十五.遠雷
示し合わせたように薄ら笑いを浮かべる高官たちを、智晶は内心、歯ぎしりしながら見下ろしていた。
「……何度言えば分かる。国情が安定している今だからこそ、見栄にばかり金を掛けるな。有事への備え、国の更なる発展を望める制度作りを優先せよ」
日が昇ってすぐに始められる朝議では、国家の重要事項が様々に議論される。今年度の税収の見通し、主要行事の詳細、軍備の方針、他国の動向。そろそろ来期の予算配分や官僚人事にも、目を向けねばならない頃だ。時には意見がまとまらず、早朝から昼過ぎまで続くこともある。
だが、その朝議において、智晶の意見が通ることなど皆無だった。参集した百官はみな、臣下の中で最も玉座の近くに座る男――宰相・譚 敬徳の顔色ばかりを伺っている。
周囲の視線を受け、その宰相がゆったりと口を開いた。
「お言葉ですが、陛下。そうした状況であるからこそ、何事も絢爛にすべきなのです。亮の権勢は揺るがず、永続するものと、内外に示さねば」
もっともらしく告げられた重々しい言葉に、官僚たちも歓声を上げて賛同の意を表す。
智晶が何を言おうとも、彼らは「物知らぬ若造が、また世迷言を」とでも言いたげな顔で互いに目配せしあうだけだ。そうしていつの間にか、智晶の意見は黙殺される。
そのくせ、彼らは都合の良いときだけ、智晶の――皇帝の威を傘に着て、好き放題に振る舞った。自らの欲望のままに私腹を肥やし、身内を優遇する。
(いつか、いつか力をつけ、こいつら全員駆逐してやる――)
煮えくり返る腸を必死に押さえ込み、智晶は凍える目でじっと一点を見つめていた。
秋社に中秋節と行事が相次ぎ、顔を合わせるのは随分久しぶりのように感じた。
珍しく酒杯を傾ける智晶に驚いように、元祐が目を瞬かせている。仕事終わり、退廷前に顔を出せと命じてあったため、智晶が非常識な時間に酒を飲んでいる訳ではない。
「……珍しいですね」
「たまにはこうした気分の時もある」
率直な腹心の配下の言葉に、智晶は顔を歪めた。滅多に頼らぬ苦手な酒に手を伸ばすほど、今日は疲れていたのだ。
ちびりと舐めるように酒を含み、智晶は対面に座す元祐を見上げた。ここは宸明殿内の謁見殿でも執務室でもなく、智晶の完全な私的空間であるためか、元祐はどこか落ち着かなげな様子だった。本来、この部屋に立ち入れるのは正妻たる皇后か皇帝付きの首席・次席宦官、最側近たる宰相や翰林学士承旨のみだが、今宵、智晶は禁を破って彼を招き入れた。
気まずそうに視線を床に固定する元祐に、智晶は低く笑う。
「落ち着かないか」
「ええ、まあ……はい」
遠慮ない返答に、智晶は苦笑する。酒瓶の隣に添えてあった水差しを手に取り、碗いっぱいの水を一息に呷った。
「――ならば、早く慣れられるよう、側近に取り立ててやろうか」
元祐が息を飲む。だが、これは智晶の偽らざる願いだった。
誰も彼もが智晶を侮り、好き勝手をほざいている。そんな針のむしろの中で過ごす日々に、ほとほと嫌気がさしていた。秋の目玉行事も、智晶が命じた形とはほど遠い絢爛豪華なものに仕立てられ、散財された国費を思うと目眩がする。その中で、元祐が担当した小宴のみは智晶の指示通りの内容で――食事の量に横槍が入っていたようだが――、智晶はほっとする思いだった。
信用出来る者を見極めるため、隠密組織の立ち上げを命じた。だが、本当は心から信用出来る者を、目に分かる形で傍に置きたい。安心したかった。
けれども、元祐は生真面目な顔で首を振る。
「なりません、陛下。……私は、家の名のみで官職を賜った中級官僚です。何の手柄も挙げていないそのような者を急に引き上げては、朝廷はますます乱れる。既に歴代に並ばれる賢君であり、これからも名君であらせれらる陛下のご治世を、私のような者が汚す訳には参りません」
智晶の胸の内で、何かが千切れるような大きな音がした。
これは、紛れもない元祐の本音。彼に他意はない。分かっている。
けれども、この日の智晶には、「お前の傍で働く気はない」と言い渡されたような、断絶の言葉に聞こえてしまったのだ。
智晶は咄嗟に、酒杯を投げた。陶器を胸に受けた元祐は、零れ落ちた酒に上半身を濡らしながらも、智晶から目を逸らさない。その涼やかな顔に更に苛立ちが募り、智晶は膝立ちになって彼の胸倉を掴み上げた。
「お前は……ッ、お前は、なぜいつもそうなのだ!」
悲鳴のような声は掠れてひび割れ、無様に震えていた。元祐が瞠目し、智晶を見上げている。
脳裏にあるのは、いつか元祐が配下の話をしていた時の姿だ。目を細め、彼らの手柄を得々と語るその表情は柔らかで、楽しげで。
自分には、そんな風に心を許せる相手は――元祐しかいないのに。
「俺がどんな思いで、あんなことを言ったのか……。お前は本当に分からないのか!? 俺には、俺には誰も……っ」
「……陛下のお傍には、高承旨や丁大監もいらっしゃいます」
諭すように返す元祐は、あくまで冷静だった。
雨が近いのだろう。遠くで、小さな雷鳴が響いている。
柔らかな拒絶に、智晶は顔を歪めた。
「……当面、余に顔を見せるな。報告は修遠を通して聞く。――さっさと去れ」
桶をひっくり返したような雨が、音を立てて地に降り注ぐ。全身を雨に打たれながら、元祐は暗い夜道を力なく歩いていた。
(あれで良かったのだ……)
智晶の心情を、元祐には正確に理解することは出来なかった。彼が何故、唐突にあのようなことを口にしたのかも。
けれど、表立って何の功績も挙げていない彼が、急に智晶の傍に侍れば、要らぬ詮索を受けるのは智晶だ。自分のせいで、大切な主君が不当な謗りを受けることに、元祐は耐えられない。
何より、元祐は近頃、身辺を探られているような不審な動きを感じていた。時機から鑑みるに、譚宰相の手の者であることは容易に想像がついた。四六時中張り付かれているわけではないが、今日宸明殿に上がるのも本当は気が進まなかった。周囲に人影がないことを何度も何度も確認し、ようやく元祐は足を動かしたのだ。
智晶に報告をするかどうかは、ずっと迷っていた。むしろ、智晶にまで譚氏を警戒させれば、彼らの繋がりを自白するようなものだった。
修遠には悪いが、当面、元祐の指示系統の最上流は彼であるように振る舞わせてもらおう。間違っても、智晶まで危険に晒されることがないように。
(……今日は、飲むか)
早く四合院に帰ろう。たまには、一人で浴びるように酒を飲むのも良い。
元祐は降りしきる雨の中を、小走りに駆け出した。
大亮国第八代皇帝・汪 智晶が毒に倒れたのは、その大雨の日から十日ほど経った夜半のことだった。
状況から下手人と疑われたのは、その日の夜伽の相手に指名されていた寵妃、藩 梨紗。
そして、彼女の犯行を手助けしたとして、礼部郎中・姜 元祐もまた、捕縛された。
彼らは共に、自らに掛けられた容疑を頑なに否認している。だが、投獄から三日後、宮中のそれぞれの居所において、犯行に使われたと思しき毒が発見された。
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