燕返し
「覚悟が決まったなら来なさい」
エリスが言う。
言葉は不要。
覚悟があるなら行動で。
エリスも子供達の母だったことがあると叢雲は言う。
なら、僕とも話せることがあるのでは?
話し合いで解決できることがあるのでは?
だが話し合いで出来るのは言葉の応酬だけだ。
エリスに言葉は……少なくとも今の僕の言葉では届かないだろう。
示そう。
僕の思いを行動で示した上で、言葉を交わそう。
それは僕の望むものだ。
刀形状になった叢雲が言う。
「主様、女神の加護(極)の使い方は把握しておるか?」
「やってみなければ分からないよ。さっきは僕もほとんど無意識だったしね。だけど叢雲の話を聞いていて分かったよ。
これは剣技のような分かりやすい術技じゃない。僕と過去の子供達との繋がりみたいなものだって。それを理解できれば……なんとかなると思う。使えると思う」
「そうか」
「いくよ叢雲」
「存分にやれい」
女神の加護(極)の発動。
それは、過去の子供達の記憶の断片の収集の作業。
記憶との接続。
世界を守るためという大義のために、自身の人生を使い潰した男達の記憶。
そこには剣技のような分かりやすい記憶もあれば、母である女神との優しい日常の記憶もある。
全ての記憶へのアクセスは不可能。
そんなことをすれば僕の方が潰れてしまうだろう。
全体の記憶の中の、数万分の一、いや数億分の一程度のものなのだろうか。
それらがゆっくりと僕の中へ流れ込んでくる。
「主様、今は必要な記憶を」
「そうだね叢雲。まずは、目の前の問題への対処に記憶を使わせてもらおう」
過去に叢雲を振るっていた子供達の記憶へ接続する。
叢雲の握り方、振り方、持った時の身体の運び方、足の位置、手入れの仕方まで……そういったものが僕に流れ込む。
「とても剣術の記憶の全ての取得は無理かな。でも……今はこれでいくしかない」
「十分じゃ」
「いくよ、エリス」
踏み込む。
タイミングが全ての踏み込み。
さっきまでは、何となく「呼吸を合わせないで踏み込んだ方が上手くいく」程度の認識しかなかった踏み込みだが……
エリスの呼吸を感じる。
自分の呼吸を意識する。
なるほど、相手の呼吸と自分の呼吸、双方を完全に意識下に置くことができれば、「見えていても見えていない」状態にすることができるのか。
目では捉えられていながら、意識の外からの踏み込みが、呼吸の把握によって可能になる。
そう、意識の外からの踏み込み。
そこからの斬撃。
「なっ……!」
エリスが呻く。
エリスにしてみれば認識の外から刀が飛んできた状態だっただろうに、それでも薄皮一枚斬られるだけで済んだのはさすが女神といったところか。
それでも血が滴り落ちる。
「見事じゃ主様。今のは不完全ながら無拍子じゃ。体捌きも斬撃も未熟じゃからまだまだじゃが、自分と相手の呼吸を管理下に置くことで、意識の外から攻撃をすることができる技術じゃ」
「無拍子……」
「本来は主様程度の技量と経験では到底届くことが叶わぬものじゃよ」
「経験……そうだね。多分これは膨大な経験からのみ生み出せる技術だ。気の遠くなるような戦闘経験から得られるものだよ」
「主様の祖先に使っていた者がおったということじゃ」
エリスが焦りと怒りの表情と共に呟く。
「あなた……あなた……! 無拍子……それは、それはあの子の……!」
「主様、決めるぞ」
「分かった」
足を前に出す。
たったそれだけの行為だが、全てに意味があることが今は分かる。
骨を意識しろ。肉を意識しろ。
身体全体を一つの物として感じる。
斬撃に力は必要ない。
必要なだけの力を込め叢雲を振るう。
「ぐうっ……!」
エリスの腕が切れかける。
だが僕への視線は逸らさない。
怒りとも憎しみとも分からぬ表情で僕を睨む。
「その……その技を使うなーーーーー!!」
エリスが白い大きな弓を取り出す。
武器?
体術はもう使わないということか?
「あなたが悪いのよ! そんな物を使うから! 死ぬ一歩手前で苦しみなさい!!」
矢を装填することもなく、弦を引き弾く。
千切れかけた腕を気にすることもなく。
それだけで光の矢が弓から無数に放たれる。
「主様! あれは女神の浄化の技じゃ! 食らうな!」
「浄化も人間相手なら拷問に近い苦しみを与えられる! あなたが……あなたがあんな技を使うから……! 私に……私に人間相手にこんな物を使わせてーー!!!」
断続的に弓から光の矢が放たれる。
口ぶりからすると本来は人間相手に使うことなどない技なのだろう。
「主様! とても避けきれん! もうエリス本体を叩くしかないぞ! 横から回り込め!」
「分かった! いくよ叢雲!」
光の矢の嵐の中、エリスに向かって走る。
かすっただけで焼け焦げるような痛みだ。
足を止めて2,3発直撃を貰えばそれで僕の身体は動かなくなるだろう。
走れ。止まるな。
走りながら、叢雲に意識を集中させる。
僕が今できる最大のことを、エリスに叩き込む。
それが覚悟の証。
躊躇したら、何も示せない。何も進めない。
そして、先には何もなくなる。
イメージするのは、同時に放たれる二本の光。
回避不能の光の斬撃。
燕返し・紫電
神に愛された天賦の才を持つ者か、生涯をただそれだけのために費やした者だけが振るえる、剣技の極致。
過去の子供達はその剣技を、ただ運命に抗うために振るった。
運命に届かなかった者が、子らに望みを託し、記憶を残した。
それを今、僕が使う。
それは、受け継ぐ覚悟を持った証。
青白い光が通り抜けた少し後、エリスの身体から血が吹き出す。
「……そう……紫電まで……」
「僕の力ではありません」
「ええ、よく知っているわ……よく、ね……」
「もうここまでにしましょう。勝負は終わりです」
「終わり、終わり……ね……ねえ、あなたにとって、この勝負の終わりというのはどういう意味を持つのかしら」
「意味、ですか」
「意味よ。確かに私は負けた。女神故に死ぬことはないけど、勝負は私の負けよ。認めるわ。だけど、あなたがこの戦いに勝って得るものは何? 自由な生活? 楽しい気ままな生活? あなたは確かそんなことを言っていたわよね」
「ええ、そうです。僕は人間らしく生きるため、ミューズの作った庭から逃げ出してきました。その気持は今でも変わっていません」
「それが世界を終わらすものでも……気持ちは変わらないのよね」
「ええ、変わりません」
「そう……負けた私には何も言う資格はないのかもしれないけど……世界というのは、あなたが思っているより広いものよ。大きなものよ。あなたのように未来に希望を持つ若者もいる。未来が全ての可能性に溢れた赤ん坊もいる、それを慈しむ母親もいる。病気に苦しみながらも希望を捨てない者もいる。ただひたすらに働き続ける者もいれば、人生での役割を全うして穏やかに生きる老人もいる……世界といえば抽象的に聞こえるかもしれないけど、それら含めて全てが世界よ。もちろん人間以外だってそう。どんな動物も植物も懸命に生きている。全部、世界の中での出来事よ。あなたが封印の役割を放棄すれば、それらは全て蹂躙されるわ」
「……承知しています」
「それら世界を捨てて、あなたは自由に生きたいと、そう言うのね。やりたいことをやって、好きな女と恋愛をする……それが望みなのね」
「そうです」
「そう……」
「ただ、背負う物が増えた、それだけのことです」
「背負う……?」
「そうです、それだけのことです」
「意味が……」
「僕は、人間らしく生きたいから庭から出たんです。人間って、どう生きていますか? 僕はあまり他の人間のことを知らないけど……何かしらのことを背負って生きていると思うんです」
「……」
「家族だったり、仕事だったり、それは人それぞれだと思いますが……何も背負うものが無いって人はいないんじゃないかと思うんです」
「……続けて」
「僕は、人間として生きていく為に……世界を背負いますよ。もう決めたんです。叢雲も手伝ってくれるって、そう言ってくれました」
「世界を背負うって……あなた何を……」
「世界だけじゃありません。僕の子供達のことも、僕が背負いますよ。子供達ではなく、単に子供達です。もう、子らにこんな呪いは受け継ぐことはさせません。僕の代で終わらせます」
「……」
「3つの迷宮、3つの塔、そして1つの城……僕が全て壊します。中にいる存在も含めて」




