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竜種

「主様、いいのか?」


「うん、これでいい」


 理屈で考えたら、ここは逃げの一手。

 竜種などというとんでもない存在が相手なのだ。

 どんなモンスターが相手か分からなかった先程までとは前提条件が違う。

 女神に助力を乞うのが正解だ。

 ただし、それは発生する損害を許容できたら、の話。

 竜種による圧倒的な損害を許容できたら、の話。

 恐怖に支配された瞬間の逃げの思考を、理屈で考え直してゆく。


 エリスが今この時になっても現れないのは、恐らくは神殿を放棄してこの場には来れないということ。

 万が一神殿が破壊されてしまっては、トリネロの精神的支柱が失われることになる。

 女神としての責任を考えたら未知の強力なモンスターが現れた以上、神殿を守るためにその場に留まるのは自然なことだ。

 ならば僕がエリスに頼るということは、この場で出来ることを放棄して神殿に向かう必要があるということだ。


 ミューズの助力を頼るのは更に危うい。

 半日で帰るとは言っていたがその保証などは全くない。

 僕の身の安全だけを考えたらミューズの到着をどこかで身を潜めながら待って、それからワイバーンに挑むのということになるのだが……

 ダメだね。


 ワイバーンはこの場での戦闘が終了したら労務場を抜けて、居住区・商業区を蹂躙しながら神殿かトリネロ公の屋敷に向かうだろう。

 まず犠牲になるのは労務者。

 その中にはもちろん現場長も含まれるし、一緒に労務に励んだ仲間も含まれる。


 女神の助力をアテにして時間稼ぎをするということは、それらの犠牲を覚悟するということ。

 

 勝率を考慮し命を最優先ならば、恐らくはここは逃げるのが正解なのだろう。

 ここで僕が戦闘をしても竜種であるワイバーンを討伐できる可能性は低い。

 しかし、それは神の視点から盤上を眺めるが如き思考だ。

 

 この場での戦闘を回避し、後からワイバーンを女神4人の力で倒して『よし! 犠牲は出たがワイバーンを倒した! ここから心機一転ガンバロー! 切り替えていこー!』というポジティブさは、僕には到底ない。

 さっき叢雲が言っていた、『逃げ癖がつくことによるデメリット』が、言葉通りになるだろう。

 今度は僕自身の意志で庭に引きこもって、一生をそこで過ごすことになる。


「叢雲、いつもの通りまず確認するよ。ワイバーンに叢雲で斬りつけることができたら勝てる?」


「無論じゃ。竜種の鱗は通常の武器ではまず刃が通らんがな。獲物が儂で良かったの、主様」


「本当にね。僕の魔法じゃ到底ワイバーンには通じないだろうから、叢雲だけが頼りだよ」


「どのみち竜種には魔法なんぞ通用せん。竜種の討伐は大規模パーティで行うのが基本じゃが、魔法はあくまで物理攻撃者への補助じゃ。神装や禁装といったレベルの武器を使える者が攻撃を行うことになる。あいつらへの対処は、物理でぶっ叩くしかないんじゃ。直接攻撃系の魔法なんぞ目眩ましに使う程度じゃ。極限での話じゃがな」


「じゃあ、叢雲がいる以上はワイバーンを倒す材料はあるわけだ」


「可能性はかなり低いと言わざるを得んぞ、主様。今言った通り、竜種の討伐というのは1人で行うようなものではないんじゃ。国や都市が金も使いコネも使い戦士を集め、数ヶ月……下手をすると1年単位の計画を立てて討伐するんじゃ。戦闘自体も1週間に及ぶこともある。災害への対処と同じなんじゃよ。治水事業みたいなもんだと想像してみれて良いじゃろうな」


「治水事業! 国家プロジェクトじゃん!」


「そうじゃよ。そういうものなんじゃ。まあそれはダンジョンから出た竜種の話ではなく、高山などに住む竜種が人間の住むエリアに降りてきたとかそういう時の話じゃ。儂もダンジョンから竜種が這い出たという話は聞いたことがない。どれ程のイレギュラーか分かるじゃろ。ダンジョンの竜種は、地上に這い出てくるどころか中層にも存在せんからの」


「一体なぜ……って考えている暇はなさそうだよね」


「うむ。考えるのは後からいくらでも出来る。今は目の前への対処を」


 僕と叢雲が話している所に、さっき僕に逃げるように指示した戦士団の少女が話しかけてくる。


「あなた何をしているのですか! 早く逃げなさい! 私が何としてでもその時間は作ります! 次にブレスが来たらおしまいですよ!」


 ……どうやら、もう死ぬことは覚悟しているようだ。

 一般人である僕を何とか逃がそうと、それだけを優先するつもりなのだろう。


「気持ちはありがたいのですが、僕は戦うためにここに来ました。先程の言葉通りです。助太刀します」


「あなた……あなた、戦士団でも探索者でもないですね? 竜種を見るのは初めてですか? あれは小型とはいえ正真正銘のドラゴンです。戦うとか、そういう対象ではないのです。もはやトリネロ公がどう他の都市と連携して対処するのか、という話なのです。この場でできることは、犠牲者を1人でも少なくするために努力することです。だから早く逃げなさい。見たところまだ子供ではないですか」


「あなたもそれ程大人には見えませんが……僕と同じくらいですよね?」


「私はもう17歳。新米とはいえ迷宮守護の戦士として正式に任命されています。あ、私が時間稼ぎをするのに不安があるのですか? 大丈夫です。年齢的にまだ学院へ籍を置いていますが、特例で戦士団入団の試験を受けられる程度の実力はありますから。ワイバーン相手でも1分程度は稼いでみせます。さあ、すぐに走りなさい」


 うーん、やっぱり完全に死ぬつもりだこの人。

 それに17歳って、僕とそれ程変わらないじゃないか。

 そんな若さで赤の他人を逃がすために自分が犠牲になる覚悟とは……戦士団とは、みんなこのような人なのだろうか?


 と、そこにワイバーンの咆哮が響き渡る。

 心臓を直接鷲掴みにされるような圧倒的な音量。

 いや、音量だけではない。

 生物としての危機感が脳に訴えかけてくる。

 『すぐに逃げろ!』と。


「主様! とりあえずの時間が必要じゃ! そこの小娘と一緒に一旦下がるぞ!」


「分かった叢雲! 失礼します!」


 僕は戦士団の少女の手を握って強引に戦線を下げる。

 彼女は、僕が逃げる姿勢を見せることに異論はないのか素直に手を引かれこちらへ来た。

 ワイバーンは強引に追ってくることはしないようだ。

 いつでもどうにでもなるという、絶対的強者の自信だろうか?

 いや、自信とかそういうものではないのだろう。

 道端を歩いている蟻を相手に人間は本気で追撃をしない、竜種にとって僕達はその程度の存在なのだろう。

 彼女に話しかける。


「失礼ですが、あなたの持つ武器はワイバーンに通用するのですか? 確かに時間稼ぎはできるかもしれませんが、その後に確実にあなたは殺されてしまいますよ」


「ドラゴンに遭遇したのです。ドラゴンとの遭遇は絶対的な死を意味します。そんなことはこの世界では常識でしょう。戦士団に属する者であればそういった時の覚悟もできています。ただ、何もせずにブレスで焼き殺されるのは我慢できません。私にとって、あなたのような子供を逃がすことが戦士としての最後の矜持になるのですよ。それに私の持つ武器が通用するのか、ですって? 通用するわけがないでしょう。竜種に対抗できる武器を所有している者など国中を駆けずり回って探さないといませんよ」


「簡潔に言います。僕はワイバーンに対抗できる武器を持っている。ただ、僕自身が経験不足なのと実力不足なのと、他にも色々と不足していてとてもじゃないが1人ではワイバーンに対抗できません。あなたの力をお借りしたい……いえ、違いますね。あなたの力にならせて下さい」


「ワイバーンに対抗できる武器をあなたが……?」


 そう言い、戦士団の少女は僕が持つ叢雲に目を向ける。

 既に鞘から抜いてあるので刀身を直接視認できる。


「その刀……? 確かに相当な業物だと思います……けど……ワイバーンに通用するのでしょうか……?」


「小娘。儂で対抗できぬのなら、世界中の武器を全て集めても無駄じゃ。主様が共闘を申し出ておるのじゃ、さっさと腹を決めんか」


「……分かりました。喋ることができる刀剣、それだけであなたがどれ程のものか十分に理解できました。私も敗北を覚悟しながらの時間稼ぎよりも、死ぬ時は前のめりに倒れたい。共闘の件、私からお願い致します」


「宜しくお願いします。さて、それで作戦なのですが……」


「作戦があるのですか?」


「いえ、言葉を間違えました。僕ができることを話しますので、あなたに作戦を立ててもらいたい。僕ではそういったことができませんので」


 戦士団の少女の目つきが変わる。

 敗北を覚悟していた時の先程までとはまるで違う、戦う戦士の目だ。


「聞かせて下さい」


「はい。僕の持つ剣は、当てることさえ出来れば竜種だろうが絶対に斬れます。それは保証します。そして、僕はそれが可能な技を習得しています」


「あなたが……?」


「はい。信じて貰う他ないのですが……ただ、僕は圧倒的に実力と経験不足です。極端な話を言えば、『目の前にワイバーンが無抵抗で転がっていて、そこになら致命の一撃を加えられる』といったレベルの話なのです。……現実の戦闘では起こり得ないことです」


「……確かに現実であり得ない状況ですね。ですが、普通ならそんな状況ですら竜種を倒すことはできません……なるほど、つまり私はあなたがそうした状況になれるように作戦を立て、そして実際にそこへ導けばいい、そういう話なのですね」


「そうです。それと、こんな時ですが自己紹介を。『あなた』、とかでは分かりにくいですからね。僕の名前は夏希です。こちらの刀は叢雲です」


「私はジュリエッタ。学院と戦士団の両方に籍を置いています。夏希さん、宜しくお願いしますね。それと……叢雲ですか。お伽話に出てくる刀と同じ銘なのですね。あやかって付けられたのでしょうか? いずれにせよ……夏希さん、叢雲さん、私の命をお預けします。代わりにあなた達の命も私に預からせて下さい」


「はい、お願いします」


 僕が迷宮攻略を心に決めてから初めての戦闘だ。

 それがまさかのドラゴン相手とは……

 先が思いやられるね。

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