十七.それぞれの懊悩
「……ならんと言っているだろう!」
大声を張り上げ、修遠は周囲を取り囲む官僚たちを睥睨した。
彼の至宝、大亮国第八代皇帝・汪 智晶が毒を盛られるという前代未聞の事件から、一旬(十日)が経過した日の午後のことだ。
朝議とは別に、皇帝の側近たちで執り行う詮議の場である。高官たちは皆口々に、犯人と目される藩妃と姜 元祐の処刑を訴えていた。
彼らは皆、自らが戴く若き王の身に起こった事態に憤っている――わけではない。皇帝への偽りの忠誠心を示すため、その素振りを見せているだけだ。
その筆頭、宰相の譚 敬徳が、さも心外とばかりに言い募った。
「高殿。何故、下手人を庇う? 陛下は貴殿の、大切な教え子であられるのだろう。陛下がお小さい頃からお傍で成長を見守って来た私は、卑劣な犯行に及んだ者たちを許すことが出来ぬというのに。……それとも、彼らを庇わねばならない理由があるのか?」
(どの口が言うか……!)
音のしそうな勢いで、修遠は奥歯を噛み締めた。
譚氏の企みだという証拠は、どこにもない。けれども、本来はまだ安静にしているべき智晶が朝議に姿を見せたあの朝、敬徳は刹那、見下すように目を細めたのだ。それだけで修遠には、此度のことが彼の仕業であると確信するのに十分だった。
何より、認めるのは癪だが、あの姜 元祐が智晶を裏切るなど、有り得るはずがない。
けれども、藩妃の夜伽の際に用意された、毒味では問題のなかった酒。そこから検出された毒と、彼女の居所から発見された毒が同種のものであるという事実。さらに、その毒が姜郎中の机からも発見されたという知らせは強固で、修遠には為す術もなかった。
故に今も、彼は詭弁のような弁護を繰り返す。
「……いくら中級妃とはいえ、藩妃は関係国の王女なのだぞ! 妃本人が否定している以上、無理な取り調べや、ましてや拷問など許されるはずがない! それは、妃の後見人の一人たる姜郎中とて同じことだ!」
苦しい言い訳だと分かっている。だが、元祐と藩妃を死なせない為に、彼はそう主張するしかなかった。
譚と高、外廷の頂点を争う二人の相反する訴えに、取り調べは硬直状態を維持している。藩妃は妃嬪用の牢に一人閉じ込められ、姜郎中に関しては、辛うじて四肢や十指を損なうような拷問だけは止められていた。
一刻も早く智晶と話したかったが、皇帝付き太医から、「朝議以外でと陛下と接触することを禁ずる」と申し伝えがあった。朝議で見掛ける智晶の顔はいまだ土気色で、げっそりと窶れている。呼び止めることなど、到底出来なかった。
(まったく、出て来たら分かっているだろうな。姜郎中……!)
勝ち誇った目で彼を見据える譚氏を睨み付け、修遠は一人、吐き捨てるように内心で呟いた。
天井に設けられた明かり取りを見上げ、藩 梨紗はぎゅっと膝を抱えた。
土の床は筵越しにもなお湿り気を帯び、頑丈な石壁はひやりと冷たい。妃嬪向けとあって多少は広さもあり、本来は寝台と食事用の小さな卓が据えられているのだが、梨紗が入れられた牢はがらんとしていた。筵と麦藁があるだけ、ましなのだろう。
梨紗は、目の前で倒れた智晶の姿を思い出し、膝に額を押し付ける。
((陛下……、大丈夫かな……))
自分が酒など勧めたせいでと、梨紗は自身を責めた。
中級妃以上は初夜を除き、夜伽を自室で行うことが許されている。もちろん、皇帝のお渡り前には宦官たちによって室内を検められ、自身も厳重な身体検査を受けたのちのことだ。伽の際に供される茶や酒、夜食はすべて、毒味が行われる。
それなのに、智晶は倒れた。梨紗にはまったく異変が起こらず、それゆえに人々は皆、梨紗が皇帝の目を盗んで酒に毒を盛ったと疑わなかった。おまけに、彼女の後見を務めてくれている元祐にまで、その嫌疑は飛び火しているという。
((そんなこと、するわけがないのに……))
何度恫喝されようと、梨紗は無実を訴えた。
智晶は素晴らしい夫だ。姉が病で命を落とし、急拵えの花嫁となった梨紗は、お世辞にも良き妻、良き妃とは言えなかった。振る舞いも言葉も覚束ない彼女に、智晶はいつも寛大に接してくれた。別れた人々を思い出し、梨紗が涙に暮れている時も、彼は優しく背を撫でてくれた。
そんな彼を敬愛こそすれ、生命を狙うはずがない。梨紗の祖国の関与を疑う官もいたが、吹けば飛ぶような小国の主である父に、どうしてそのような大それたことを企てられようか。
元祐にしてもそうだ。不出来な彼女を暖かく見守り、困った時にはいつも手を貸してくれる彼を、こんなことに巻き込んでしまったことが苦しい。
じわりと滲みかけた涙を必死に堪えていると、暗がりの中で不意に、か細い炎が揺れた。
「――藩妃様」
梨紗ははっと顔を上げる。気が付けば檻の向こうに、見慣れない宦官が佇んでいた。
「……だレ?」
咄嗟に不安気な声を漏らす梨紗に、宦官は唇の前に指を立て、囁くように言った。
「姜郎中の部下の、呉 勇伸と申します。卑小の身がお声掛けする無礼をお許しください」
「元祐ドノの?」
梨紗は驚きに目を瞠る。思わず立ち上がり、檻に縋り付いた彼女を見つめ、勇伸と名乗った青年――元祐の部下ならば、宦官服を纏っているのは変装だろう――は言葉を続けた。
「姜郎中も御身を案じていました。お怪我などはされていませんか?」
「ダイジョブ。……それより、元祐ドノは? 陛下は? ご無事ナの?」
焦って言い募る梨紗に、青年は力強く頷いてみせる。梨紗はほっと胸を撫で下ろした。
その後勇伸は、元祐の指示を受けて梨紗に話を聞きたいのだと打ち明けた。智晶が毒に倒れたあの晩のことを、詳細に教えてほしいと。
梨紗はわずかに躊躇ったのち、こくりと頷いて応じた。
「――陛下ハ、ずット、お茶を召し上ガッていた。お酒は、私が勧めテ少シだけ。ドッチも、毒味行ワレてた。毒味役も、無事。ナノに、陛下ダケ、倒れた」
ひどく疲れている様子の智晶を案じ、今日は秘戯は行わずにそのまま寝てしまおうと提案し、一口だけ酒を勧めた。燗の中身は半分以上、既に梨紗が空けていた。智晶はしばらく悩んだ後、わずかに酒を口に含み――、そして倒れた。
目を見開き、全身を痙攣させ嘔吐を繰り返す智晶の姿を思い出し、梨紗は両手で顔を覆った。勇伸が、敢えてだろう冷静な声で続ける。
「貴女様はすぐに、外に控えていた宦官を呼び入れた。……その際、陛下がお召になっていた茶や酒に近付く者は?」
「分かラない。ワタシ、怖くて……、ずっと震エてたカラ。お茶は空デ、お酒、陛下の身体に当たって零レたって聞イタ。そノお酒から、毒見付かった」
皇帝の治療と並行して調査が行われ、酒から毒が検出されたのは翌朝早くのことだった。すぐに梨紗の寝室に捜索の手が伸び、寝具の隙間から、中身が半分ほど減った薬入れが見付かった。酒に盛られたのと、同じ毒だった。
たどたどしい梨紗の証言を吟味するように、勇伸は顎に手を添えて考え込んでいる。彼はしばらくして、おもむろに問い掛けてきた。
「酒を用意されたのは、貴女様ですか?」
「ウン。いつも、一応用意シテる。でも……」
そこで梨紗は、はっと息を詰めた。勇伸は目を瞬き、すぐに頷く。
「陛下が、実はお酒を苦手とされているのは、姜郎中に聞かされました」
そう。普段は隠しているが、実は智晶は酒が得意ではない。
ただし、酒のもたらす高揚感が役立つことも理解しているため、儀礼や外交、会食時には彼も皆と同じように飲んでいる。このことは、側仕えの丁氏や教育係の高氏、梨紗、あとは信頼出来るたった一人の友にしか知らせていないと智晶が言っていたので、梨紗は取り調べでも黙っていた。
万が一梨紗が毒を仕込むなら、口にするかどうかも定かではない酒は、選ばなかっただろう。
勇伸は小さく頷いたのち、あの夜部屋に入って来た宦官や、捜査に訪れた官僚の名や容姿を梨紗に尋ねた。梨紗も思い出せる範囲で、訥々と答える。
やがて彼は檻の向こうで立ち上がり、梨紗に頭を下げる。目が合うと、彼はどこか痛ましげな表情で梨紗を見下ろし、告げた。
「――あの晩何が起こったのか、姜郎中も必死で考えを巡らせています。どうか今しばし、ご辛抱ください」
真っ直ぐなその言葉に、心が温かくなる。梨紗は微笑して応じた。
「分カった。勇伸ドノも、気ヲ付けて」
彼はわずかに目を瞠り、力強く頷いてみせた。
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