女神エリス
「あちらにおられるのが、トリネロ公、カルロ・エマヌール様だ。絶対に粗相はするなよ」
現場長が教えてくれる。
短く刈り込んだ金髪と、筋骨隆々という表現が似合う立派な体格。
鋭い目つきには、深い知性も宿している。
年齢は……25歳前後というところだろうか。
トリネロの支配者であり七貴族にして公爵、カルロ・エマヌール様。
現場の人間を総動員して荷物の整理と清掃をした後、現場長の指示で僕達は一列に並んで公爵様と女神様を出迎えていた。
現場長が言うには、公爵様と女神様は共にこのトリネロを守っているとのこと。
女神が為政者に手を貸すのはこの世界では珍しいことではないらしい。
「久しいなアルド。現場を上手く回してくれているようで感謝しているぞ」
カルロ様が現場長に話しかける。
「もったいないお言葉。カルロ様が現場に足をお運び下さることで、労務者達の意欲も益々上がることでしょう」
「ここはトリネロの中心。民の中には勘違いしている者もおるようだが、トリネロの要は私の屋敷ではなくここ迷宮付近なのだから、私が気にかけるのは当然のことだ」
「はっ。トリネロの要となる場所、我々労務者も微力ながら全力で守っていく所存にございます」
「うむ。迷宮から這い出るモンスターを討伐する戦士団、迷宮に潜り都市に恩恵を与える探索者、そしてそれらの者をサポートするお前たち労務者。3つの力が合わさってこそトリネロの発展はある。これからも尽力してくれ、アルドよ」
「この身に代えましても」
「頼んだぞ。前回私が来てから新しく入った者はいるか? 声をかけたい」
「1人おります。こちらは夏希。3週間程前から労務に従事しております」
現場長が1歩下がり、僕を前に出す格好になる。
「お初にお目にかかります。夏希と申します。この都市トリネロに拾って頂かなければどこぞで野垂れ死にしていたかも分からぬ身の上。公爵様に感謝しております」
……挨拶はこれでいいのだろうか。
公爵様なんて雲の上の人がいきなり現れて少々戸惑っている。
というか、カルロ様はこんな末端の人間にまで声をかけて下さるのか。
公爵様だぞ。七貴族だぞ。
貴族みんながこうだとはとても思えない。
カルロ様が特別なのだろう。
こんな言い方は失礼になるのだろうが、いい人そうだ。
「夏希か。珍しい名だな。アルドにも話した通り、ここ迷宮付近はトリネロの要となる場所。お前も誇りを持って労務に勤しんで欲しい」
「ありがとうございます。これからも頑張ります」
「うむ、では私は戦士団と話があるので行く。アルド、後は頼んだぞ」
「はっ」
カルロ様が労務が行われている場所から去っていく。
労務者からはほっとしたような雰囲気が流れ出る。
そりゃそうだよ。
いくらいい人そうでも公爵様だもんね。緊張するって。
現場長が僕に話しかける。
「新入り。素晴らしい方だろう、カルロ様は。この都市の頂点にいながら、こういう現場のことを気にかけて下さる。俺のこともアルドと名を呼んで下さる。俺は他の都市や街にもいたことがあるが、あれ以上の貴族様には会ったことがねえ」
「ええ。なんとなく持っていた貴族様の印象とはまるで違う方ですね。トリネロが発展するのも分かります」
「そういうことよ。カルロ様がいらっしゃればトリネロはこれからも安泰だ。新入りも頑張れよ! 労務を始めて1ヶ月経ったら夏希って呼んでやるからよ! ここのしきたりってやつだな! それまで逃げるなよ、ははは!!」
労務場に来て1ヶ月は誰でも「新入り」としか呼ばれないのがここの暗黙のルールなのだそうだ。
それまで我慢できれば晴れて名前を呼んで貰える。
あと少しだ。
「ようし、野郎共! 残りの仕事をさっさと終わらせるぞ! 魔石の分類がまだまだ残ってるからな!」
現場長が労務者達に声をかける。
「アルド。ちょっといいかしら」
そこへ声をかける存在があった。
「これはエリス様。カルロ様と一緒に戦士団のところへ行ったもんだとばかり思っておりました。何かありましたか?」
「この子……夏希と言ったかしら。ちょっと借りて行ってもいいかしら?」
「エリス様が新入りを? そりゃあ構いませんが、まだ何も仕事はできませんぜ。お手が必要なら誰かみつくろってきますが」
「いいえ、この子だけでいいわ。労務の手が足りなくなって困ると言うなら、夕方にまた来るけど」
「とんでもない。新入りでいいんならお連れになって下さい。おい、新入り! エリス様のご指名だ。しっかり働いて来いよ!」
……エリスと言うのか。
カルロ様と一緒に来た女神。
さっきまではカルロ様の後ろに控えていて一言も喋らなかったけど……
「ありがとうアルド。夏希、私と一緒に来なさい。少しお話をしましょう」
「……はい……」
エリスに連れられ、労務場から離れた場所へ移動する。
女神。
ミューズ、ハーモニー、フォルテとは違う女神。
「そこの食堂へ入りましょう。夏希、あなたは何か飲み物はいる? 私は紅茶を頂くわ」
「いえ、僕は何も」
「何か頼みなさい。少し長い話になるかもしれないから」
「……はい」
エリスは食堂に入り、注文をするために人を呼ぶ。
すぐに叢雲が注文を受けるための紙とペンを持って走ってきた。
「なんじゃ主様。もう労務は終わったのか? さっき出ていったばっかりではないか。それにこの女は誰じゃ?」
「ご挨拶ね叢雲。私のことを忘れたの?」
「………………エリスか」
「ご名答。お久しぶりね。200年くらい会ってないかしら? それとももっとかしら」
「忘れたわい。200年でも300年でもどうでもええわ。それよりなんじゃこれは。おいエリス、お主トリネロにおったのか。しかも主様を連れて何をしておる」
「主様……ね。そうだとは思っていたけど、じゃあやっぱりこの子はそうなのね」
「………………………………」
「やっぱりそうなのね。ねえ叢雲。あなた一体何をしているの?」
「何をとは、なんじゃ。儂は主様と一緒に旅をしているだけじゃ。まぁこの都市に主様と共に暮らすのも悪くないなと思っていたところではあるがの」
「もう一度言うわよ。ねえ叢雲。あなた一体何をしているの?」
「………………………………」
「確かこの子はミューズと一緒に暮らしているはずよね。ハーモニーとフォルテも一緒に。そしてそろそろ次の代を残すための相手を探すことになる年頃。まぁ相手はハーモニーかフォルテのどちらかから選べばいいとして、それにしてもここで叢雲と一緒に2人でいるというのは、おかしいわよね?ねえ」
「……なにがおかしいのじゃ。主様はもう15。自分の意志で自分の生き方を見つけるために旅をしているとして、なにがおかしいのじゃ」
「叢雲、あなた本気で言っているの? それともどこか壊れちゃった?」
「どこも壊れてなどおらん。本気も本気。主様は自分の意志でミューズ達から逃げてきた。儂と一緒にな。そして、自分の人生をどう生きようか今必死に探しておるところじゃ。ここで労務をしておるのもそのためじゃ」
「やっぱり壊れてしまったのね、叢雲」
そう言いエリスは立ち上がる。
青い長い髪を揺らしながら僕を見る。
「夏希、あなたはこの都市で……いいえ、私が保護するわ。そして私と子を作りなさい。それであなたの仕事は終わり。後はあなたの好きなようにどこで野垂れ死にしようが勝手にするといいわ」
得体のしれぬ、粘着質な絶望が僕の前に立っていた。




