十九.茶と酒(前編)
皇后・譚 雪婉は苛立っていた。
「――何なのよ、この食事は! 私を馬鹿にしているの!?」
給仕女官に箸を投げつけ、金切り声で喚き散らす。侍女たちは身を小さくして、彼女の怒りの嵐が過ぎ去るのを待っている。その様子が更に、雪婉の怒りを煽った。
何もかも、誤算続きだった。あれだけ証拠が揃っていれば、目障りな藩妃はすぐに極刑に処されると思っていた。生命の危機に瀕し、譚家と距離を置こうとする夫も考えを改め、伯父に協力的になると考えた。
けれど、現実はどうだ。側近の高氏が頑迷に主張するものだから、藩妃と姜郎中は囚われるに留まり、快復した智晶は朝議に参加している。おまけに、智晶が事態が終結するまで後宮の封鎖を命じたせいで、食事も日に日に貧相になっていく。
(何故、こうなるのよ。何故私がこんな目に……!)
皇后が食するに相応しくない料理など、目に入れるだけで不愉快だ。雪婉は女官たちに命じて皿を下げさせ、部屋の隅に居心地悪そうに立っている侍女を睨んだ。
「……何をしているの? さっさと、酒のおかわりを持って来なさい。空になりそうなのが分からないの!」
「はっ、はい……!」
侍女の一人が、ばたばたと駆け出していく。皇后の宮の侍女のほとんどは実家から連れて来た者たちだが、気の利かない行儀見習い気分の少女も多い。雪婉は苛立ち混じりの溜め息を吐き、別の侍女が酒の肴にと運び込んできた乾燥果物に指を伸ばした。
どこで何をしているものやら、酒の給仕を命じた侍女は随分と戻りが遅かった。最後の一滴を飲み干してしばらくして、ようやく扉の開く音がする。
「遅いじゃないの――」
振り返って声を上げかけたところで、雪婉は言葉を失う。
顔を真っ青にし、酒の盆を震える手で持つ侍女の後ろに、見慣れない男たちの姿があった。その内の幾人かは、制服から、宮中の取り締まりを行う皇帝直属の皇城司だと分かる。更に、彼らに小突かれまろび出たのは、従兄が此度の為に宮中に押し込んだ茶汲み女官の葉氏だった。
室内にいた年輩の侍女頭――雪婉の乳母だった女だ――が、鋭い声を上げる。
「ここが譚宰相の姪御、皇后陛下の私室と知っての狼藉か! いったい――」
「……皇后陛下に是非、召し上がっていただきたいものがありまして」
嗄れた声に遮られ、侍女が目を見開く。
さっと割れた人垣の合間から、一人の男が進み出てきた。歩くことが出来ないのか、身体を体格の良い男に支えられており、片目の腫れ上がった顔は全面、黒、紫、緑の斑に染まっている。明らかに拷問を受けたと分かるその姿から、藩妃の道連れにしようとした後見役の姜郎中であると知れた。
雪婉は動揺する侍女たちを抑え、ギロリと男たちを睨み付ける。
「誰が入室を許可した。無礼であるぞ」
万人が震え上がる皇后の威圧に、しかし姜郎中は微塵も動じた様子もなく、傷だらけの顔をニコリと微笑ませた。
「許可は、皇帝陛下よりいただいております。――さて、話の続きですが。後宮封鎖でお困りだと伺い、檻の中から馳せ参じました。ぜひ皇后陛下に、こちらをお召し上がりいただきたく」
無礼な言葉に侍女頭が激昂しかけるが、雪婉はそれを制する。皇城司が反応しない以上、少なくとも皇帝の許可があったことは偽りではないのだろう。
雪婉は氷のような無表情で、姜郎中を見上げる。
「ほう? 妾に、何を味あわせてくれると言うのか」
姜郎中は相変わらず不気味に微笑んだまま、ごく軽く応じた。
「あの日、夜伽の前の夕餉の際、こちらの葉女官が皇帝陛下にお出ししたのと同じ茶です。特別に陛下からお分けいただき、お持ちしました」
さあどうぞ、と、傷だらけのどす黒い顔が無邪気に笑う。雪婉は背に冷や汗が伝うのを感じながら、酒で赤らんだ頬を真っ青に染めた。
十日あまりの獄中生活で、すっかり身体が衰えてしまった。拷問の影響も深刻で、油断すればすぐにでも倒れ込みそうだ。
智晶があの日飲んだ茶だと聞いて、皇后と侍女頭の様子が変わった。年若い侍女たちはおろおろと、こちらと主人の顔を交互に伺っている。
既に話を通してある皇城司の集団は、張り詰めた雰囲気で皇后の動静に気を配っているようだ。身体を支える勇伸の案じるような目線を受けつつ、元祐は続けた。
「どうされましたか? 中々に珍しい茶なので、ぜひ、皇后陛下にも味わってほしいと言付かっています」
「……陛下は毒に倒れられたのであろう。誰が煎れたとも知れぬ茶など、恐ろしくて飲めないと分からないのか?」
「煎れたのは、こちらの葉女官ですよ」
言い募る元祐を制するように、侍女頭が身を乗り出す。元祐は微笑み、首を振った。
「陛下は、皇后様にと仰せです。……ですが、不安も分かりますので、私が毒味をしましょう」
彼は皇城司に頼んで、侍女が捧げ持ったままの盆から、冷めた茶を二つあった湯呑みの片方に注がせる。震える腕を騙し騙し、湯呑みを持ち上げ、元祐は一息でそれを飲み干した。
当然、異変など起こるはずもない。元祐は尚も、青い顔の皇后に微笑み掛ける。
「……ああ、そうでしたね。皇后陛下はお酒をお召しだ。ならば、この茶を飲むのは躊躇われるのは道理。何せこの茶は、酒と混ざると毒となる薬草を用いたものなのですから」
その刹那、皇后と侍女頭は明確に凍り付いた。
次話も明日20時更新です!




