優しい時間
目の前で黒髪の少女、エンリケ・オルシーニは泣いていた。
うん、泣いている。
嗚咽を漏らしながら泣いている。
「あの……エンリケさん、そろそろ泣くのは……」
「えっ、えっ、うぐっ……うぐぅ……」
泣き止まない。
あれから僕と黒髪の少女はゆっくり話をするために学院の中庭にある東屋のような所に移動した。
話をしても僕の立場を認めてもらえるとは思っていなかったし、それが当然だと思う。
でもこの学院に通う以上は、他の生徒に理解を求める姿勢というのは僕なりの誠意なような気がしたから。
例え理解されなくても。
最初に名前を聞いた。
彼女の名前はエンリケ・オルシーニ。
当然というか、貴族のお嬢様だった。
彼女のお父様はレジーナと同じく子爵様。
だけど、レジーナの家とは違い領地持ちの貴族ではないらしく、迷宮都市トリネロの中で法衣貴族をしているらしい。
なんでも、以前はオルシーニ家から戦士団を輩出するのが習わしだったらしくその武勲によって子爵にまでなったそうだけど、何代か前から戦士団への試験にパスする当主が現れなくなったらしい。
うーん、レジーナの家となんか被るな……
エンリケさんの話を聞きながら、僕の身の上も話した。
女神の子供として生まれたこと。
女神の子供として育てられたこと。
女神の子供として一生を終えるはずだったこと。
それに抗って庭から飛び出したこと。
そしてここトリネロに辿り着き、労務者として働いていたこと。
……そしてエリスと出会い……
迷宮の踏破を決めたこと。
他の七都市のの塔・迷宮・城を踏破するつもりなことも。
僕なりに誠意を持って話した。
僕のスキルである「女神の加護(極)」みたいな、話しても理解しにくいであろう部分についてはそれとなくボカして話してあるけど。
……そうしたら、エンリケさんは泣いてしまった。
あれー……なんだろうこの状況……
「あの、本当にもし人がここに来たらあらぬ誤解をされてしまうかもしれないので、エンリケさん、本当にそろそろ泣くのはやめて下さいませんか?」
「えぐっ、あぐぅ、ううう……だって、だって……だって……」
「エンリケさんが泣いている理由がイマイチ分からないのですが……」
「だ、だって……だって……夏希さんのお話を聞いて……何の感情も抱かない人など……いるわけがないですよ……えっぐ、えぐっ……」
「はぁ……そういうものですか」
「自らに課せられた運命を……自らの力で切り開き……そして……えぐっ……更に重い……世界の命運をも変えるような重い運命を……また1人で背負おうとしている……」
「えぇ、まぁ……」
「それでいて、夏希さんの目標は……『人として生きたい』……ですって……? 健気過ぎて……私は……もう……えっぐっ、えぐっ、うぐぅぅ……」
「あの、そんな大したものじゃないですよ。たまたま女神の子供として生まれてきただけですし」
「普通じゃないですよぅ……えっ、えっ、えぐぐぅう……」
うーん、ダメだなこれは。
しばらくこのまま、感情の高ぶりを泣くことによって発散してもらおう。
人が来なければいいけど。
こんなところを見られたら絶対に誤解されてしまう。
……それにしても、エンリケさんは綺麗な人だ。
よく手入れされた綺麗な黒髪、白い肌、そして……大きな瞳。
エンリケさんが泣くと瞳から涙が零れ落ちて、それはまるで大きな宝石から小さな宝石が生まれているような、そういう印象になる。
レジーナも美人だけど、それとはタイプが違う美人だ。
ミューズ、ハーモニー、フォルテと一緒に暮らしてきた僕はどうやら美人慣れというものをしているらしく、トリネロに来てから女の人と話しても相手が美人だから可愛いからという理由でドキドキすることはあまり無いのだけど……
それでも、女神達のようにあまりに完成された美しさよりも、レジーナやこのエンリケさんのように人間味がある可愛らしさというか、そういう感じにとても惹かれる。
変な言い方になるけど、『今ここで生きている』、という感じがするのだ。
非の打ち所がないミューズ達女神の美しさ、だけど人間は時にはそれ以上の魅力になる時もあるんだと思う。
うん、簡単に言うとエンリケさんは可愛い。
泣いてるエンリケさん可愛い。
……変な趣味があるわけじゃないよ。
「少し落ち着きましたか?」
「はい……お見苦しいところをお見せしまして、申し訳ありませんでした……」
「良かった。ずっと泣いていたらどうしようかと思いましたよ」
「すみません。感情のコントロールが未熟なもので……」
「いえいえ、泣きたい時には泣いてしまった方が後々いいものですよ」
「そう言って頂けると助かります……それに、感情のコントロールだけではなく、私は洞察力というものも未熟だと思い知りました」
「……と言いますと?」
「はい。私は夏希さんが女神様のコネでこの学院に途中入学したこと、それに迷宮から這い出たモンスターを討伐したという事実に拘泥して……その背後にどういう事情があるのかということに思考を巡らすことを放棄してしまいました。少し考えれば分かったことです。私には思いもよらない事情があるはずだということ、そしてそれは決して軽いものではないはずだということ……まずは、そういった事情を知ることが第一にすべき行動だったはず。なのに私はまず夏希さんを糾弾するという行動に出てしまった。感情のコントロールも洞察力も……全て私が未熟な故です」
「うーん、そこまで洞察するってのは無理だったような気がしますけど」
「いいえ、鋭い洞察力というものは戦士になろうとしている人間には必要不可欠なもの。例え石ころ一つに何かしらの違和感を感じても、そこから危機を察して行動することが求められるのです。なのに私は思考の材料となるものがあれほどあったにも関わらず、夏希さんを糾弾するという判断をしてしまった。戦士候補失格です」
「そういうものですか……確かに、戦闘中には鋭い洞察力が必要になるというもは分かりますが、それと今回のこととは別問題だと思うのですが……」
「一事が万事、です。日常生活でできないことが、戦闘中にできるはずがありません。それに私は大勢の生徒が見ている前で夏希さんを罵倒してしまった。事情も知らないのに。最低です」
「それについては気にしないで下さい。ズルして学院に入学したというのは事実なんですから。僕にどういう事情があるにせよ、ズルしたんです。それは変わりません。女神のコネという物凄いズルをしたんですから。罵倒くらいされて当たり前ですよ。エンリケさんが気にする必要はありません」
「いえ、そういうわけには」
「いいんです。正直なところを言ってしまうと、罵倒や糾弾をされた方が僕の気持ちは楽になります。エンリケさんには感謝しているくらいです。ああして大勢の生徒がいる前で僕を罵倒してくれたことによって、生徒の僕に対する攻撃性は少し薄らいだと思うんです。……ズルいですよね。本当にズルいと思いますが、それが僕の正直な心持ちなんです」
「そう……ですか……」
「はい。エンリケさんは全く気にしないで下さい。それにこれからは学院の生徒同士じゃないですか。色々とお世話になることもあるかと思いますし」
「お世話、ですか……? 迷宮のモンスターを倒した夏希さんに、私ができるお世話ってあるんでしょうかね……」
「僕は、今のままの力では到底迷宮を踏破できないからこの学院に入ったんです。どんなことでもいいです、吸収できるところは吸収しないといけないんです。もちろんエンリケさんから教えて頂けることも含めて、です」
「そういうことでしたら、私からもお願いしたいですわ。切磋琢磨できる相手というのは何よりも貴重なもの。迷宮のモンスターを倒す程の方でしたら、望むべくもない。私の方からもお願い致します」
「はい。お願いします。と言っても僕にできることはほとんどありませんけどね。魔法なんて子供並みですよ」
「それをこれから学ぶのでしょう」
「はい、その通りですね」
……切磋琢磨できる相手か。
それは本当に貴重だ。
女神であるミューズとは違う、人間同士の。
今日はレジーナともエンリケさんとも出会えた。
友達……なのかな。
いいんだよね、友達だよね、もう。
学院の生徒として、これからお互いを高めていける。
これは、とてもワクワクすることだ。
迷宮踏破は、実際には辛いことだろう。
痛いことだろう。
心が折れることもあるだろう。
だけど、その準備をする段階でワクワクするのは別に構わないじゃないか。
いいよね。
「それじゃあエンリケさん、また明日学院で」
「ええ、また明日」
中庭でエンリケさんと別れ、帰路につく。
明日、レジーナにも色々と僕の事情を話そう。
エンリケさんに話したことは全部話そう。
もしかしたら、引いてしまうかもしれないけど……それでも話そう。
レジーナとエンリケさん。
とてもとても長い……長い付き合いになるのかもしれない。
そんな気がするよ。
ほんの短い時間しか一緒にいないけれど、そんな気がする。
「男の友達も欲しいけどね」
……いや何を言っているんだ僕は。
せっかくレジーナとエンリケさんが友達になってくれそうなのに。
悪い癖だな。すぐ調子に乗る。
ミューズと叢雲が待つ、僕達のアパートに到着する。
「夏希。お帰りなさい」
ミューズがギュっと僕を抱きしめてくる。
「あの女に酷いこと言われなかった? 変なこと言われなかった? 傷つかなかった? 明日はママも一緒にあの女と話してあげる。もう夏希のことを虐めないようにしてあげるよ」
「大丈夫だよミューズ。本当に大丈夫。エンリケさんは僕の事情を話したら、色々と理解してくれたよ。虐められるなんてことはないから大丈夫。明日から学院で色々と頑張っていけるよ」
「……本当? ママに心配かけないように嘘言ってない? そんなの明日になればすぐ分かっちゃうんだから、嘘言っちゃダメだよ?」
学院に入って過保護っぷりがブーストかからないといいなぁ。
ミューズも一緒に学院に通うんだから。
「明日学院に行けば分かるよ。さ、それよりもご飯にしようよ」
どうやら食事の支度の下ごしらえはミューズと叢雲がしてくれてあるらしい。
僕はそれらをチャチャっと調理することにしよう。
3人で囲む食卓。
家具は慌てて買い揃えたものが多く、食事をする机も小さい。
小さい机を3人で囲んで、ワイワイと話しながら食事をする。
ハーモニーとフォルテが来たら、もう少し大きい机にしないといけないな。
学院で友達もできた。
アパートに帰ってきてもミューズと叢雲と一緒。
……こんな僕が、迷宮踏破をする。しなければならない。




