労務場最後の日
「今日で夏希の労務も終わりか。あっという間だったな」
「はい。現場長には大変お世話になりました。今日まで頑張れたのは現場長のお陰です」
「いやいや、お前みたいなヒョロっとしたのはここの仕事にゃ耐えられんだろうなって最初は思ってたんだぜ。それがちゃんとここまでやれたんだからよ、お前の頑張りってもんよ」
「はい、そう言って貰えると自信になります」
労務場での最後の日。
今日の労務を終えれば、ここ都市トリネロでの滞在許可証が貰えるのだ。
エリスは滞在許可証どころか市民権でもすぐに発行できると言っていたが、労務場での仕事だけは自力で何とか最後まで成し遂げたかった。
ただの自己満足かもしれないけどね。
僕と叢雲は、エリスに出会い戦いそして迷宮攻略の覚悟を決める前は、こうして労務をして一生を生きていくことも選択肢に入れていたわけだし、状況が変わったからと言ってすぐに投げ出して次のことを始めるというのは……できなかった。
それに、こうした肉体労働というのは僕は好きなのだ。
やればやっただけの結果がすぐに出るし、労務をした後の食事というのは格別だ。
夜になれば疲労で心地よい眠りにつける。
労務自体を嫌々やっていたわけではないのだ。
「なあ夏希。滞在許可証は確かに今日の労務を終えれば発行されるわけだが、別に労務自体は続けてもいいんだぜ? 給料は出るし、希望すれば宿泊所も今の所をそのまま使っていられる。居住区に部屋を借りることもできるが、かなりの出費にはなるぜ?」
「ありがとうございます現場長。そう言って頂けるのは本当にありがたいです。ですが、どうしてもやらなければならないことが出来てしまいまして……ここで労務を続けたい気持ちは大きいのですが……」
「うーん、そうか……やっとここでの仕事にも慣れてきたのにな。もったいない気がするぜ。お前みたいに細かい気遣いのできる労務者ってのは結構貴重でな。仕事も時間はかかるが手は抜かないし……うーん、もったいねえなぁ」
「仕事が遅いだけですよ。少しずつ慣れてきているつもりではいたのですが……中途半端な時期にやめることになって申し訳ありません」
「いや、夏希がそこまでした決心だから強く引き止めるつもりはないんだが……ま、しょうがねえよなぁ、決めちまったことは」
現場長には本当にお世話になった。
トリネロのことのみならず、人間世界のこと全般について世間知らずだった僕に仕事のイロハを叩き込んでくれた。
いや、仕事だけではない。
挨拶の仕方、集団での食事や行動の仕方、仕事の段取りの基本、先輩に対する態度、それにミューズには言えないけどお酒の飲み方も……その他色々数え上げればキリがない。
それらは本当に僕の血肉になってくれた。
きっと、僕にそういうことを教えるのはミューズでも叢雲でも無理だったと思う。
男の大先輩である現場長だからこそ、だったのだ。
庭の中にいたのでは一生僕が接することができなかった世界だ。
その現場長が僕が労務を離れるのをこれだけ惜しんでくれる。
胸が熱くなってしまうよ。
きっと、こうした経験をしたくて僕は庭から出てきたのだと思う。
迷宮の件がなかったら、僕は喜んで一生ずっとここでの生活を希望していただろう。
正直、名残惜しい。
……などと考えているところにミューズが来た。
「夏希、ちょっと寂しいけどしょうがないよ。決めちゃったことがあるんだから。それにさ、夏希は迷宮にこれからも来るつもりなんだよね? だったらこの労務場にだって来ることになるんだって。今までは労務場で仕事をする立場だったけど、これからは労務場に違う立場でお世話になることになるかもしれない。現場長ともみんなともこれでお別れってわけじゃないんだし、そんなにしんみりする必要はないよ」
「うん、そうだねミューズ。僕はこれからもここに来るわけだし」
「そうそう。食事だってここの食堂で食べたっていいわけだしね。ここのご飯は美味しいからね~。きっと食堂長の腕がいいんだろうね」
「そうなんだよ。ご飯が名残惜しい! これからもここに来ることはできるけど、今までのように3食ここでお世話になるってことはできないだろうしね」
「もしかしたら叢雲が食堂で調理の仕方を教わっているかもしれないから、後で聞いてみようか。そうしたら家で毎日あの味が食べられるよ!」
「それはいいアイディアだよミューズ! 早速後で聞いてみよう。部屋を借りる時は、調理場がある程度しっかりしている所を借りたいね」
僕とミューズが話していると、現場長が僕に訪ねてきた。
「あのよ夏希。ここを出るのはまぁいいとしても、部屋を借りるわけだよな? そうしたら当たり前だが家賃だって払わなきゃならんだろ。それに生活費も必要になる。労務場で生活している分には、給料は激安の代わりに衣食住はほぼタダだ。これからの生活にアテはあるのか?」
「そ、それは……」
「アルド、それは私が面倒を見るよ。当たり前じゃない母親なんだから」
「あ、なるほど。ミューズ様が……」
「夏希はまだ15歳。そりゃその年でも自分の面倒を自分で見ている人間はいるけどね。でも、やっぱりこの年頃の子の生活をちゃんとしてあげるのは親の役割だと思う」
そう。
これからの生活費その他については、結局ミューズに頼ることになった。
僕としては学院で学びながらも、どこかで仕事をして生活費を稼ぐつもりでいたのだが、ミューズにも叢雲にもエリスにも却下されてしまった。
手に職がない僕の稼げる額なんて知れたものだし、働くとなれば1日の中の相当の時間を割かなければならない。
その上、学院で学んで迷宮に潜るだけの実力を得るなど夢物語だと説教されてしまった。
自分では気づかないけど、どうも僕はこういう所がどうしょうもなく甘い、というか世間知らずみたいだ。
迷宮に潜ると決めた以上は、その目標に向かってしっかり進むのが覚悟を決めた者の責任……確かにそうだ。
どっち付かずの生活をして何も成し遂げられないなんていうのは、僕の望むものではない。
ミューズに頼るのは最初は気が引けたけど、素直にお願いすることにした。
ちなみに、僕はミューズが働いているのをここ労務場以外では見たことがない。
僕の生活の面倒を見るって、現実問題としてお金は大丈夫なのか聞いてみたがそこら辺は全く問題がないようだ。
少なくとも普通の人間が一生働いて得るお金の100人分くらいの蓄えはあるとのこと。
それでも足りなければ、それも追加でどうにでもなるとのことだ。
どうどうにでもなるのか聞いてみたくなったが……やめておいた。
ハーモニーとフォルテも同じくらいは持っているらしいし、エリスに至ってはミューズ達と比べても桁違いの経済力だそうだ。
ま、トリネロの守護女神なんて立場で神殿に住んでるくらいだからね……お金の苦労なんてものとは無縁なんだろう。
叢雲については、叢雲を一振りできる権利を売るだけで、金に糸目をつけない剣豪がいくらでもいるとのこと。
……僕としては叢雲にそんなことをさせるつもりはないのだけど、売るでもなし貸すでもなし、一振りさせるだけでそんなことになるのかと驚いた。
物好きってのはいるもんだね。
というわけで、お金の面の心配はいらない。
存分に学院で学べるということだ。
僕の目標は迷宮踏破というとてつもないものなので、普通の学院の生徒のカリキュラムとは別に、特別な修行をする必要があるとエリスに言われている。
具体的にはミューズやエリスに戦闘の訓練をしてもらったり、場合によっては探索者に混じって実際に迷宮に潜ってみるのもいいかもしれない、とのこと。
迷宮のごく浅い階層ならベテランの探索者に混じっていけば危険は少ないし、僕自身も燕返しを使えるから、危なくなったら迷宮から逃げ帰るくらいはできる……らしい。
先日はミューズに迷宮の危険性について散々脅された(?)わけだが、実際には紫電を使って倒せないモンスターは少なくとも浅い階層には出現しないので安心していいとのことだ。
「じゃ夏希。私は昨日話した通り、庭に一旦戻るから。多分半日もかからないとは思うけどね」
「うん分かったよミューズ。もしハーモニー達に会えたらよろしく伝えて」
ミューズは今から庭に帰る。
なんせ僕を発見したことをハーモニーとフォルテに伝えていないのだ。
だから一旦庭に帰って、ハーモニー達がいれば直接伝えて、いなくても置き手紙を残してきて分かるようにしておくとのこと。
「ま、庭にいれば多分一緒にトリネロに来ることになると思うよ。いなくても、置き手紙を読んだらすぐに来るだろうしね。そう遠くないうちにハーモニー達とも合流できるね」
「なんかすんごく長い間会ってない気がするなぁ。……それと、あの……ハーモニーとフォルテって……怒ってない……よね? 僕が庭から逃げたこと。特にハーモニーなんだけど」
「あー、大丈夫じゃないかな。私とハーモニーとフォルテで夏希のことについて話し合った時は、もう怒ってるとかそういう感じじゃなくてどう夏希のことをこれから大切にしていこうかとかそういう感じだったし。まーもしかしたらハーモニーが『躾は必要よ』とか言って何かするかもしれないけど、そんな酷いことはしないよ……きっと」
「え? 躾? きっと? 何それ怖いんだけど」
「ハーモニーは真面目だからねー」
「真面目なんだよねハーモニーは」
「たまに融通が効かないよね」
「あるよねそういうとこ」
「一見固そうに見えるフォルテの方が実は柔軟だったりするんだよね」
「良くも悪くも現実主義みたいなとこがあるよねフォルテは」
「というわけで、もしハーモニーが何かしても、しょうがないからちょっと付き合ってあげてよ。どうせすぐに『夏希ー会いたかったわよー(号泣)』とかなるし」
「しょうがないね。逃げてきたのは事実なわけだし」
「きっとハーモニーも必死で夏希のとこ探しただろうからねー。私が夏希のとこ最初に見つけられたのは運が良かったからかな。……うーん……いいえ、違うか。やっぱり親子の縁ってもんだね。私の愛が夏希を引き寄せたんだよねきっと」
「いや運でしょ」
「愛だよ!」
「うーんまぁ愛でもいいけど……でもさ、考えてみるとこれでハーモニーとフォルテがトリネロに来ることになったら、また叢雲含めた5人で暮らすことになるんだよね。庭と変わらないよねそれって。場所は変わったけど」
「そういうことになるね。でも家族が一緒に暮らすのは当たり前のことだし、それに以前とは私たちも色々と変わったからね……夏希に対する考えが。庭と同じ生活にはならないよ。実際に夏希は学院にも通うことになったわけだしね」
「ミューズも一緒にね。ハーモニー達はどうするかなぁ。一緒に学院に行くとかいう話になるのかなやっぱり」
「そりゃなるでしょ。私だけ夏希と一緒に学生生活するとか言ったらハーモニーは絶対怒るよ」
「だよね。じゃあ家でも学院でも5人一緒なわけだ……うーん、それって……」
「変な女なんて寄ってこないよ? というか寄らせないよ?」
「…………」
「寄らせないよ?」
「あー、うん……絶対に寄ってこないと思う……」
「学院での生活で、素敵な女の子の出会いとか期待してた?」
「そりゃね! 僕だって男の子だからね! 新しい生活に新しい学院生活、とくればそういうのだって少しは期待しちゃうよね実際!」
「ないからね」
「ないよね」
「女神3人と刀が1人、いつもいるからね」
「人間率が0だよね、僕の周り」
「アルドがいるじゃない」
「現場長は尊敬してるけど……いや、そうじゃなくて……」
「あのさー夏希は恋愛に憧れてるみたいなとこがあるけどさ、恋愛なんて、好きになりました惚れましたあの人のこういう所が好きです素敵です一緒にいたいですーとか、そういう感じなんだよ?」
「いい話じゃない。あなたのことが好きになりました、って。憧れるよ。ときめきの生活だよ」
「惚れた腫れたなんてのはさ、そんなの脆すぎるって」
「え? 脆い?」
「好きになりましたってのはさ、好きになる所があるから好きになるわけだよね」
「そりゃそうだよ」
「じゃ、好きなったのと違う部分が見えちゃったらどうなるの?」
「え?」
「私が思ってたのと違う部分が見えてしまいました、もう好きではいられません、ってなるよね。そうななくても、好きになった人と別にそれ以上に好きになる人が現れるかもしれない。人間なんて星の数だからね、出会いのチャンスさえあればそういう人とだって出会えるよ」
「…………」
「思ってた人と違いました、理想が変わりました、むしろあなたが変わってしまいました、その他色々……そんなのいくらでもあるよ」
「うん……ま、そりゃね……あるかもしれないけど……」
「その点、私達4人ならそういうの全く無縁。心配なし。心配することすら馬鹿らしい、そういう愛情なんだよね」
「うー、あー、うん……」
「夏希が変わろうがどうなろうが、他に素敵な男がいようがいまいが、そういうの一切関係なし。夏希が死ぬその時まで続く間違いのない気持ち。そんな愛情を何の苦労もなく得られる、というか得ているんだよ? 恋愛なんて馬鹿らしいと思わない? だって恋愛の最終型以上だよ? 惚れた? 好きになった? 何それ愛なの? って感じだよ」
「うーん、そう言われてみればそんな気も……」
「でしょでしょ。だから夏希は学院で他の女と出会う必要なんてないし、そもそも出会わせないし」
「でもさ、ミューズって僕の母親じゃん」
「だから?」
「えっ」
「え?」
「いやだって母親じゃん!」
「うん。だから?」
「え? いや……えっ?」
「愛じゃん」
「愛はあるけど!」
「ならいいじゃん」
「何が正しいのか分からなくなってきたよ!」
「じゃあハーモニーとフォルテは? どっちも母親じゃないし、もし夏希がその気なら明日にでも結婚できるよ?」
「え、そうなの?」
「そりゃそうだよ。最初からそのつもりだったし」
「最初からそのつもり? えっ? あ……なんかそんな話をエリスから聞いた気も……というか何で今そんな衝撃告白を?」
「そりゃ、夏希が学院で変なのに会う前に話をしといた方がいいと思ったから」
「会ってもいない人を変なの扱いしないでよ! すっごいいい人かもしれないじゃん! 会ってもいないけど!」
「会ってからじゃ遅いでしょ! 夏希くらいの年頃だとね、初めて恋愛モドキをすると『ああ、これこそが真の愛なんだ! 家族なんてどうでもいい! 僕にはこの人しかいない! むしろこの人だけいればいい! ミューズ邪魔!』ってなっちゃうんだよ! そんなことになってから遅いの! 今から五寸釘を刺しまくっておかなきゃダメなんだよ!」
「五寸釘は太すぎるから! いくら何でも僕だってそんなことは言わないよ! 家族の大切さは分かっているよ!」
「いーえそんなことないんだよ。とち狂うっちゃうんだよ。夏希15歳でしょ? 間違いなくそうなるね。うん、なる。『ミューズのことなんてもう知らない! 僕達の恋愛を止めるババアだ!』ってなるんだね!」
「ならないって言ってるじゃん! 何それ僕ただの馬鹿じゃん!」
「なるんだって! なっちゃうの! そういうお年頃なの! そんでスーツケースに全て詰め込んでどっか行っちゃうの!」
「スーツケースとか持ってないから!」
「そんで半年くらいしてボロボロになって捨てられるんだよ! 『やっぱりあなたは私の理想と違っていたわ……』とかその雌豚に言われて!」
「とうとう雌豚扱いになっちゃったよ! 出会ってもいないのに! もうミューズが何を言いたいか分からないよ!」
「だからさっきから言っているでしょう! そういう半年で終わっちゃうような発情恋愛じゃない本当の愛情をあなたは既にたっぷりと得ているの! それを分かって欲しいの! だから出会いとか必要ないの!」
「なに発情恋愛って! 初めて聞いたよそんな言葉! やめてよ夢が音を立てて崩れていくよ!」
「じゃあもう叢雲でもいいわよ!」
「え?……ああ……うん、叢雲なら……うん……いいよ……」
「…………突然態度が変わったね」
「そんなことないよ! ただ……叢雲は……」
「はい、この話はお終い! 本当に夏希には困ったもんだよ」
「一方的過ぎる!」
「じゃあ私は庭に行ってくるから! 私が話したこと、ちゃんと考えておいてね!」
「一体何を考えればいいのか僕には分からないよ……」
そう言い残すとミューズは門まで歩いていくこともせずにその場から飛んで行ってしまった。
羽根あるんだ女神って。
ミューズの姿が見えなくなるまでその場で見送って、叢雲のいる食堂に向かおうとした時……
地下迷宮の入り口のある方角から、轟音と悲鳴が響き渡った。




