃな」
「もう……ダメかな僕達」
「大丈夫じゃ……」
「怖いよ叢雲……」
「大丈夫じゃ主様。何としても、絶対に主様は儂が地上に連れ戻す。儂の過去の経験、知識、力、全て使って主様を無事に地上に連れ戻す。絶対に……じゃ」
「だけど叢雲……僕達、何も持ってない……」
「……持っておらん、な」
「迷宮探索する時には、探索者の人達も念入りに持ち物を準備するって聞いたよ。何が必要か、何が不必要かを厳選して、重さも1グラム単位で調整するとか……僕達……何も持っていない」
「大丈夫じゃ主様。儂がついておる」
「でも、食べ物もない……」
「迷宮の中には木が生えておるところもある。川が流れているところもある。何とかそういう場所を見つけ出して……もし無かったら、泥水を飲んででも生き延びるぞ主様」
「そう、そうなんだ……そういう所に運良く辿り着けたらいいけど……」
「主様、今後の方針を決めるのは少し後にしようぞ。まずは周囲の確認じゃ。ここが迷宮のどの辺りか、第何層なのかまだ儂にも分からん。情報が足らなすぎる。それに、もしかしたら主様と儂以外にもここに飛ばされた人間がおるかもしれん」
「えっ……僕達以外にも……?」
「あくまで可能性じゃ。ミューズは女神じゃから元々迷宮内部には入れん。可能性があるのは生徒じゃ。あそこにいたのはレジーナとエンリケ、それに男子生徒が10人。万が一あの者達も飛ばされておったら……面倒なことになるの……」
「……分かったよ叢雲。ごめん、僕がしっかりしなきゃね。そうか。レジーナ達ももしかしたらここにいるかもしれない……」
「いや可能性は低いとは思うがの。ここに主様と儂を飛ばしたのがこの迷宮トリネロの仕業だと仮定すると、他の生徒まで巻き込む必要はないからの。いやしかし儂も一緒で本当に良かったわ。どんな事態が起きても儂が主様と一緒にいれるように主様の魂と儂との繋がりを少しずつ強めておいたのが功を奏したの。主様が世界のどこに行こうとも儂も一緒に行けるように、の」
「えっ、いつの間にそんなことを?」
「庭から出た時から少しずつ、の。安心せい。魂が少し強く繋がっておるだけで、同化するとかそういう話じゃないわい」
「……叢雲、それ僕以外の人に許可なくやっちゃダメだよ?」
「主様以外の人間にするわけがないじゃろ。変なこと言うのう主様は」
「できれば僕にも一言教えて欲しかったけど……」
「いるのか? 許可が。嫌なのか? 主様は」
「いやいらないけどさ。嫌じゃないけどさ。うん……そうだね、そのお陰でこうして僕は1人にならずに済んでいるんだ。ごめん叢雲。お礼を言う場面だよねここは。ありがとう」
「さ、その話は後にして、周りを探索するぞ。最初は周囲10メートル程でいい。よーく見て周るんじゃ」
「了解、叢雲。それにしても迷宮の中なのに視界があるのは助かるね」
「それは階層によっても全然変わってくるがの。全くの暗闇の場所もあるし、地上よりも明るい場所もある……『迷宮はこういうものだ』という決めつけは危険じゃぞ。何が起きても対応できる心構えでいることが大切じゃ」
「分かった。見た感じ何もないようだけど……少し歩いてみるね」
目で見る限りでは、僕達の周囲はただただ広い石畳が広がっている。
もしこれが部屋だとしたら相当な広さだろう。
目で見える範囲で少なくとも100メートル以上はある。
でも叢雲が言う通りここは迷宮。
油断は禁物だ。
もしかしたら広い部屋のように見えているのは錯覚で、別の存在が隠されているかもしれない。
だから、最初は叢雲の指示通り10メートル程歩いてみて、本当にただの石畳しかないのかどうか確かめてみる。
「それとな主様。緊急事態じゃから儂は刀になる。常に握っておれ。それとは別に、刀の機能以外を人の形態にして残しておく。今の儂の姿のままな」
「そんなことができるの!?」
「できるぞ? 別に難しいことでもなかろ?」
「ちょっとビックリした。じゃあ叢雲が2人いるような状態になるのかな。でもそれは凄く助かるよ。叢雲がその姿のまま隣にいてくれるだけで、心が凄く楽になるし」
「そうじゃろ。ハッキリ言っておくが、この場に於いて戦闘は不可避じゃ。それで、戦闘になった時に儂が人の形でフォローできた方が色々と便利じゃろ」
「うん本当に。じゃ叢雲、お願い」
「うむ」
人の形をした叢雲の目の前から、スッと刀が浮かび上がる。
最初は朧気な状態だったのが、数秒経つとすぐにハッキリとしたいつもの刀になった。
……なるほどね、こうするんだ。
「常に、いつでも振れるようにしておけ。紫電でなくとも良い。燕返しでもなくとも良い。とにかく、デタラメでも何でもいいからいつでも全力で刀を振れる心構えでおるんじゃ」
「分かった」
歩を進める。
足元の感触としては、都市の石畳と何ら変わらないように思える。
固い。冷たい。
でもここは……迷宮なんだ。
絶対に油断はしない。
今、ここで足元から何かが飛び出してきてもすぐに叢雲を振れる心構えをしておく。
「むう……ここは……一辺が数百メートルにも及ぶ大部屋……か……」
叢雲が呟く。
「叢雲は、迷宮トリネロの最奥まで行ったことがあるんだよね? もしかしてここがどこだか知っている?」
「いや、この手の部屋はいくつもあったからの。断定はできん。できん……が……」
「……心当たりがある?」
「いやな、主様と儂がここに落ちてから、モンスターが一匹も現れんじゃろ? それがどうにも引っかかっての。こんなこと、あり得ないんじゃよ。大抵はどこの階層にもモンスターはいるし、こんな広い部屋で一匹も視認すらできんことなど……」
「相当に珍しいことなんだね?」
「可能性としては、探索者が数日中にここを通っていてモンスターを一掃してある場合じゃな。これなら一番いいんじゃがな。探索者が来るのは比較的浅い階層が多いから出口も近いということじゃし、それにこの上の階層のモンスターも掃討してあるじゃろうしな」
「それだったらいいね」
「……それとは別に……あまり考えたくはないが……強力なモンスターがこの部屋を根城にしている可能性もある。弱いモンスターがそのせいで寄り付かない状態になっている、という状態じゃな」
「それは考えたくないね……」
「とにかく、少しずつ探索しようぞ。部屋の隅まで視認できない以上は歩いて行ってみるしかない。他の階層に進む階段がどこにあるかすら分からんのじゃからな」
「了解」
「階段がある場所は、部屋の四隅かど真ん中というのが定番じゃ。それ以外にある場合もあるが、まずはそこから探していくぞ。昇るにしても下るにしてもじゃ」
「え、下る? これ以上迷宮を下るの?」
「部屋によっては下るしか選択肢がない場合もある。一旦下に降りて他の階段を使って昇るしか出口に向かう方法がないようなケースじゃ。そうでないことを祈ろうぞ」
「うん。心臓に悪いよ、これ以上迷宮の下に行くのは……」
「そうじゃな。…………しかし、トリネロ…………してやられたわ…………まさかこのような手段に出るとは……どれ程に力を蓄えておったんじゃ……それを全部使ってこのようなことをしたか……」
「ワイバーンが地上に現れた時もそうだったんだよね? 相当に無理をしてワイバーンを地上に送り出したって言ってたよね」
「そうじゃ。とにかく主様を殺したくてしょうがないようじゃな。当たり前の話じゃがな。主様が迷宮を封じる鍵である以上は、どんな手段を使ってでも、というところじゃ。まぁこんな手段はいつも出来るようなもんではない。ワイバーンの件と今回のこれで、トリネロはほとんどの力を使い果たしておるじゃろうよ」
「そうあって欲しいよ、本当に」
「絶対に殺してやる」
「……叢雲、怖いよ」
「主様も覚悟せい。ここまでのことをやられたんじゃ。宣戦布告どころの話ではないわ。今正に殺されかけておるんじゃぞ。主様も迷宮踏破を決心した以上は、今目の前にトリネロが現れても斬り殺す覚悟を常にもっておけ」
「……分かった。少したるんでいたようだね……叢雲が側にいてくれるからかな……それとも、現状があまりに酷いから……気持ちを少しでも逃避させようとしていたのかな……ごめん、シャキっとするね。叢雲が言う通り、今目の前にトリネロが現れて最終決戦になったとしても、殺すつもりで戦うよ」
「ま、あの腐れ肉塊はそんな度胸はないがの。最奥に潜みながら自分の身は絶対に危険に晒さず主様を殺そうとしてくるじゃろうよ。それとももしかしたらもう最奥から出てこれないくらいになれ果てておるかもしれんな」
「……とにかく、覚悟は持っておくよ」
「それでいい」
まずはこの部屋の把握。
そこから始めるしかない。
もし叢雲の危惧通りに、強力なモンスターがいたとしても、まずは確認。
そして叢雲の知恵を借りて対策を考える。
本当に叢雲がいてくれて良かった。
大丈夫。
僕達は、生きて必ずここから出る。




